読売ジャイアンツ
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三冠王(投手・打者)
投手三冠王
巨人での投手三冠王の達成者は7人[82]。沢村栄治が日本プロ野球投手史上初の投手三冠王達成者である。また、ヴィクトル・スタルヒンが外国人投手として史上初の投手三冠王を達成している。
- 沢村栄治 :1回(1937年春)
- ヴィクトル・スタルヒン :1回(1938年秋)
- 藤本英雄 :1回(1943年)
- 中尾碩志 :1回(1955年)
- 江川卓:1回(1981年)
- 上原浩治 :1回(1999年)
- 菅野智之 :1回(2018年)
打者三冠王
巨人での三冠王の達成者は2人。中島治康は日本プロ野球打者史上初の三冠王達成者である。王貞治が外国人打者史上初の三冠王を達成している。また、王が日本プロ野球打者史上初および外国人打者史上初の三冠王を複数回達成している[83]。
最優秀選手受賞者(複数回)
投手の複数回受賞者
巨人の投手で最優秀選手を複数回受賞しているのは4人[84]。ヴィクトル・スタルヒンが外国人投手最多記録となる2回受賞を達成している。また、スタルヒンは日本プロ野球投手史上初および外国人投手史上初の複数回受賞者でもある。歴代の巨人投手の複数回受賞者で生え抜き投手では無いのは別所毅彦のみである。
- ヴィクトル・スタルヒン :2回(1939年、1940年)
- 別所毅彦:2回(1952年、1956年)
- 藤田元司:2回(1958年、1959年)
- 菅野智之:2回(2014年、2020年)
打者の複数回受賞者
巨人の打者で最優秀選手を複数回受賞しているのは5人。王貞治が日本プロ野球打者最多記録となる9回受賞を達成している。王の9回受賞は外国人打者最多記録でもある。長嶋茂雄が日本人打者最多タイ記録となる5回受賞を達成している。また、王が外国人打者史上初、アレックス・ラミレスが外国人打者史上2人目の複数回受賞者でもある。歴代の巨人打者の複数回受賞者で生え抜き打者では無いのはラミレスのみである。他球団での受賞も含めると小笠原道大がファイターズ時代に1回、巨人時代に1回で複数回受賞を達成している(打者としては唯一の両リーグでの受賞達成者でもある)[85]。
- 川上哲治:3回(1941年、1951年、1955年)
- 長嶋茂雄:5回(1961年、1963年、1966年、1968年、1971年)
- 王貞治:9回(1964年、1965年、1967年、1969年 1970年、1973年、1974年、1976年、1977年)※最多記録
- 松井秀喜:3回(1996年、2000年、2002年)
- アレックス・ラミレス:2回(2008年、2009年)
ユニフォームの変遷
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2013年1月) |
球団創立 - 水原監督時代
- 1935年 球団創立(大日本東京野球倶楽部)時の第一次米国遠征では、背番号を漢数字にしたユニフォームが使われた。左胸には「日の丸」をあしらったマークで「TOKYO」の文字が入り、右袖に(背)番号、左袖に漢字で「日本」と入る。色はグレー地。帽子は濃紺色でマークはオレンジで「T」。
- 1936年 - 1937年 球団名が「東京巨人軍」になり、第二次米国遠征[11]。背番号はアラビア数字に、胸のレターが花文字(一般に早稲田型ロゴという)で上に「TOKYO」下に「GIANTS」の2段組になっている。色はグレー地。帽子は濃紺色でマークは金糸で「G」[86]。帰国後は白地で胸に黒で「GIANTS」、帽子は白に濃紺のつばに黒の「G」マーク[87]。グレー地で同じ物が作られ、これを着用するときは帽子は濃紺色、「G」マークは赤に白を縁取った七宝で出来ていた。どちらも袖に黒のダブルライン、パンツはシングルのサイドラインになっている。
- 1938年 - 1940年 白いユニフォームをマイナーチェンジし、パンツのサイドラインをダブルに変更。このユニフォームが戦後V9を達成したときのユニフォームの原型となる。
- 1941年 太平洋戦争勃発の年、軍事色が濃くなりユニフォームの胸のレターも「GIANTS」から漢字の「巨」に変更された。白地とグレー地の二種類があり、帽子のマークも「巨」、国防色の戦闘帽タイプも作られた。
