「富士宮やきそば」としての出発
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「富士宮やきそば」の記事における「「富士宮やきそば」としての出発」の解説
1990年代後半に青年会議所が開いたワークショップをきっかけに、町おこしでの方向性を考えることとなった。また独自調査の結果、富士宮市はやきそばの消費量が日本一であったことから、2000年に町おこしとして「富士宮やきそば学会」を立ち上げ、地元で食べられている焼きそばを「富士宮やきそば」と命名してPRキャンペーンを行った。 2002年秋には、富士宮やきそばと同様に焼きうどんで町おこしを企画している北九州市の名店と勝負するというイベント「天下分け麺の戦い」が小倉城公園で行われ、この顛末はテレビ番組を通じて全国に放映された。その他にも、同じくやきそばで町おこしをしている横手市と太田市を招いてやきそばの食べ比べを行う「三者麺談」、全国の麺を集めた「やぶさ麺まつり」などを開催し、認知度を上げていった。2004年に「富士宮やきそば」「富士宮やきそば学会」の名称を「NPO法人まちづくりトップランナーふじのみや本舗」が商標登録した。 2005年に運行開始された高速バス「富士宮 - 東京駅線」(ジェイアールバス関東・富士急静岡バスの共同運行)に、2006年に富士宮やきそばにちなんで「やきそばエクスプレス」の路線愛称が付けられた。 2006年2月に八戸市で開催されたB級グルメの祭典であるB-1グランプリの第1回イベントでは初代王者に輝き、次回大会の開催権を獲得した。そして2007年に開催された第2回B-1グランプリで再びグランプリを獲得し二連覇を飾った。これにより富士宮やきそばはマスメディアによって多く紹介されるようになった。2007年2月13日には東洋水産からカップ麺として全国発売された。2008年7月現在、東京都内の一部でもこのカップ麺は継続販売されていた。その後「B級ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会」(通称「愛Bリーグ」)の本部が富士宮市に置かれ、各地で講演活動を行っている。
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