Super Nintendo Entertainment System Super Nintendo Entertainment Systemの概要

Super Nintendo Entertainment System

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 14:58 UTC 版)

スーパーファミコン > Super Nintendo Entertainment System
Super Nintendo Entertainment System

メーカー 任天堂
種別 据置型ゲーム機
世代 第4世代
発売日 1990年11月21日
1991年8月23日
1992年4月11日
1992年7月3日
1992年11月25日
1993年8月30日
1993年
1993年
1993年
※日本ではスーパーファミコン、韓国ではヒョンデ・スーパーコンボイ、台湾・香港では超級任天堂として発売された。
対応メディア ロムカセット
コントローラ入力 ケーブル
売上台数 2,335万台
前世代ハードウェア Nintendo Entertainment System
次世代ハードウェア NINTENDO64
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概要

Nintendo Entertainment System”(略称:NES。ファミリーコンピュータの北米・ヨーロッパ・オーストラリアアジア版)の後継機にあたる。コンソールに“Super Nintendo”の部分が大きく表記されていたため、現地では「スーパーニンテンドー」の愛称で親しまれた。“SNES”もしくは“Super NES”と略されることが多い。

1990年11月21日に日本で先行して発売されたスーパーファミコン(SUPER Famicom)をベースに各国への対応を施している。北米版とブラジル版はエリアプロテクトの関係でさらに筐体の変更を施している。

韓国向けは現代電子産業(現・SKハイニックス[注 1]が任天堂からOEM供給を受け、任天堂が定めた"Super Nintendo Entertainment System KOREAN VERSION"の名称と現代電子産業が定めたヒョンデ・スーパーコンボイ현대 슈퍼 컴보이/Super COMBOY)という名称を併記して販売した。“Super Nintendo Entertainment System”ロゴの上に韓国語で“현대 슈퍼 컴보이”(ヒョンデ・スーパーコンボイ)とロゴが記されている。

本項目では日本向けと同じ商品名のスーパーファミコン(漢字表記は超級任天堂超級任天堂/Super Famicom))としてアジアの台湾中華民国)及び香港イギリス領→1997年7月1日より中華人民共和国香港特別行政区[注 2])で発売された台湾・香港向け仕様スーパーファミコンについても述べる。ロゴ表記や本体仕様は日本向けのスーパーファミコンと同一である。なお、香港ではヨーロッパ版SNES(PAL出力)と超級任天堂(NTSC出力)の双方が販売された。

メーカー型番は北米向けがSNS、EU・オセアニア・香港(PAL)向けがSNSP、ブラジル向けがSNSM、韓国向けがSNSN(任天堂)/HGM(現代電子産業・コンボイ(NES)の続番)、台湾向けがSHVC-ROC、香港(NTSC)向けがSHVC-HKG。

歴史

競合機種は本機(以下SNES。日本市場に限った動向について述べる場合を除き、ベースとなったスーパーファミコンもSNESと表現する。)と同じくいわゆる第4世代機に属するセガメガドライブ(SEGA MEGA DRIVE)/北米名はジェネシス(SEGA GENESIS)、NECホームエレクトロニクスPCエンジン(PC Engine)/北米名はTurboGrafx-16が挙げられる。日本市場でのスーパーファミコンはファミリーコンピュータ(ファミコン)からの引き継ぎに成功し、1996年から1997年頃のいわゆる第5世代機に属する後継機NINTENDO64の登場、もしくは北米市場・欧州市場では1995年に発売されたその競合機PlayStation[注 3]の普及までは圧倒的に優位であったが、海外市場のうち北米市場では、いわゆる第3世代機時代では日本同様NESが圧倒的なシェアを握っていた状況と一転し、特に16ビット機で先行していたメガドライブ(ジェネシス)とは1990年代前半のコンシュマーゲーム機市場において人気を二分する猛烈な競争を繰り広げた。一方で欧州市場ではいわゆる第3世代機時代ではNESがセガのマスターシステム(SEGA MASTER SYSTEM)に水を開けられていた状況を踏まえて、1990年に任天堂が欧州支店を開設して販売網を強化し、NESよりシェア拡大を果たした。しかしながら北米市場、欧州市場共にSNESとメガドライブ(ジェネシス)が互角の戦いを繰り広げたものの、総出荷台数ではやや劣る結果であった。さらに南米市場では特にブラジルにおいて電気製品の輸入は高額な輸入税を課せられることもあって、いわゆる第3世代機時代でのマスターシステムから引き続き、現地生産化で価格低減に成功していたメガドライブに大差を付けられていた[1]。任天堂もセガに倣って、基本的に海外向けであっても日本や中華人民共和国(中国)から輸出していたSNESも、ブラジル向けのみマナウスにあるPlaytronic Industrial社の工場で現地生産を行った[注 4]メガドライブ#歴史も参照。

