読売ジャイアンツ/SFジャイアンツでのスカウト活動
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アメリカ陸軍を退役後、1951年に読売ジャイアンツの国際担当に就任。セ・リーグの有力選手をサンフランシスコ・シールズの春キャンプに送り込む。小鶴誠(松竹)、川上哲治(巨人)、藤村富美男(阪神)、杉下茂(中日)の4選手が参加。また、ハワイ出身の日系二世、与那嶺要をサンフランシスコ・シールズから獲得する。翌年は広田順、西田亨、1953年には柏枝文治、松岡光雄、1955年は宮本敏雄と、ハワイ出身選手を次々に読売ジャイアンツにスカウトする。 1960年には力道山の要請でリキ・エンタープライズ副社長に就任する。 1964年、サンフランシスコ・ジャイアンツの極東スカウト担当として、傘下のマイナーチーム・1Aフレズノに野球留学していた村上雅則投手を獲得する。村上は8月31日にメジャーに昇格、翌9月1日のニューヨーク・メッツ戦に日本人として初めてメジャー登板を果たし、この年は9試合に登板して1勝1S、防御率1.80の好成績をおさめた。
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