- 1945年 - 1947年 白地に胸にエンジ色ないしは黒で「GIANTS」と入った二種類のユニフォームが作られ、左袖には読売新聞社の当時の社章(丸に「賣言賣」と入る)が付いた。
- 1947年 - 1949年 戦前のユニフォームに近いスタイルに戻る。1936年 - 1937年に使用されたユニフォームに近いが、パンツのサイドラインがダブルになっている。白地とグレー地があるがグレー地のパンツには腰に番号(背番号と同じ)が入る。
- 1950年 日本で初めて野球ユニフォームにラグランスリーブを採用する[注釈 45]。
- 1951年 - 1952年 白地に胸ロゴ・背番号とも赤色の、子供受けを狙ったデザインが使用される。1951年途中から戦後から続いていた前立てラインが消えシンプルになった。ビジター用の左袖に初めて「TOKYO」の文字が入る。
- 1953年 - 1960年 巨人軍のチームカラーになるオレンジ・黒を採用する。1953年、初めての海外キャンプを行うために渡米した際、ユニフォームをウィルソン社に発注。出来上がったものはMLBのニューヨーク・ジャイアンツ(NYG)とデザイン、使用色等ほぼ同じものであった[88][89]。胸のロゴも従来の花文字からNYGと同じ書体に変わったが、このユニフォームはウィルソン社製のもの(戦前、第二次米国遠征に使用したものと同じく、二段組みで「TOKYO GIANTS」と表記した胸ロゴが入ったものも作られた)だけで、日本社製のものは従来の花文字が使用された。この年からビジター用の胸に「TOKYO」のロゴが入り、左袖に「GIANTS」と入ったユニフォームがお目見えした。ホームは白地、ビジターはグレー地だった(先述のウ社製のホーム用には、胸に「TOKYO」が入ったものも使用された)。この年の帽子のマークは東京の「T」とジャイアンツの「G」を組み合わせた「TGマーク」だったが、翌年に現在まで使用され続けているYGマーク(YとGを重ねたマーク)が登場する。
- 1959年、9月に、ライン・背番号・胸マークの縁を赤色にしたホーム用を採用。シーズン終了まで使用。翌年開始予定のカラーテレビ放送の試験放送に合わせての採用。
- 1960年、6月11日の対広島カープ戦からシーズン終了まで、カラーテレビ用として、帽子のつばに朱色、胸のロゴ・背番号に赤色・白縁・黒縁を取り入れたユニフォームが使用された。またこのユニフォームより胸ロゴの下に胸番号が付いた。
川上監督 - 第2次藤田監督時代
- 1961年 - 1974年 最も長期間にわたって使用されたデザイン(2016年現在)。黒とオレンジの組み合わせに戻り、ホーム用がクリーム地、ビジター用がブルーグレーになり、首、パンツに黒とオレンジのダブルのラインが入る。また首、ベルトループに黒とオレンジのラインが入り、川上哲治監督率いるV9時代(1965〜1973年)[注釈 46]に象徴される常勝巨人のシンボルとなる。長嶋茂雄引退、川上哲治監督勇退の1974年まで使用された。1972年頃、伸縮性に優れたニット生地に切り替わっている。
- 1975年 - 1980年 長嶋茂雄(第一次)監督就任に伴い、「GIANTS」「TOKYO」(胸ロゴ・左袖ロゴ)の書体がサンフランシスコ・ジャイアンツと同タイプのものになり、胸番号・背番号の書体も変わる。さらに首のライン、両袖およびパンツのラインがシングルになり太くなる。このデザインは現監督の原辰徳ら1980年度にドラフト会議で指名された選手の入団会見(原のみ単独)まで使用されている。
- 1976年より、ホーム用の左袖の「TOKYO」ロゴが「YOMIURI」に変わり、背番号の上に英文表記(ローマ字)の選手名が入る。
- 1981年 - 1992年 藤田元司監督就任に伴い、V9時代のタイプに戻るが、引き続き選手名が入り、ホーム用の左袖が「YOMIURI」となっている。マイナーチェンジを繰り返し、基本デザインは1992年まで使用された。
- 1984年のみ、球団創立50周年エンブレムが右袖に入る。
- 1986年より、ボタン式からプルオーバー式のVネックになる。
- 1990年より、ホーム用がクリーム地からオフホワイト地に変わる。