ファミリーコンピュータやスーパーファミコン発売当時の日本市場では任天堂ゲーム機の本体と専用ソフトは完全に別売りとしていたが[注 5]、北米市場や欧州市場では前世代機のNESの発売当初から、セガやNES発売当初は強力なライバルだったアタリ(アタリコープ)、コモドールなどに対抗するため、本体とソフトのセット販売が行われていた[注 6]。SNESでは、「Sonic the Hedgehog」(ソニック・ザ・ヘッジホッグ)をメガドライブ(ジェネシス)本体に同梱したセット販売で成功していたセガに対抗するためにセット販売の強化が行われ、「Super NES SUPER SET」と称して「Super Mario World」(スーパーマリオワールド)や「Super Mario All-Stars」(スーパーマリオコレクション)、「The Legend of Zelda: A Link to the Past」(ゼルダの伝説 神々のトライフォース)、「Street Fighter II」(ストリートファイターII)等のソフトを本体に同梱してお値打ち感を出す戦略が積極的に行われた。さらに「Super NES MARIO SET」として「Super Mario All-stars + Super Mario World」(スーパーマリオコレクションとスーパーマリオワールドの2in1ソフト)を本体に同梱するものや、「Super NES Super GAMEBOY SET」として「Super Mario All-Stars」のソフトに加えて「スーパーゲームボーイ」(ゲームボーイソフトをスーパーファミコン本体で疑似カラーで遊べるようにするアダプタ)を本体に同梱するものもあった。

しかしながらセガも「Sonic the Hedgehog 2」(ソニック・ザ・ヘッジホッグ2)の大ヒットや、マイケル・ジャクソンアイルトン・セナジョー・モンタナなどの著名人とのコラボレーションが実を結び、最重要市場とされる北米では「Genesis does what Nintendon't!」と題した挑発的なスローガンを立ち上げたり、ジェネシスの方がSNESよりCPU性能が優れていることを活かした比較広告[注 7]を流すなど、セガ側のプロモーション戦略の成功でメガドライブ(ジェネシス)は北米市場・欧州市場・南米市場ともすでに国民機の座にのし上がっていて、後発のSNESが牙城を切り崩すことは困難であった。実際に両機のCPU性能差[注 8]や解像度の違い[注 9]により、海外市場で主流のゲームジャンルであるアクションゲームスポーツゲームレースゲームシューティングゲームにおいてマルチプラットフォーム(他機種との並行)展開やアーケードゲームパソコンゲームからの移植では不利とされた。流血などのグロ表現を前面に出して欧米のアーケードで人気を博した格闘ゲーム「Mortal Kombat」(モータルコンバット)の両機種への移植を巡って、当時のセガと任天堂の表現規制の違い[注 10]もメガドライブ(ジェネシス)版のセールスを優位にする一因となった。

