"He 177B" と He 277 の論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 01:11 UTC 版)
「He 277 (航空機)」の記事における「"He 177B" と He 277 の論争」の解説
戦後発行された多くの航空機の歴史に関する書籍や雑誌の多くでは、下記の様に記述されている。 「 第二次世界大戦初期の段階で、エンジンとして戦前に選定された結合エンジンのDB 606の問題によってHe 177Aの開発計画は暗礁に乗り上げていた。しかしヘルマン・ゲーリング国家元帥はエルンスト・ハインケルにHe 177Aの機体を通常の4発エンジンの状態(つまり「He 277」を設計すること)で開発する事を禁止していた。そのため、ハインケルがこの問題をアドルフ・ヒトラーに直接話しに行くまで認可されることはなかった。この時、ヒトラーはHe 177の別々のエンジンを持つ改良型を「He 277」と呼称することを認可しただけでなく、ゲーリングにこの計画に対して発言することを禁止した。それ以前まではハインケルはゲーリングやドイツ航空省(RLM)をあざむく偽装計画として「He 177B」と称して設計を行っていた。 」 しかしながら、1942年の8月のゲーリング自身による報告書では、先ほどの話と矛盾した部分がみられる。ゲーリングの報告書によるとゲーリングはHe 177Aは4基の独立したエンジンを持つべきと考えているように見える。そしてさらに連結エンジンに対し「まるでエンジンを溶接しているようだ」と揶揄している。また、He 177Aの開発で直面しているエンジンの問題に関して、ゲーリングは本当の4基のエンジンのハインケル製の重爆撃機が開発され、生産されることを切望していると記述されている。 戦後に発行された航空機の書籍での"He 177B"/He 277 論争に関する根拠の一つとして以下のものがあげられる。1943年2月(ゲーリングがエンジンに対する苦情の報告書をまとめた6ヶ月後)にRLMがまとめたHe 177の開発計画に関する書類の記載事項にA-5重爆撃機、A-6高々度爆撃機、A-7長距離爆撃機、および"He 277"が記述されている点である。 He 177Aが連結エンジンを必要としたのは最高時速600km/h以上を達成する為にハインケル側から提案されたが、その事が遠因となり急降下爆撃能力が要求された。このことに関してハインケルは激しく口論し、1943年2月にRLMによって承認される5ヶ月前にゲーリング自身が急降下爆撃能力の要求を撤回している。そしてハインケルはすぐにHe 177Bの研究を始めている。少なくとも1943年の夏の終わり頃には個別の4基のエンジンを持つHe 177Aの発展型はB型と名付けられた。この時、ハインケルの公式な書類にはオリジナルのHe 177の開発としてHe 177Bの開発の認可がRLMからおり、He 277爆撃機設計プロジェクトとは完全に分けて進められていたと考えるべきである。
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