第2次長嶋監督 - 堀内監督時代
- 1993年 - 2005年 長嶋茂雄監督復帰により、モデルチェンジ。プルオーバー式からボタン式に戻り、首元から胸にかけてのラケットラインが入り、ベルトループのラインが消える。また、ビジター用がグレー地に変更され、帽子も黒からミッドナイトブルー(濃紺)に変更される。
- 1994年は球団創立60周年エンブレム、1995年・1997年は前年のリーグ優勝を記念したエンブレム、1996年はチームスローガン(チャレンジ)エンブレムをそれぞれ右袖に入れた。これらは全て、マスコットのジャビットをあしらったものである。
- 1997年 - 2001年頃、二軍のみ、コナミがスポンサーについたため、左袖の「YOMIURI」ロゴの上に、コナミのロゴが入ったワッペンがついた。
- 2001年、ホームゲーム3連戦の2日目に背部の選手名を外す「バックナンバーデーユニフォーム」を採用。
- 2002年 - 2004年 オープン戦や公式戦の試合前の練習用に限定したセカンドユニフォームをホーム、ビジター共に2004年まで使用。2003年から背部に選手名が入る[注釈 47]。さらに2002年7月1日より、読売グループの組織変更に伴い、球団を運営する会社が株式会社よみうりから株式会社読売巨人軍に移行(詳細は後述参照。)したため、ビジター用の胸ロゴが「TOKYO」から「YOMIURI」に変わり、胸番号・背番号の書体がImpact体に変わる。
- 2004年、ビジター用の胸番号・背番号の書体が従来の物に戻る。
- 2005年、ビジター用の胸ロゴが「YOMIURI」から、帽子と同一のYGマークが左胸につき、胸番号は右腹部に移る。
第2次原監督 - 高橋監督 - 第3次原監督時代
- 2006年 - 原辰徳監督復帰に伴い、1972年のニット生地化以来34年続いたデサント社製からアディダス社製になる。同時にデザイン変更。ホーム、ビジター共パンツにアディダスの3本線、右胸にアディダスのブランドロゴが入り、細めのストライプシャドー(3本線の縦縞)が入る。胸ロゴが早稲田書体から角ばった書体へ変更になり、同時に選手名も同様の書体に変わり、背番号の大きさがやや小ぶりになる。また帽子のツバのふちがオレンジ色になる。
- ホーム用は、書体以外の基本的なデザインは変わらない。
- ビジター用は、上着が黒、パンツがライトグレー(白色に近い)になり、ビジター用の胸ロゴもホーム用と同書体の「GIANTS」となり、胸ロゴ・胸番号・背番号がグレーに白の縁取りとなり、左袖は「GIANTS」からホーム用と同じ「YOMIURI」に変更。
- 2007年より、主将の右袖にキャプテンマーク(オレンジの丸に黒文字の「C」、横にオレンジ縁に黒のライン)が入る。
- 2006年 - 2007年、日曜日・祝日のホームゲーム限定で、デザインは白色ベースに「Giants」の筆記体文字(2002年 - 2004年に採用されたビジター用セカンドユニフォームで使われたものと同じロゴ)が取り入れられて、胸番号・背番号がゴシック風斜体のユニフォームを併用して使用。
- 2008年、当初交流戦のビジターゲーム限定で、ホーム用に似た、上下とも白に近いライトグレーのものを使用。両腋部に黒のカッティングが施されている。交流戦終了以降のビジターゲームでも使用され、2009年より正式に採用されることになった。
- 2010年のビジター用は上下ともにダークグレーとなり、脇のカッティング部も同色となった。この地色は前年に着用された「75周年記念ユニフォーム」(後述の限定版ユニフォーム参照)に使用されたものをベースとしている。
- 2011年からはビジター用の地色が「ライトオニキス」と呼ばれる明るいグレー色を採用。
- 2011年のみ、原辰徳監督自身の発案により東日本大震災犠牲者追悼と被災地復興への祈りを込めてホーム・ビジター両方のユニフォーム左袖に黒のリボン(喪章)を縫い付けることとなった[91]。
- 2013年、前年度のセ・リーグ優勝を記念して、右袖にチャンピオン・エンブレムが貼り付けられた[92]。
