"火の機関"の発明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/23 20:28 UTC 版)
「トーマス・セイヴァリ」の記事における「"火の機関"の発明」の解説
セイヴァリは鉱山地帯の近郊で育ったという環境もあって、当時の鉱山で排水が大きな課題となっており、鉱夫らが大きな危険と困難に遭遇していることをよく知っていた。このために蒸気の力を用いることを考え、そのために多くの実験をした。 彼は、十分な設計をもとに"火の機関(Fire Engine)" と称する蒸気機関(揚水ポンプ)の模型を製作した。 1698年にハンプトン・コート宮殿で、国王ウィリアム3世を前に実演し、その成果もあって、同1698年7月25日にその特許が認められた。また、翌年にはそれを王立協会で実演して好評を得た。1702年にその解説書『鉱夫の友;または火で揚水する機械』を出版し、約束していた国王へも献本された。セイヴァリは、その中で機関の構造や操作方法をこと細かく説明した後、応用できる用途として次を列挙している。 全種類の水車を回すための揚水 宮殿や紳士の館の給水および防火 都市や町への給水 沼地や湿地の排水 船舶 鉱山の排水および水没防御 セイヴァリの特許は「火力によって揚水する装置」という極めて広いものであったため、これ以降のイギリスの蒸気機関開発に大きな影響を与えた。その有効期限は当初14年であったが、取得翌年の1699年に21年の延長が認められ,1733年まで有効となった。後の1712年に、トマス・ニューコメンがより進んだ蒸気機関を開発したが、セイヴァリの特許を使用しなければならなかった。 この蒸気機関は、レシーバーと称する容器内の水を直接蒸気で押し出し、その凝縮による真空で新たな水を吸い上げるという動作を繰り返すことにより、揚水するものであった。この装置自体は原理的にも技術的にも未熟であり、損失が大きいのに加え、当時の技術水準では高圧に伴う破裂の危険を常に抱えていた。さらに,鉱山で使用するには、坑道の深い位置に設置せねばならず、故障や事故時には水没して補修・回復が困難となった。
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