「ショータイム」の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 05:59 UTC 版)
「パット・ライリー」の記事における「「ショータイム」の時代」の解説
優勝監督となったライリーは新たな自信をつけ、次第にライフスタイルも変わっていった。以前はトレーニングウェアやカジュアルな服装でチームの前に現れていたが、翌1982-83シーズン以降はイタリア製の高価なスーツに身を包み、一糸乱れず髪をオールバックにした姿を見せるようになった。のちにはジョルジオ・アルマーニとも親交を結び、常にアルマーニのスーツで仕事に臨むようになった。もともと端整な顔立ちをしていたこともあり、ライリーの伊達男ぶりは世間の耳目を集めるようになった。 そしてこのシーズンに、レイカーズはドラフトでジェームズ・ウォージーを獲得。ウォージーは非常に俊敏な選手で、走力・ジャンプ力もあった。マジック・ジョンソンの意表を突いたパスからウォージーがダンクで締めくくる華やかな速攻はレイカーズの象徴となり、ショータイムと呼ばれて一世を風靡した。レイカーズは常勝チームと見なされるようになり、ライリーはロサンゼルスを代表する著名人の一人となっていた。 一方、東海岸ではボストン・セルティックスが強豪として評価されるようになっていた。レイカーズのマジック・ジョンソンとセルティックスのラリー・バードがライバルと見なされていたこともあり、マスコミやファンはことあるごとに両チームを比較した。とりわけ、質実剛健なセルティックスに対しレイカーズが軟弱なように言い立てられるのはライリーにとって我慢ならないことだった。 80年代にレイカーズとセルティックスが初めて決勝で対戦したのは1984年のことだった。合計3度の延長を含み、第7戦までもつれた激戦を制したのはセルティックスだった。敗因はいくつかあったが、ライリーにとって印象深いのは第4戦のウォージーのパスミスだった。試合終盤にレイカーズがリードしている状況で、セルティックスのジェラルド・ヘンダーソンのスティールが延長につながり、2勝2敗のタイとなった。また同じ試合でセルティックスのケビン・マクヘイルがレイカーズのカート・ランビスを乱暴に転倒させ、両チームは険悪な雰囲気になった。ライリーはセルティックスを「チンピラの集まり」と非難した。 わずかの差で優勝を逃したレイカーズは、奮起して翌シーズンに臨んだ。1984-85シーズン、レイカーズは62勝20敗でセルティックスに次ぎリーグ2位。両チームは再びNBAファイナルに進出した。ボストンで行われた第1戦でレイカーズは114対148の大差で敗れた。屈辱的な敗戦の後、ライリーはこの試合のビデオを見せて選手を叱咤し、選手たちは懸命に練習に取り組んだ。レイカーズは第3戦をものにし、ロサンゼルスに戻った第4戦は快勝。結局シリーズを4勝2敗で制し、前シーズンの雪辱を果たした。 次の1985-86シーズン、レイカーズは地区首位の成績を収めながらもプレイオフではヒューストン・ロケッツに敗退。今回優勝したのはボストン・セルティックスだった。
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