「富士そば」をオープン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/28 09:26 UTC 版)
事業の一つとして1966年(昭和41年)、富士そばの原点となる日本初・24時間営業の立ち食いそば店を渋谷にてスタートした。なお、「1964年富士そば1号店」と説明している本人インタビュー記事もある。ちなみに同店舗は2016年1月末で閉店している。 経営は順調に進んでいたが、際限のない事業の拡大に疲れたことや、意見の相違から共同経営者たちと袂を分かち、1972年(昭和47年)ダイタンフード株式会社を設立、立ち食いそば店「富士そば」とレストラン6店を引き継いで独立した。丹自身が病気で入院したり、母が重病になったり、新事業の住宅販売が影響し資金繰りに苦労するなど、丹自身の環境から気持ちに迷いが生じた時期もあったが、心境の変化で吹っ切れて、事業の要だった立ち食いそば店「富士そば」の経営に専念する。2000年代後半に一日5万食を誇る業界トップクラスの立ち食いそばチェーンとなった。 2006年(平成18年)8月に、丹の自叙伝『らせん階段一代記』が発売された。店舗での購入も可能。 2015年(平成27年)12月、長男の有樹にダイタンホールディングス株式会社とダイタンフード株式会社等の社長を譲り、同各社の会長に就任した。
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