「ステップ!」 〜 『BLUE』(復活・ブレイク期)
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「RCサクセション」の記事における「「ステップ!」 〜 『BLUE』(復活・ブレイク期)」の解説
1979年7月21日、2年8ヵ月振りのシングル「ステップ!」を発売。しかしこのシングルも、まだメンバーの演奏力を信用しきれていなかった制作担当者により、スタジオ・ミュージシャンのテイクが採用されている。8月、「NTV紅白歌のベストテン」に出演。音楽評論家の吉見佑子が音頭を取って「シングル・マン」再発実行委員会が発足。深夜ラジオでの放送が増える。同年、積極的にステージを求め、各地の大学祭に多数出演。同年11月16日、久保講堂で行われた古井戸の解散コンサートで仲井戸麗市のRC正式加入が発表される。 1980年1月21日「雨あがりの夜空に」発売。発売記念コンサートを渋谷屋根裏で4日間開催、連日満員で屋根裏の観客動員記録を塗り替え話題となる。4月久保講堂で「RHAPSODY」録音。5月シングル「ボスしけてるぜ」、6月アルバム「RHAPSODY」、10月シングル「トランジスタ・ラジオ」、12月アルバム「PLEASE」と立て続けにレコードを発売。 パンク・ロック的なスピード感とR&Bに影響を受けた楽曲、グラムロックやミック・ジャガーを彷彿させるドギツいメイクでのステージが話題になる。忌野がオーティス・レディングの言葉を日本語にしてステージ上で観客へ呼びかけた「愛しあってるかい?」というフレーズは一世を風靡。 「清志郎ルック」の髪型やメイク、ファッションを身にまとった若者が出現するに至って、音楽誌のみならず『アサヒグラフ』や『an・an』、『宝島』、各新聞などでも取り上げられ、サブカルチャー的存在として社会現象とまでなる。1980年7月20日付の朝日新聞の社説では、「RCのコンサートへ行けば、今日のわが国のあらゆるタイプの若者像を瞬時にして知ることができる」とまで評される。 アルバム『RHAPSODY』リリース後、バンド名を変えようという話もあったが、「いちおうこれだけ続いたバンド名なんだから」という理由で却下される。 レコードを連発、コンサートも満員の人気バンドでありながら、忌野は杉並区の風呂無しアパートに住んでいた。81年に引越後、入居したのが三宅伸治である。
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