読売ジャイアンツ キーワード

読売ジャイアンツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 05:16 UTC 版)

キーワード

常に紳士たれ

スタイル

正力松太郎が「巨人軍は常に紳士たれ」という言葉[注 39]を残したように、巨人の選手は社会人、そして人間として模範となることを求められており、テレビ出演や移動の際はスーツネクタイ着用が義務付けられてきた[注 40][注 41]清原和博の著書『反骨心』によると、荷物の持ち方も決まっている。

ヒゲを生やすこと、染髪、長髪も好ましくないとされる。しかし、ヒゲに関しては容認されることも多く、現役末期に移籍した、高橋直樹、第2次長嶋監督時代に移籍した屋鋪要、生え抜きでは村田真一入来祐作杉山直輝門奈哲寛などのほか、ロイド・モスビー(長嶋就任の前年より所属)、ジェシー・バーフィールドヘンリー・コトーダン・グラッデン(ヒゲに加え長髪)、シェーン・マックバルビーノ・ガルベスドミンゴ・マルティネスなど多くの選手がヒゲを生やしプレーした。第2次長嶋監督時代以外では仁村薫、日ハム時代ヒゲがトレードマークだった小笠原道大、外国人選手では大洋時代に「ライオン丸」と形容される顎ヒゲがトレードマークのジョン・シピンや、サンフランシスコ・ジャイアンツから移籍してきたMLB通算314本塁打レジー・スミス、近鉄バファローズから移籍してきたタフィ・ローズコーンロウとヒゲを例外として認めた(シピンはキャンプ前に短髪にしヒゲを剃り[145][146]、小笠原は入団会見前に男のけじめと語りヒゲを自ら剃った[147][148])。 シーズンオフ限定という条件付きによる球団からの許可で、高橋由伸が金髪やヒゲ、元木大介が茶髪にしたことがあった。

刺青も推奨されていない。両腕に刺青のあるディッキー・ゴンザレスは夏場でも常に長袖のアンダーシャツを着用し、見えないようにしていた。

また、清原和博が巨人在籍時代ピアスを付けていたが、OBを中心に「外すべきだ」という意見が存在した。 上原浩治に関しては、宮崎キャンプへ出発する際にスーツ着用ではあったが、百貨店の紙袋に荷物を詰め込んでいた。

野村克也は自著『巨人軍論』で、上記のような「紳士野球」については肯定的見解を示し、自身が監督を勤める際も茶髪、ピアス、入れ墨他を禁じている。また、堀内恒夫が監督就任後に茶髪やピアスのみを承認した[注 42]時はかなり否定的な意見を発した。野村曰く「強いチームを作るには厳しいルールが必要で、選手は茶髪・ピアス・入れ墨ではなく、プレーでこそ目立つべきだ」と主張している。また、厳しいルールの下で人間性が鍛えられ、それが野球に良い影響を与えるとしている。

登録名

1994年のイチローパンチを契機に日本人選手の愛称による登録名が流行した際、巨人も多分に漏れず、河野博文の登録名をあだ名の「ゲンチャン」(北京原人に似ているため[149])で申請したが連盟に却下された[150]。セリーグ理事会は、「ゲン」なら受け付けるとしていた[150]が、巨人は応じず、一転して現在では登録名自体を球団として認めない方針を取るようになった[151][152][153]、カツノリ(野村克則)やサブロー(大村三郎)[153]も巨人への移籍にあたって登録名を本名に戻している。

なお通常の氏名ならば本名以外の登録名は認められている。通名新浦壽夫(入団時、後に日本に帰化)や、縁起担ぎでの漢字変更の亀井善行(亀井義行)や片岡治大(片岡保幸)、同音異字の苗字を持つ選手である太田(おおた)龍との混同防止対策とした大勢(翁田(おうた)大勢)らがこれに当たる[154]

外国人やそれに類する選手では、ジェレミー・ゴンザレスが、すでに在籍していたルイス・ゴンザレスおよびジェレミー・パウエルと混同しないように「GG」(読みは「ジー・ジー」)となった例や、マイケル中村が登録名を日本ハム時代と同じ「MICHEAL」に変更した例、ギャレット・ジョーンズが、「ジョーンズ」だと登録例が多いことから、よりインパクトを強める形で「ギャレット」となった例[155]などがある。

ジャイアンツタイム

「ジャイアンツタイム」という定刻の30分前に選手・スタッフが集合する暗黙のルールが存在する[156]。遅刻魔[157]と評される松井秀喜はほとんどがこの「ジャイアンツタイム」に遅れていたとの指摘もある[158]

