鳥居龍蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 14:49 UTC 版)
年譜
- 1870年(明治3年) - 現在の徳島市に生まれる。
- 1886年(明治19年) - 結成されたばかりの東京人類学会に入会する。
- 1890年(明治23年) - 東京人類学会の坪井正五郎を頼って単身上京する。坪井は英仏留学中であったため、同郷であった小杉榲邨の世話となる。
- 1892年(明治25年) - 一家で東京に移住。
- 1893年(明治26年) - 東京帝国大学人類学教室の標本整理係の職に就く。
- 1895年(明治28年) - 東京人類学会より派遣され、初の海外調査(遼東半島)。
- 1896年(明治29年) - 台湾の先住民の調査。初めて写真機を持っていく。以後、1900年まで断続的に4回調査を行う。
- 1898年(明治31年) - 東京帝国大学の助手となる。
- 1900年(明治33年) - 台湾調査の傍ら、新高山(現・玉山)の登頂に成功。異説はあるものの、記録上これが玉山初登頂となっている。
- 1901年(明治34年) - 坪井正五郎と、小杉榲邨との媒酌できみ子(戸籍上はキミ)と結婚。
- 1905年(明治38年) - 東京帝国大学理科大学講師に任命。
- 1906年(明治39年) - きみ子が蒙古カラチン王府女学堂の教師に招かれる[29]。同年、龍蔵も同男子学堂教授となる。
- 1918年(大正7年) - 武蔵野会(現・武蔵野文化協会)を創設し、機関誌『武蔵野』を創刊する。
- 1920年(大正9年) - パリ学士院からパルム・アカデミー受賞。
- 1921年(大正10年) - 「満蒙の有史以前」の研究で文学博士の学位を取得。
- 1922年(大正11年) - 東京帝国大学助教授となる。
- 1923年(大正12年) - 國學院大學教授就任。
- 1924年(大正13年) - 東京帝国大学を辞職し、鳥居人類学研究所を設立する。
- 1928年(昭和3年) - 上智大学の設立に尽力。文学部長・教授となる。
- 1933年(昭和8年) - 國學院大學を辞職。
- 1939年(昭和14年) - ハーバード燕京研究所の招聘で、研究現場の北京に赴任(「客座教授」名義)(『鳥居龍蔵の生涯』、徳島鳥居記念館)。
- 1941年(昭和16年) - 太平洋戦争勃発。日米開戦で、ハーバード燕京研究所は閉鎖。(『鳥居龍蔵の生涯)』徳島鳥居記念館)北京において、不自由な状態におかれる。
- 1945年(昭和20年) - 日本敗戦により、大学再開。再び客座教授となる。
- 1951年(昭和26年) - ハーバード燕京研究所を退職し、帰国する。
- 1953年(昭和28年) - 東京で死去。82歳。
- 1959年(昭和34年) - きみ子死去。龍蔵と共に徳島県立鳥居記念博物館の、ドルメン型墓碑に葬られている。
- 1965年(昭和40年) - 龍蔵ときみ子の2人揃って、鳴門市名誉市民に顕彰される[30]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 新編 みんなで学ぼう!鳥居龍蔵 - 徳島県立鳥居龍蔵記念博物館 2016年1月31日発行。
- ^ a b c d e f g 天野郁夫『学歴の社会史…教育と日本の近代』(初版)平凡社〈平凡社ライブラリー〉(原著2005年1月6日)、84-88頁。ISBN 4582765262。
- ^ a b “鳥居龍蔵、小学校卒業していた 人類学者、自伝には「退学」”. 徳島新聞. (2016年1月22日) 2016年1月23日閲覧。
- ^ 斎藤忠『鳥居龍蔵の業績』[要文献特定詳細情報][要検証 ][要ページ番号]
- ^ 原田淑人 著「鳥居博士の思い出」、徳島県立鳥居記念博物館 編『鳥居龍蔵博士の思い出』(pdf)徳島県立鳥居記念博物館、1970年3月20日、6頁。 オリジナルの2020年9月21日時点におけるアーカイブ 。
- ^ a b 斎藤忠『鳥居龍蔵の業績』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
- ^ 『中国西南少数民族地帯を行く』
- ^ a b c 伊波普猷 鳥居龍蔵の沖縄調査に同行 - 徳島新聞 2022年2月3日
- ^ 中薗英助『鳥居龍蔵伝―アジアを踏破した人類学者』p. 128.
- ^ 鳥居龍蔵『有史以前乃日本』磯部甲陽堂、1918年。ASIN B0093E8TWU 。
- ^ 金関丈夫「弥生時代の始まり」260頁(佐原真、ウェルナー・シェタインハウス監修、独立行政法人文化財研究所編集『日本の考古学』上巻 学生社 2007年4月)
- ^ 星ヶ塔黒曜石原産地遺跡 文化遺産オンライン
- ^ a b c d 「この本おもしろかったよ!」『ある老学徒の手記』 朔北社出版部
- ^ 長野県史 考古資料編4 P2
- ^ a b 鳥居龍蔵著「ある老学徒の手記」/人類学の先駆者、飽くなき探究心 - 徳島新聞 2022年7月20日
- ^ 「天声人語」朝日新聞1953年1月18日付朝刊(東京本社版)、1頁
- ^ a b 斎藤忠『鳥居龍蔵の業績』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
- ^ 鳥居龍蔵『ある老学徒の手記』
- ^ 『鳥居龍蔵研究』第1号
- ^ 『人類学及人種学上より見たる北東亜細亜』
- ^ 『鳥居龍蔵全集』12巻、pp538。
- ^ 『鳥居龍蔵全集』12巻、pp238。
- ^ 山路勝彦『近代日本の海外学術調査』pp47
- ^ 中薗英助『鳥居龍蔵伝―アジアを踏破した人類学者』
- ^ 『満蒙を再び探る』
- ^ 斎藤忠『鳥居龍蔵の業績』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
- ^ 山路勝彦『近代日本の海外学術調査』pp51
- ^ 国立民族学博物館『鳥居龍蔵の見たアジア』佐々木高明
- ^ 賀喜格図, 包、Hexigetu, B. a. O.「下田歌子と内蒙古の近代女子教育について : 内蒙古カラチン右旗毓正女学堂の設立を中心に」。
- ^ “名誉市民・市民栄誉賞”. 鳴門市. 2016年11月5日閲覧。
鳥居龍蔵と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 鳥居龍蔵のページへのリンク