- 2014年より、球団創設80周年の節目として、ホーム用の胸ロゴの「GIANTS」が創設から70年間使用してきた字体(早稲田書体)に戻り、背ネームも2005年以来のゴシック体を採用(以前の字体より若干小さくなった)。左袖には日本一回数22回を表す大小2つずつの星マークが刺繍されている。ビジター用は、地色をグレーから1961年から1992年までの32年間使われた薄いブルー地に変更となる。ただし、胸ロゴの「GIANTS」は2006年より使用しているものをそのまま使用。
- 2014年、前年度のセ・リーグ優勝を記念して、右袖にチャンピオン・エンブレムが貼り付けられた[93]。
- 2015年より、アメリカの「アンダーアーマー(Under Armour)」製作のユニフォームに変更(ホーム用右胸に Under Armour のブランドロゴ入り)。1953年、戦後初めて胸に「TOKYO」の文字をあしらった当時のユニフォームをモチーフに、1993年から続いた胸のラケットラインと1960年から採用した胸番号を無くし、パンツのサイドラインがシングルになり、よりシンプルなユニフォームとなった。特にビジター用は、前年同様薄いブルー地そのままに、2002年以来13年振りに胸に「TOKYO」(早稲田型ロゴ)の文字が復活(ホーム用の書体は早稲田型ロゴのまま)、さらに背番号の書体が若干変更となり、ホーム用の背ネームは角張った書体に戻した[94]。また主将のユニフォームには前年までのキャプテンマークのデザインを一新し、それまでの右袖から左袖の「YOMIURI」の上に刺繍された[95]。
- 2015年、前年度のセ・リーグ優勝を記念して、右袖にチャンピオン・エンブレムが貼り付けられた。
- 2017年、マイナーチェンジ。"1953〜原点回帰〜"をコンセプトに、1953年当時のユニフォームにより近付けたものに変更。ビジター用が4年ぶりにライトグレー地に戻り、帽子つばのオレンジラインを廃止した[96]。
- 2021年より、ミズノ社製のユニフォームに変更。2014年以来となる胸番号が復活した[97]。また、ニューエラジャパンと球団史上初となるオフィシャルキャップ契約を締結した[98]。
- 2023年春季キャンプより、ナイキ製のユニフォームに変更し、背ネーム掲載と左脇腹の前番号がない「背番号のみ」となり、胸元のロゴ入りユニフォームになる[99]。背ネームをあしらわないことに関しては、2018年の原監督復帰会見において言及された「巨人軍は個人軍であってはならない」という考えを尊重したものであるという[100]。デザインは1953年 - 1960年の伝統的なスタイルを意識し、刺繍文字で高級感や重厚感を出しつつ、選手のパフォーマンスのために軽さや強さといった機能性を持たせたものとなった。
阿部慎之助監督時代
- 2024年 - 球団創立90周年を迎えるにあたり、ユニホームをリニューアル。球団創設90周年記念プロジェクトとしてキャップ等に使用されるイニシャルロゴを刷新し、デザインは世界的ジュエリーブランドであるティファニーが担当。ビジターは、以前のオレンジ基調のものから一新。グレーをベースに帽子には「TOKYO GIANTS」を意味する「TG」ロゴが1954年以来、70年ぶりに復活。ホームはお馴染みの「YG」ロゴの形がマイナーチェンジされた[101]。
- ビジター用はグレーを基調とし、黒と白を用いたデザインに一新。
限定版ユニフォーム
復刻ユニフォーム
- 2007年、5000勝達成記念企画として東京ドームで6月8日 - 6月11日に行われた東北楽天ゴールデンイーグルス・北海道日本ハムファイターズとの交流戦でV9時代のユニフォームをモチーフにした復刻ユニフォームを着用した。
- 当時のユニフォームとの違いは、右袖に5000勝記念ワッペンが入っていること。また、ヘルメットは通常のものをそのまま使用。
- 2009年、球団創立75周年記念行事の一環として、大日本東京野球倶楽部時代の第二次アメリカ合衆国遠征で採用されたユニフォームを復刻し、7月7日 - 7月9日の対横浜ベイスターズ3連戦において着用して試合に臨んだ[102]。
- 当時のユニフォームとの違いは、シャドウストライプが入っていることと、右袖にアディダスのロゴマーク(黒色)が入っていること。また、ヘルメットは2009年現在のものをそのまま使用する。