SNESはグラフィック性能(同時発色数・回転拡大縮小機能など)や音質ではメガドライブ(ジェネシス)より優れていたが、SNESの性能を引き出したソフトは「FINAL FANTASY IV、V、VI」(ファイナルファンタジーIVVVI)、「Chrono Trigger」(クロノ・トリガー)、「Super Mario RPG: Legend of the Seven Stars」(スーパーマリオRPG)など(いわゆる第4世代機では)SNESのみで独占発売されたロールプレイングゲームに集中しており、海外市場は日本市場ほどロールプレイングゲームが売れなかった[注 11]ことや、既にマルチプラットフォーム展開が主流であったことからさほどアピールポイントにはならなかった。1993年にはセガはメガドライブ(ジェネシス)の周辺機器であるメガCD(メガドライブ用のCD-ROMユニット、北米名はSEGA CD)を発売するが、同時期の任天堂は当初はソニーと共同開発し、任天堂とソニーとでライセンスの取り扱いを巡っての齟齬により、途中で共同開発相手をフィリップスに切り替えて発売を計画していたSNES用CD-ROMアダプタの発売を断念した。

そこで任天堂は海外市場で伸び悩むSNESにおいて、発売を断念したCD-ROMドライブに代わる新たなテコ入れ策として、1993年にイギリスのゲーム開発会社レアの筆頭株主となり、いわゆる「セカンドパーティー」に組み入れ、1994年には3DCGプリレンダリングを多用したアクションゲームである「Donkey Kong Country」(スーパードンキーコング)を発売。メガCD(SEGA CD)や同時期に発売されたスーパー32X[注 12](以下32X)を意識し[注 13]、特別な周辺機器を使用しなくてもSNES本体と「Donkey Kong Country」(スーパードンキーコング)のカセットだけで遊べることを強調。この戦略が大成功し、1994年の年末商戦以降はそれまでメガドライブ(ジェネシス)が強かった北米市場や欧州市場においてもSNESが優位となる流れを作り、1995年と1996年にも続編「Donkey Kong Country 2」(スーパードンキーコング2)、「Donkey Kong Country 3」(スーパードンキーコング3)が発売され、こちらも大人気を博した。

一方でセガの日本本社は北米市場を含む全世界で販売不振だった32Xに対しては早々に見切りをつけ、1994年に日本市場で発売された、いわゆる第5世代機に当たるセガサターン(SEGA SATURN)のみに経営資源を集中して北米市場や欧州市場でも1995年中に移行させる強硬手段を採り、北米市場では同年9月の発売予定を大幅に前倒して5月に投入した。しかしながら1995年10月に32Xはもちろん、販売好調だったメガドライブ(ジェネシス)本体まで生産終了を発表したため、ユーザーや小売店のみならず32Xを推進していたセガの米国法人まで大混乱に陥った。さらにセガサターンでは取り扱い店舗を絞ったため、その店舗から外れた北米の一部大手小売店ではジェネシスやゲームギアを含むセガ製品全てを排除する店舗も現れ、1995年から1998年の海外市場でのSNESの生産終了にかけてはメガドライブ(ジェネシス)は南米市場を除いてSNESに対して劣勢となっていった[注 14]

1997年以降、ゲーム機市場がPlayStationやNINTENDO64などいわゆる第5世代機に完全に移行した後も、日本市場ではサテラビュー衛星データ放送サービスやニンテンドウパワーの書き換えサービスによって2000年までスーパーファミコン向けの新作ソフトがリリースされたが、海外市場では同等のサービスが行われず、北米市場では1998年を最後にSNES向けの新作ソフトの発売が終わった。しかし、2014年に16年ぶりの新作となる「Nightmare Busters」が任天堂のライセンス許諾を得ない非正規ソフトの形態で発売された。「Nightmare Busters」はもともと1994年に開発されていた作品で、開発中止により幻のゲームとなっていた[4]


