「史的イエス」の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 07:48 UTC 版)
「エルンスト・ケーゼマン」の記事における「「史的イエス」の問題」の解説
詳細は「史的イエス」を参照 師のブルトマンは『共観福音書伝承史』のなかで「原始キリスト教の信仰において本質的なことは、『宣教のキリスト』すなわち原始キリスト教団によって宣教(ケリュグマ)されたキリスト(メシア)なのであって、必ずしも『史実のイエス』ではない」というテーゼを発表し、これにより「史的イエスの問題」が発生したが、ケーゼマンが1950年代はじめにおこなった講演によってこの問題がクローズアップされ、1960年代なかばすぎまで、主としてプロテスタント神学界における中心的テーマとして活発な論争が繰り広げられた。 ケーゼマンは、師のブルトマン同様「宣教のキリスト」から出発したが、パウロが「宣教のキリスト」のなかに「パウロ書簡」という文学スタイルで神学的内容を盛りこんでいったのに対し、福音記者たちはなぜ、同じ「宣教のキリスト」に「福音書」という文学スタイルを通して史的構成を試みたのかという問題提起をおこなった。 ケーゼマンは、3人の福音記者マタイ、マルコおよびルカは、すでにイエスの語録伝承の担い手となった人びとの信仰のなかにみられる「霊的熱狂主義」と対決するために「福音書」という文学形式を採用したと説いた。つまり、霊的熱狂主義者たちは、天に召された「キリスト(メシア)」としてのイエスとかれら自身とを「霊的に」同一の境地に達しようと専心したことにみられるように、かれらは歴史性を捨象する超歴史的傾向が強かったのに対し、福音記者たちは、十字架の刑で極限に達した「イエスの生」を描いていくことで、イエスの歴史性を確保しようとしたと唱えたのである。ケーゼマンはまた、別の戦線にあったパウロは、霊的熱狂主義者との書簡の交換において、熱狂主義者の掲げる「栄光のキリスト」に対峙するため、「十字架のキリスト」としての「宣教のキリスト」を自らの立場として提示したものと説いた。 ケーゼマンは、原始キリスト教団の人びとにおける「宣教のキリスト」は、かれらがイエスの生と死の「事実性」(Echt)のなかに救いの意味を感得した限りにおいて、「宣教のキリスト」と「史的イエス」とは時間的に接続し、本質的に双方はたがいに対応しており、イエスが権威をもって神のことばを語り、「神の代理人」のように振る舞った事実は、イエスが「キリスト」であるという告白を含意するものと主張している。
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