- 2010年8月にセ・リーグ主催で行なわれる「オールド・ユニフォーム・シリーズ」では、2リーグ分立後の1950年当時のものが復刻された。
- 2012年8月 - 9月にセ・リーグ主催で行なわれる「レジェンド・ユニフォーム・シリーズ」において当時の監督、原辰徳が入団した1981年当時のホーム用を復刻。
その他
- 2010年、7月19日からの対東京ヤクルトスワローズ3連戦限定で、中学生以下のファンによるユニフォームデザインコンテストでグランプリを獲得したものを基にしたユニフォームを採用した。
- 採用されたデザインは「ジャイアンツ スターズ」で、星と稲妻がちりばめられている。左胸に番号に入り、その下に「GIANTS」ロゴが入る。
- 2012年、読売巨人軍と読売新聞社は、巨人のオフィシャルパートナーであるアディダスジャパン株式会社とともに、新たなプロジェクト「橙魂(とうこん)2012」を実施。公式戦の主催7試合でオレンジのユニフォームを着用して試合を行った。なお、原監督や選手が実際に着用したユニフォームは、慈善オークションに出品して震災復興のための義援金とする。
- デザインとしては、普段使用するホーム用の上半身の部分のベースが白からオレンジ色。脇からわき腹の部分が白。「GIANTS」ロゴおよびロケットラインは、白縁に黒。なお、ズボンは普段のものを使用。
- 2013年、「橙魂2013」として、限定ユニフォームが主催する9試合で使用された。デザインはオレンジ色をベースに両方の肩口から袖の部分が白。なお、原監督や選手が実際に着用したユニフォームは、2012年同様慈善オークションに出品され、震災復興支援の義援金となる[103]。
- 2014年、「橙魂2014」として、限定ユニフォームが主催する8試合で使用された。デザインはオレンジ色、ラケットラインが黒・白・黒。なお、原監督や選手が実際に着用したユニフォームは、慈善オークションに出品され、震災復興支援の義援金となる[104]。
- 2015年、「橙魂2015」として、限定ユニフォームが主催する7試合で使用された。デザインはオレンジ色をメインに両脇腹に白、衿と袖口に黒・白・黒のライン、「GIANTS」ロゴは白縁に黒[105]。
- 2016年、「橙魂2016」として、限定ユニフォームが主催する7試合で使用された。デザインは全面オレンジ色で、衿と袖口に黒・白・黒のライン、「GIANTS」ロゴは白縁に黒[106]。
- 2017年、「橙魂2017」として、限定ユニフォームが主催する7試合で使用された[107]。
- 2018年、「橙魂2018」として、限定ユニフォームが主催する7試合で使用された。デザインは、袖が黒でほかは前面オレンジ色[108]。
- 2019年、「橙魂2019」として、限定ユニフォームが主催する7試合で使用された[109]。
- 2020年、「橙魂2020」として、限定ユニフォームが主催する3試合で使用された[110]。
- 2021年、「橙魂2021」として、限定ユニフォームが主催する数試合で使用された[111][112][113]。
- 2022年、「橙魂2022」として、限定ユニフォームが主催する数試合で使用された[114]。
- 2022年9月6日 - 8日のDeNA戦で、「Yohji Yamamoto」とのコラボ企画による、漆黒ユニフォームを着用[115]。
- 2023年、主催試合9試合限定で、黒色のサードユニフォームを着用[116]。
注釈
- ^ 日本で最初に設立されたプロ野球球団は日本運動協会。
- ^ 後楽園における巨人の初試合は翌12日の対大阪戦で、8対9で敗れている。
- ^ それまでも読売新聞との関係は深かったが、当時は鉄道事業者である京成電鉄が筆頭株主であり、球団主要株主に読売新聞社が名を連ねることはなく、経営上も一応独立していた。また、京成電鉄も筆頭株主だったとは言え、球団経営には一切関与せず、株を保有していたに過ぎなかった。現在の読売巨人軍は親会社である読売新聞グループ本社(持株会社)の完全子会社(事業子会社)であり、事実上読売新聞の一事業である。
- ^ 同一監督によるリーグ最下位の翌年にリーグ優勝は、日本プロ野球史上初。後に大阪近鉄バファローズの梨田昌孝が2001年に達成している。
- ^ 読売新聞で約30万部、報知新聞で約5万部の売上部数減少。