注釈

  1. ^ 現代電子は1989年から1999年まで本機のみならず、NES(日本国外版ファミリーコンピュータの名称)、ゲームボーイ、NINTENDO64の韓国国内におけるライセンス販売も行っていた。
  2. ^ 中華人民共和国のうち、香港特別行政区以外ではスーパーファミコン、SNES共に正式に発売されなかった。(中国で最初に正式発売された任天堂製のゲーム機はNINTENDO64を同国の市場向けにカスタマイズしたiQue Playerが最初となる。)ただし、後期製造分の本体及びコントローラには中国製造のものが存在する。
  3. ^ 日本市場では1994年発売。「PlayStation」はもともと1989年から任天堂とソニーが共同で開発していたSNES用CD-ROMドライブを内蔵したソニー製の一体型ゲーム機に与えられる名称であったが、任天堂とソニーでライセンスを巡っての折り合いがつかず、1991年に共同開発及び販売計画が頓挫、その後はいわゆる第5世代ゲーム機としてソニーの単独開発及び、子会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(当時)を設立して任天堂と競合する同名のゲーム機としての販売計画に切り替えた経緯がある。
  4. ^ NINTENDO64やいわゆる第6世代機にあたるゲームキューブもPlaytronic Industrial社を買収したGradiente Entertainment社の現地工場にて2004年まで生産が続けられた。同社との提携解消後に発売したWiiWii Uでは任天堂による中国で生産された完成品を輸入する形態となったが、高額な輸入税が課せられたことによる関係から同国のゲーム機市場では現地生産を行っているPlayStation 4SIE)や、Xbox OneMicrosoft)などと比べて劣勢に立たされていてシェアが好転せず、任天堂は2015年1月をもってブラジルでのゲーム機の販売から一度撤退した[2]Nintendo Switch発売後の2020年に再参入したが、Nintendo Switchでも現地生産はされず、同機の価格は2990レアルと2020年当時のレートで日本円で約6万円と日本の約2倍の価格である[3]
  5. ^ 日本市場において任天堂の据え置きゲーム機でソフトと本体が同梱されたセットが初めて発売されたのは2003年にゲームキューブ本体の限定カラーとソフトの同梱パックである。ただし携帯機のゲームボーイゲームボーイカラーゲームボーイアドバンスでの同梱販売はそれ以前から行われていた。ちなみに当時の日本市場ではセガが北米市場や欧州市場と同様にメガドライブやゲームギアにおいてプラスワンセットと称し、本体に「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」や「ソニックドリフト」等のソフトを同梱していた。
  6. ^ NESの「Action Set」はNES本体と「Super Mario Bros.」(スーパーマリオブラザーズ)・「Duck Hunt」(ダックハント)の2in1ソフトのセット、「Deluxe Set」ではNES本体と「R.O.B.(Robotic Operating Buddy)」(ファミリーコンピュータ ロボット)と「Duck Hunt」のセット。
  7. ^ 例えば「両社のゲーム機と両社を代表するゲーム(ジェネシス側は「Sonic the Hedgehog 2」、SNES側は「Super Mario Kart」(スーパーマリオカート))を映し出したテレビを並べた車(ジェネシス側はレーシングカー、SNES側はワゴン車)を同時にスタートさせ、速度差を見せつけてSNESは低性能」と煽る内容のコマーシャルを流すなど。
  8. ^ 本機では発売初期からCPU性能の不足を補うため、カートリッジ側に演算補助などの役割を持たせた特殊チップを搭載したソフトが多数発売された。DSP-1、SA-1がその一例である。1993年からは3Dグラフィックをより強化したスーパーFXチップを搭載したソフトが発売された。
  9. ^ 両機種とも基本は256x224ドット(NTSCの場合)であるが、メガドライブ(ジェネシス)はアーケードゲームの解像度に近い320x224ドットにも設定できたのに対し、SNESでは開発当初はNES(ファミリーコンピュータ)との互換を考慮していたためにその解像度に設定できなかった。その影響で例えば「Puyo Puyo」(ぷよぷよ)のSNES版(日本では「す〜ぱ〜ぷよぷよ」)ではキャラクターの表示位置がアーケード版やメガドライブ(ジェネシス)版と違う位置となった。