伝統の一戦

主にマスコミなどで、対阪神タイガース戦を「伝統の一戦」と表現されることがある。読売ジャイアンツが“日本初のプロ野球球団”、阪神タイガース(創立当時は「大阪タイガース」)が“第2のプロ野球球団”だったためである。阪神が登場するまで読売は対戦相手がいなかった。

球団運営会社

株式会社読売巨人軍(よみうりきょじんぐん、: Yomiuri Giants Co.,Ltd.)は、読売ジャイアンツの球団運営会社である。

株式会社読売巨人軍
Yomiuri Giants Co., Ltd.
種類 株式会社
略称 読売ジャイアンツ、読売、ジャイアンツ、巨人、巨人軍
本社所在地 日本
100-8151
東京都千代田区大手町一丁目7番1号
読売新聞ビル[159]
設立 2002年7月1日
業種 サービス業
法人番号 7010001079225
事業内容 プロ野球競技の運営並びに選手の指導、養成など
代表者 取締役オーナー 山口寿一
社外取締役オーナー代行 松田昇
代表取締役会長 石井一夫
代表取締役社長兼編成本部長 今村司
従業員数 196名
主要株主 読売新聞グループ本社 100%
関係する人物 正力松太郎(創立者)、正力亨(2代目オーナー)、長嶋茂雄(専務取締役終身名誉監督)
外部リンク 読売巨人軍オフィシャルウェブサイト
特記事項:創立は1934年12月26日(株式会社大日本東京野球倶楽部として)。2002年7月1日に株式会社よみうり(当時の読売ジャイアンツの運営会社)を会社分割して設立。
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ジャイアンツの運営会社は複雑な変遷を辿っている。1934年に大日本東京野球倶楽部が発足したとき、読売新聞は大いにバックアップを行ったが、実際の出資額は僅少で、あくまで正力松太郎の関係による独立企業であった(筆頭株主は正力も一時期出向で在籍していた京成電鉄であった。出資株数としては、東芝阪神電気鉄道[注 43][注 44]東京急行電鉄吉本興業がこれに続いていた)。1947年2月、読売新聞社が全株式を買収し、完全に系列下。球団旗の右肩に「讀賣」の二文字が入り、社名を「大日本東京野球倶楽部」から「読売興業」に改めたが、1950年1月に「読売巨人軍」(第1期)として分離。しかし僅か1年2か月で読売興業に吸収されている。

1963年、読売新聞は九州に進出するに当たり、読売興業に読売会館(当時の有楽町そごう〈現ビックカメラ有楽町店〉や当時の読売新聞東京本社ビル〈現プランタン銀座〉の保有・管理会社)を合併させ、読売興業内に事業本部としての「読売新聞西部本社」を設けた。先が見えない九州での新聞事業の赤字をプロ野球興業と不動産の収入で補填するとの意図であったが、この結果読売興業はプロ野球、不動産、新聞の3事業を抱えるコングロマリット(複合型企業)となった。1988年には経営不振の中部読売新聞社から東海地方での新聞事業を受け継ぎ、「読売新聞中部本社」としている。2002年7月の読売新聞グループの再編により、「よみうり」(1992年6月に読売興業から改称)は新聞事業を読売新聞東京本社中部支社(中部本社が読売新聞社改め読売新聞東京本社に吸収)と読売新聞西部本社に分割してプロ野球専業となり「読売巨人軍」(第2期)の社名が復活した。これに伴いビジター用ユニフォームの胸マークも「TOKYO」から「YOMIURI」に変更となった(2004年まで使用)。

試合開催などの興行関係は、運営会社がプロ野球専業となって以降、読売新聞社日本テレビ放送網報知新聞社スポーツ報知)の3社に委託しているため、「主催」に直接名を連ねていない。

