"理想形"の完成までの足取り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/06 23:35 UTC 版)
「痛郎」の記事における「"理想形"の完成までの足取り」の解説
1986年、遮断のメンバーだった井手宣裕(bass,vocal)、浜田一孝(drums,flute,vocal)を中心に結成。大橋義典(guitar)、若桑比織(sax,guitar)、香住(vocal)が加わりバンドとして活動開始。当時、町田町蔵率いる人民オリンピックショウで、井手がコーラスとして参加していたことが縁で、町田から、井手、浜田、大橋に"芸名"を与えられた。井手の芸名が「今朝まで居たろう?」だったことから、神楽坂エクスプロージョンの初ライブの際に、バンド名が必要になり、浜田の一言「井手がリーダーなんだから『いたろう』でいいんじゃない?」で「いたろう」(当て字で「痛郎」)に決まる。現在もその名前で活動を続けている。 同年8月30日の浦和田島ヶ原で行われた野外ライブ「ウラワ・ロックンロールセンター」を最後に香住が脱退。そして香住に代わってケイコ(vocal)が参加する。TRANS RECORDSに送ったカセット音源がそのまま1曲がオムニバス「Newwave no Gyakushu 2 (NG2)」に収録。やがて方向性の違いからケイコが、それに続いて若桑が脱退。 ナゴムレコード「おまつり ナゴムオムニバスIII」に参加。続いてナゴムレコードから、single「But I did not want to Be」を発表。 井手が痛郎のさらなる発表の媒体を求め、レーベル「ZIKS PRODUCT」を立ち上げ、single「ziks-001」を製作、新宿LoftでのCANIS LUPUSとの共演のとき無料で配布した。(ziksは、Bloody Butterfly、Zk Recordsに展開する)
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