  10. ^ セガの方が緩く、メガドライブ(ジェネシス)版はコンフィグ設定で表現するかどうかが選べたのに対し、SNES版では完全にカットされた。
  11. ^ 日本市場で「ファイナルファンタジーシリーズ」と双璧をなした「ドラゴンクエストシリーズ」のスーパーファミコン版(「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」、「ドラゴンクエストVI 幻の大地」)は海外市場では正式発売されなかった。初めて正式発売されたのはニンテンドーDSへの移植版である。
  12. ^ セガの米国法人主導でメガドライブ(ジェネシス)の延命策として開発された、32bitCPUを搭載し同機の3D性能を強化させるアタッチメント。北米名はジェネシス32X、欧州名はメガドライブ32X、南米名はメガ32X。
  13. ^ 発売当時に北米で放映されたテレビコマーシャルでは、「NOT ON SEGA」「NOT ON 32X ADAPTORS」「NOT ON CD-ROM」「IT'S ONLY FOR SUPER NES」というキャッチコピーを入れた比較広告の形式を採り、セガのそれらのゲーム機では遊べないこと及び、前述の通りSNES本体とカセットだけで遊べることを強調した。また、メガドライブが北米市場や欧州市場ほど普及していない日本市場においては日本国内では1994年の春商戦から年末商戦にかけて任天堂の競合他社が一挙に発売した3DO、セガサターン、Playstationなどといった他社が発売したいわゆる第5世代機への牽制及び、1996年にNINTENDO64が投入されるまでのスーパーファミコン市場の延命として作用した。
  14. ^ セガサターンは日本市場以外では販売不振となり、販売が堅調だった日本市場も含め、1996年度以降に激化したPlaystationやNINTENDO64との価格競争において、ハードウェアの構造上その2機種と比較してコスト削減が困難だったため多額の赤字を生み出す原因となり、セガの経営が一気に悪化した。1998年に発売されたいわゆる第6世代機に当たるドリームキャスト(Dreamcast)でも挽回することができず、セガが2001年に家庭用ゲーム機の自社開発及び生産から撤退するきっかけを作った。一方で北米市場や南米市場ではセガ自社の生産停止後もメガドライブ(ジェネシス)の需要が途絶えず、他社が生産したセガの公式ライセンス品の互換ハードとして1997年に北米市場でジェネシス3、1998年に南米市場でメガドライブ3などが発売された。この2者の製品仕様やデザインは全く異なる。なお、ブラジルでは2023年現在もメガドライブが国民機として扱われている。
  15. ^ NESではイギリスイタリア・オーストラリア等は"PAL A"エリアとされ、"A"と書かれたソフトに対応したNESE-001本体が、ドイツ・フランス・スペイン等は"PAL B"エリアとされ、"B"と書かれたソフトに対応したNES-PAL-001本体が出荷され、異なるエリアの本体とソフトの組み合わせではCICチップによるエリアプロテクトにより起動しなかった。
  16. ^ 台湾や香港ではNESではなく日本向けと同じファミリーコンピュータ(HVC-001)が表記を中国語にしたり、RF出力周りを変更した上で発売された。
  17. ^ 日本版は2017年10月5日発売。
  18. ^ なお、日本版“ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ”では本体とコントローラが一体化しているため、Wii用コントローラの使用はできない。

出典

  1. ^ なぜセガは任天堂をブラジルのゲーム機市場で圧倒できたのか?”. Gigazine (2015年7月30日20時12分更新). 2020年5月2日閲覧。
  2. ^ 任天堂、ブラジルから撤退 家庭用ゲーム機販売”. 日本経済新聞 (2015年1月13日10時30分更新). 2020年5月2日閲覧。
  3. ^ Nintendo Switchがブラジルで発売!ブラジルにおける任天堂の複雑な歴史とSwitchの発売が遅れた理由”. IGN Japan (2020年9月18日10時59分更新). 2022年6月4日閲覧。
  4. ^ まじかっ! スーパーファミコンの新作ソフトが16年ぶり発売”. ねとらぼ (2014年1月24日11時24分更新). 2020年5月2日閲覧。


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