当初の背番号

戦前の巨人軍は基本的に、ニューヨーク・ヤンキースに倣って打順によって背番号を決めていた。

例えば1936年夏季の場合、1番・田部武雄(上層部との対立により公式戦参加前に退団したので、その後は林清一が受け継いだ)、2番・津田四郎、3番・中島治康、4番・永沢富士雄、5番・伊藤健太郎までは背番号と打順が一致する。当時の巨人軍には背番号6の選手がいなかったため、6番は背番号7の筒井修、7番は背番号8の白石敏男が「繰り上がり」、8番は捕手、9番は投手が入るのが基本オーダーだった。背番号9の山本栄一郎をはさんで捕手の背番号は10番から始まり、10番が中山武、11番が内堀保、12番が倉信雄と続いていた。13番からが投手の背番号で、青柴憲一(13番)、沢村栄治(14番)、畑福俊英(15番)と続く。再び16番が欠番でヴィクトル・スタルヒン(17番)、前川八郎(18番)と続いた。秋季以降に加入した選手はヤンキース方式の背番号が適用されず、19番は田部と同様に上層部との対立により退団したもののその後復帰した水原茂、林が1番に変更して空き番となった20番は青森林友から入団したチーム初の左腕投手・成田友三郎、21番は助監督として入団したものの夏季のチームの不甲斐なさに現役復帰を決意した三原修がつけ、藤本定義監督がチーム最大となる22番をつけた。

選手が増えたため1938年以降はこの基本から外れることが多くなったが、川上哲治が16番をつけたのはヤンキース方式の背番号の名残で、川上が投手として入団した証拠とも言える。

カラーテレビ用ユニフォーム

1957年、正力松太郎オーナーが会長を務める日本テレビカラーテレビ試験放送を開始した。正力はカラーテレビを普及させるためのアイディアとして、巨人のユニフォームを変更した。

最初の変更は1959年9月。袖のオレンジ×黒×オレンジのライン、背番号、胸の「GIANTS」の縁取りが赤に変更された。しかしこの変更はホーム用のみでビジター用は従来通りのユニフォームが使われたため、ファンにも気付かれることのないままこの年の公式戦終了と同時に元のユニフォームに戻された[注 45]

次にカラーテレビ用ユニフォームが登場したのは1960年6月11日。ホーム用・ビジター用ともに帽子のつば・胸のロゴ・背番号が赤いユニフォームで、それまでの巨人のチームカラーを覆すものだった。当時のカラーテレビは白いものが映るとハレーションが起こったため、ホーム用の地色もドーラン効果を狙ってベージュに変更された。

しかしこのユニフォームは選手の評判も悪く、全員で号令をかけあって一斉に着替えたとも伝えられている。反対意見を言う選手はいなかったもののその声を代弁したのが解説者たちで、三宅大輔は「考え方が逆。これではカラーテレビのためにプロ野球があるようなものだ」、また小西得郎も「クリーブランド・インディアンスミルウォーキー・ブレーブスの真似で、ジャイアンツらしくない」と批判した。

このようにカラーテレビ用ユニフォームは世間の評判が悪かった上、前年まで6年連続最下位だった大洋ホエールズにリーグ優勝をさらわれたこともあって、このユニフォームもこの年限りでお役御免となった。当時の東京23区にはカラーテレビが100台ほどしかなく、当初の目的だった「カラーテレビの普及」にも貢献することが出来なかった(カラーテレビが普及するきっかけとなったのは1964年の東京オリンピックである)。

50番トリオ

1983年に若手選手として成長目覚ましい槙原寛己、駒田徳広、吉村禎章の3人が背番号にちなんで50番トリオと呼ばれた。背番号50の駒田は4月10日に日本プロ野球史上初の初打席満塁本塁打を放つ衝撃的デビューを飾って規定打席未到達の199打席で打率.286・12本塁打を放ち、特に満塁機で10打数7安打と強く、満塁男の異名を取った。背番号54の槙原は初登板で初完封勝利を収め、12勝を挙げる活躍で新人王を受賞した。背番号55の吉村は104打席に留まったが、プロ1号本塁打から3打席連続本塁打を放つなど打率.326・5本塁打の成績を残した。この年に巨人はセ・リーグ優勝を果たし、期待の若手として注目された。吉村は86年から背番号7、槙原は87年から背番号17、駒田は88年から背番号10に変更した。

主催ゲーム開催方法関連

地方球場開催

かつては地方都市の球場での開催も積極的に行い、特に北海道シリーズ(円山旭川札幌ドームでの2 - 3連戦)、九州シリーズ(平和台北九州福岡ドーム熊本など)、隔年で北陸シリーズ(金沢富山県営富山市民(アルペンスタジアム)福井などでの2 - 3連戦。富山が正力松太郎の出身地であることから継続して開催されてきた)、東北シリーズ(盛岡仙台郡山などでの2 - 3連戦)を率先的に実施してきた。また秋田青森市営なども開催していた。