- ^ 同一球場での日本シリーズは日本プロ野球史上唯一。
- ^ 近鉄の第3戦勝利後、先発加藤哲郎が「巨人は(当時低迷していた)ロッテより弱い」と発言したことが、巨人を怒らせ逆転のきっかけとなったとされるが、加藤自身はそのような事は言ってないと発言している[16]。
- ^ セ・リーグに現存する6球団ではこの時が初で、2000年・2007年の優勝もサヨナラ勝利で決めている。
- ^ 同率2位の2球団で、前年は巨人は4位・阪神は最下位で、扱いは巨人は2位・阪神は3位である。とはいえ、この2球団で優勝争いから先に脱落したのは巨人の方である。
- ^ 西鉄時代を含めれば、1963年以来31年ぶりの日本シリーズ勝利となる。
- ^ 辞任に際してのセレモニーがないことに、阪神の星野仙一監督(当時)がたまたま最終試合は甲子園球場での試合だったために、「せめて花束贈呈をして、花道を飾りたい」と球団に直訴。そして、最後の試合を終えた後、球団史上、前代未聞の相手本拠地での辞任セレモニーが執り行なわれた。星野監督の花束贈呈のあと、原監督は男泣きをし、スピーチをした。そして、阪神ファンに温かく迎えられて無事にセレモニーを終えることが出来た。
- ^ それまでのプロ野球最高記録は1980年の近鉄の239本、セ・リーグ最高記録は1985年の阪神の219本だった。
- ^ 2004年と2005年のパ・リーグでシーズン1位のダイエー(ソフトバンク)ホークスがプレーオフで敗退し日本シリーズ未出場であるが、これはプレーオフ勝利チームをその年の優勝チームと定めていたためである。なお2010年のソフトバンク、2014年の巨人、2017年の広島、2018年と2019年の西武がいずれもリーグ優勝しながら、それぞれCSでロッテ、DeNA、ソフトバンクに敗れ日本シリーズ出場を逃している。
- ^ 7月8日時点でのゲーム差。日本プロ野球全体では1963年の西鉄ライオンズに次ぐ2番目。
- ^ その日は神宮球場で優勝を決めたのは史上初である。
- ^ この年の7月、球団ワースト新記録となる12試合連続2桁被安打を記録。
- ^ これは東京ドームの代替ではなく、震災発生前よりこの日の宇部での試合が決まっていた。
- ^ 過去に獲得したFA宣言選手の中で前年のMVPを獲得したのは2006年の小笠原以来だが、小笠原がいた日本ハムはパ・リーグの為、同一リーグのMVPと平成生まれのFA選手を獲得したのは史上初である。
- ^ マシソンはカナダ代表として東京五輪までプレー。
- ^ 亀井が9月25日、大竹が9月27日、中川が10月9日、増田が10月13日にいずれもケガで離脱し、4人共出場選手登録を抹消された10月13日から24日にかけての試合は3勝5敗2分である。
- ^ 因みに、これまで達成した球場とその内容は川上は中日スタヂアムで左安打、長嶋と柴田はいずれも神宮球場で左安打、王は甲子園球場で右安打、阿部は広島市のMAZDA Zoom-Zoom スタジアムで右安打だったため、坂本が東京ドームで二塁打以上の長打(実際に二塁打)で決めたのはいずれも球団史上初である。
- ^ シーズンの勝率は.598で6月から9月までは最低でも8月の.583止まりと6割から7割の高い水準をキープしていたが、10月の勝率は.417、11月の勝率は.429である。
- ^ 勝ち越しが15以上あった状況から勝率が5割に戻ったチームとその試合数は1942年の南海(27試合)、1948年の阪神(42試合)、1952年の大洋(61試合)、1959年の東映(37試合)、2012年のロッテ(56試合)と史上6チーム目である。
- ^ なおプロ野球で新人が開幕戦でセーブを挙げたのは1982年の山沖之彦(阪急)以来2人目である。
- ^ なお球団では72試合目で達成した1993年の石毛博史と2013年の西村を抜いて球団史上最速、プロ野球全体でも2017年に54試合で記録した楽天の松井裕樹に次いで2番目である。
- ^ これ以前にも5月6日に堀田が、翌日にシューメーカーがいずれも村上宗隆に満塁弾を打たれている。
- ^ 新外国人が同じ年に20本塁打に到達したのは、球団史上初である。