東京ドームが開場してからは、同球場での試合(かつ21世紀初頭頃まではほぼナイトゲーム)を中心に編成したため、東北シリーズ・北陸シリーズは廃止となり、さらに北海道や九州のシリーズも会場を1カ所(福岡ドーム・札幌ドームでナイターのみ)に絞る形にして試合数を減らしていた(2004年度には九州シリーズの1試合に、ジャイアンツのキャンプ地である宮崎での開催がある)。

ただ、地方開催をほぼ廃止したことが災いし、ファン離れが深刻になったことから、2005年以降は東北シリーズ・北陸シリーズを復活させるなど、再び地方都市での開催を増やしている。ただし、このうち札幌と福岡に関しては、2005年以後はセ・パ交流戦が組まれ、パ・リーグ側の球団が主催する試合で(ビジターとしてではあるが)遠征することが恒例になったため、巨人主催によるこれらの地域での試合は2010年以後開催されていない。ただし、球団側は廃止ではなく『休止』扱いとしている[注 46]。また、東北シリーズのうち仙台での試合においても、こちらもフランチャイズとする球団が現れたこともあり、同じように交流戦で対処できるために、2008年以降は開催されていない。

現状では、毎年京セラドーム大阪で1カード(基本2試合)が組まれているほか、毎年ないし隔年で東北シリーズ(宮城球場以外)と北陸シリーズ、九州シリーズ(福岡ドーム以外)が、またそれ以外にも近畿(甲子園以外)・東海(ナゴヤドーム以外)・中国(広島以外)・四国のいずれかで1試合(京セラドーム大阪とのセット)が組まれており、これらで年間8 - 9試合(2016年は7試合)が地方開催として行われている。地方開催の試合数はセ・リーグでは阪神が最も多い(9 - 10試合)が、阪神はそのほぼ全てが大阪ドームのため、開催球場ベースでは巨人が最も多い。

長期ロード

都市対抗野球大会が東京ドームで開催されるため、開催期間中とその前後の2週間は、基本的に長期ロードが毎年組まれている。この間、巨人は主催試合を地方球場で行う。特に、同大会が8月下旬から9月初旬の開催(2002年 - 2010年[注 47])であった時には必ず1カードは巨人主催による地方遠征が行われた。例として2007年は、札幌ドームでの主催試合を含め、11試合を東京ドーム以外で行った(8月24日 - 9月6日)。

都市対抗が7月下旬から8月初旬の開催であった頃も長期遠征があったが、この時はオールスターを間に挟んだり、また自宅から球場へ通うことができる関東圏の他のビジターでの試合も行われることも頻繁にあったため、主催試合はなかった[注 48]

大阪ドームでの主催ゲーム

関東以東の球団が近畿圏各地でホームゲームを行う機会は1952年にフランチャイズ制度が確立してからはまれで、確立当初、球場難等を理由に西京極大阪などでいくつかのチームが試合をした程度であった。特に1955年の大映スターズは西京極で15試合を開催し、事実上準本拠としていた(親会社の大映が京都太秦に撮影所を持っていたことも関係している)。

巨人もフランチャイズ確立前は近畿圏の球場でもホーム扱い(後攻)となる試合がまれにあったが、それが確立されてからは近畿圏でのホームゲームを行う機会は西京極球場でのオープン戦(主に対阪神戦)を除き、ほとんどなかった。しかし、1997年に大阪ドームが竣工し、同年には読売新聞大阪本社の創刊45周年も重なったため、ヤクルトを帯同した公式戦2試合を同球場で開いた。その後大阪ドーム(京セラドーム大阪)ではほぼ毎年開催するようになった。2002年以後は東京ドームで開く都市対抗野球大会の開催時期が8月下旬から9月初めに移動したためによる処置であった。2012年以後は都市対抗開催期間における長期ロード中の7月に組まれている。なお、2006年、2007年、2010年及び2013年は4月、2021年は9月に開催されている。2022年は8月末に開催予定である。また、2007年と2013年に関しては、同一リーグである阪神がフランチャイズとする兵庫県下(神戸)でも組まれた。2020年は公式戦では新型コロナウイルス感染拡大の影響により中止となったが、日本シリーズ期間中に東京ドームで都市対抗野球大会が行われるため、大阪ドームでの開催となった。