- ^ 前監督の高橋由伸が35本、作戦兼ディフェンスチーフコーチの阿部が33本、日本ハムからFAで移籍した小笠原が31本、李承燁が30本、二軍監督の二岡が20本である。
- ^ なお、その時の監督が05年は堀内、06年は原であり、21年と22年は原が務めていたので同一監督による2年連続シーズン負け越しは球団史上初である。
- ^ シーズンに4試合も0-1で敗れたのは62年5月、68年7月、71年7月、89年9月を抜いて球団史上最多で、プロ野球史上最多タイでもある。
- ^ 厳密には1938年のスタルヒン、1999年のガルベス、2009年のグライシンガー、2017年のマイコラスに次いで5人目だが、スタルヒンは1934年に前身の大日本東京野球倶楽部に、ガルベスは1996年に、グライシンガーは前年の2008年に、マイコラスは2015年にいずれも入団して1年は経っている為、新外国人が開幕投手を務めたのは球団史上初である。
- ^ アジアシリーズの振り替え大会。
- ^ 2021年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から延長戦が無かった。延長戦がある年では1978年の16分が最多。
- ^ 1954年にコーチ、1955年に技術顧問。
- ^ 応召で退任。
- ^ 選手兼任。中島就任後は選手専任に復帰、1956年・1957年にコーチ・二軍監督。
- ^ 選手兼任。
- ^ 1949年4月15日から7月23日は中島治康が代行。
- ^ 1950年は選手兼任。1960年10月は川上哲治が代行。
- ^ 1981年7月1日は王貞治が代行。
- ^ この年FAで移籍した江藤が背番号33をつけるため、自らの永久欠番の3をつけた。
- ^ 2014年5月5日、2015年4月15日 - 19日は川相昌弘が代行。
- ^ 野村克也は2012年に名誉監督を退任した。
- ^ 当時福岡ソフトバンクホークス監督だった王は現場を離れられないということで次女の王理恵が代理出席。なお、黒沢の遺族は消息がつかめなかったという。
- ^ このラグランスリーブのユニフォームを製作したのは、スポーツ用品店でなく、「銀座テーラー」という老舗の紳士服専門店であった。
- ^ 銀座テーラー製→玉澤(TAMAZAWA)製→デサント製と時期により異なる。
- ^ 協約上は正式に公式戦でも使用可能なユニフォームとして登録されていた[90]
- ^ 2018年5月28日にアメフト部のタックル問題で批判を浴びていたため、契約を解除したと発表した[118]。
- ^ 廃止されたものを含めると中日の旧球団歌「ドラゴンズの歌」、東急→東映の旧球団歌「フライヤーズの歌」も作曲しており、1963年から1973年までの10年間はNPB全体の3分の1が同一作曲者の球団歌を使用していたことになる。
- ^ 一部の文献では「阪神タイガースの歌」と同じ佐藤惣之助の作詞と紹介される場合があるが、実際に佐藤が関わっていたのかは不明。
- ^ なお、読売ジャイアンツ以外の例外として、「広島カープ」が「広島東洋カープ」に改称した後もそれまでの呼び方を引き継いで「東洋」ではなく「広島」という略称で一般的に呼ばれている。
- ^ “プロ野球ポスター 1リーグ時代図録”. 野球殿堂博物館. 2017年5月7日閲覧。収蔵されているポスターをみると、戦前、戦中、チーム名変更以降も「巨人」という略称が使われているのが確認できる。
- ^ 例外として、藤田元司は現役引退後、巨人監督に就任する前に2年間大洋のコーチを務めた経験がある。また、球団初代監督である藤本定義はプロ選手としての経験がないため他球団OBではなく、巨人軍生え抜き扱いとなっている。なお、過去には阪神の監督を退任した他球団OBである星野仙一を招聘する案が出たこともあったが、OBを中心に多くの反発があり立ち消えとなった[137](星野はその後東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任した)。
- ^ 前身の南海・ダイエー時代は9勝1敗と大幅に勝ち越している。
- ^ 東北楽天ゴールデンイーグルスの球団創設は2005年、2004年オフに消滅した大阪近鉄バファローズの最後のリーグ最下位は2000年のため、除外[141]。
- ^ 2018年の交流戦最高勝率球団はヤクルト。
- ^ 長嶋が「ミスタープロ野球」と呼ばれているのは、敬意の他にこのマスコットと混同しないという目的も当初あったが、現在ではそう呼ばれることが通例となった。
- ^ 画家(1919年生まれ)。日本水彩画会審査委員、日展水彩作家協会委員。
- ^ 後の千葉ロッテマリーンズにつながる球団は、当時は大映を親会社とする『東京オリオンズ』だった。ロッテは1969年から命名権に準じるスポンサーとして参加し、球団名を『ロッテオリオンズ』としたが、大映が倒産寸前となった1971年から正式に球団を保有し、1992年から現在の球団名となっている。
- ^ 例外として、藤田元司は現役引退後、巨人監督に就任する前に2年間大洋のコーチを務めた経験がある。また、球団初代監督である藤本定義はプロ選手としての経験がないため他球団OBではなく、巨人軍生え抜き扱いとなっている。なお、過去には阪神監督を退任した他球団OBである星野仙一を招聘する案が出たこともあったが、OBを中心に多くの反発があり立ち消えとなった[149](星野はその後楽天の監督に就任した)。
- ^ 前身の南海・ダイエー時代は9勝1敗と大幅に勝ち越している。
- ^ 2018年の交流戦最高勝率球団はヤクルト。
- ^ 「巨人軍憲章」とも呼ばれる遺訓のうちの1つで、残りは「巨人軍は常に強くあれ」「巨人軍はアメリカ野球に追いつけ、そして追い越せ」で計3か条である。
- ^ もっとも近年では、バラエティ番組などで、監督・コーチを含めて場合により私服でのテレビ出演も行っている。
- ^ 2012年シーズン時は、日本の現在の電力事情を考慮し、ノーネクタイでの遠征も認められた。
- ^ なお、堀内自身も監督就任後にチームの気分転換を図るため、ひげを蓄えた時期があった。
- ^ 大阪タイガースの親会社であったが、戦前は球団の親会社が他球団に出資しても問題はなかった。逆に読売新聞社が大阪タイガースに出資していた。
- ^ 1934年に開催された日米野球の阪神甲子園球場の未払使用料(阪神側から見ると未収入金)を出資金に振り替えたもの。
- ^ 南海ホークスとの日本シリーズでは元のユニフォームが使用された。
- ^ かつては札幌、福岡(ライオンズが去りホークスが来るまでの1979年から1988年の間)をフランチャイズとする球団がなく、また「テレビ中継と言えば巨人」の時代であったため、当時の札幌や福岡での巨人戦のチケットはプラチナチケットで争奪戦となっていた。だが、後にそれらでフランチャイズとする球団が現れてからは地元の球団に人気が集中し相対的に巨人の人気が下がったことで、観客動員にも影響したために開催するメリットが薄れたことで休止となった。
- ^ 2011年のみ、東日本大震災の影響で、10月に延期したうえで会場を京セラドーム大阪に変更して開催された。
- ^ 2012年より都市対抗は7月(中旬から下旬)の開催に戻っている。
- ^ 2013年に照明が設置され現在はナイターの開催が可能となっており、日本ハムは同球場での試合をナイターで開催している。
- ^ 2002年度の北海道シリーズ(札幌ドーム)では、FIFAワールドカップ日韓大会(札幌ドームが会場の1つ)の関係で3試合ともデーゲーム開催だった。また、2004年9月23日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)もデーゲームで開催された。
- ^ これは2000年代後半以降、日本テレビのゴールデン・プライムタイムのレギュラー番組が安定した視聴率を保っており、そちらを優先する編成の意向がある。特に土日はナイターの場合日本テレビでの放送は行わず、稀にNHK総合が放送する程度である。
- ^ 2002年 - 2004年までの間は21:54までの最大60分だった。
- ^ チーム名は連盟規定により地域に由来する名称+ボーイズであるため、多摩川ボーイズと命名された。
- ^ 当初のタイトルは「九番打者」として少年サンデー(小学館刊)に連載された。
- ^ 前身の『かっとばせ!キヨハラくん』においても「東京カイアンツ」というパロディで登場している。
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