なお、対阪神戦は公式戦に限れば大阪・神戸では巨人・阪神のいずれの主催でも開催実績がない(オープン戦では阪神主催で神戸での開催実績がある)。

本拠地でのデーゲーム開催

後楽園球場時代は夏場を除き日曜日や大型連休中にはデーゲームが開催されていたが、東京ドームが開業した1988年以降は、初期に開幕シリーズや大型連休中などで部分的に開催したことはあるものの、地上波でのテレビ中継による多額の放映権料収入が見込めるためデーゲームで開催されることは無くなり、地方開催も含めてほぼ全ての主催試合がナイトゲームとなった。デーゲームはナイター設備がない札幌円山球場・旭川スタルヒン球場[注 49]での北海道シリーズ(現在は札幌ドーム)と、優勝チーム決定後の消化試合で組まれる程度となっていた[注 50]

その後は、視聴率の低下で地上波によるテレビ中継が減少したことでナイター開催のメリットが減少したことや、観客の来やすさを配慮して、週末と休日には再びデーゲームでの開催が増加しており、現状では概ね年間20試合程度がデーゲーム開催となっている。なお、東京ドームは屋内球場であるため、夏場でもデーゲームが組まれている。

試合開始時刻は原則として14:00であるが、2022年4月3日はプロ野球公式戦終了後に全国高等学校女子硬式野球選抜大会決勝戦を行うことが決まったため、当日の対阪神3回戦は13:00開始であった。

ナイターの6時半開始

巨人軍のナイター開催は長年午後6時に設定されてきたが、2012年7月25日に行われたDeNA戦で試行的に7時開始で行った。これは、この前日まで第83回都市対抗野球大会が開催され、その会場の応援ステージの撤去などの諸作業を行うのと、ファンから「会社帰りでも試合開始から試合が見たい」との意見があったことから、この1試合限定で行った。

2013年についても、7月から8月の5試合で「630ナイター」と銘打って、6時30分からの試合開始に設定した。これも前日の7月23日まで第84回都市対抗野球大会が行われたための撤収作業と、ファンからの要望によるもの。特に期間中の2試合で生ビールを800円から400円に半額とするサービスも行われる[160]

2014年も、7月の5試合で「630ナイター」として継続し、6時30分からの試合開始に設定。これも、第85回都市対抗野球大会の開催準備とファンからの要望に応えたもの。

ただし、過去にもナイター黎明期のころは午後7時開始が多く存在した。


  1. ^ 1954年にコーチ、1955年に技術顧問。
  2. ^ 応召で退任。
  3. ^ 選手兼任。中島就任後は選手専任に復帰、1956年・1957年にコーチ・二軍監督。
  4. ^ 選手兼任。
  5. ^ 1949年4月15日から7月23日は中島治康が代行。
  6. ^ 1950年は選手兼任。1960年10月は川上哲治が代行。
  7. ^ 1981年7月1日は王貞治が代行。
  8. ^ 2014年5月5日、2015年4月15日 - 19日は川相昌弘が代行。

注釈

  1. ^ 後楽園における巨人の初試合は翌12日の対大阪戦で、8対9で敗れている。
  2. ^ それまでも読売新聞との関係は深かったが、当時は鉄道事業者である京成電鉄が筆頭株主であり、球団主要株主に読売新聞社が名を連ねることはなく、経営上も一応独立していた。また、京成電鉄も筆頭株主だったとは言え、球団経営には一切関与せず、株を保有していたに過ぎなかった。現在の読売巨人軍は親会社である読売新聞グループ本社(持株会社)の完全子会社(事業子会社)であり、事実上読売新聞の一事業である。
  3. ^ 同一監督によるリーグ最下位の翌年にリーグ優勝は、日本プロ野球史上初。後に大阪近鉄バファローズ梨田昌孝が2001年に達成している。
  4. ^ 読売新聞で約30万部、報知新聞で約5万部の売上部数減少。
  5. ^ 同一球場での日本シリーズは日本プロ野球史上唯一。
  6. ^ 近鉄の第3戦勝利後、先発加藤哲郎が「巨人は(当時低迷していた)ロッテより弱い」と発言したことが、巨人を怒らせ逆転のきっかけとなったとされるが、加藤自身はそのような事は言ってないと発言している[16]
  7. ^ セ・リーグに現存する6球団ではこの時が初で、2000年・2007年の優勝もサヨナラ勝利で決めている。
  8. ^ 同率2位の2球団で、前年は巨人は4位・阪神は最下位で、扱いは巨人は2位・阪神は3位である。とはいえ、この2球団で優勝争いから先に脱落したのは巨人の方である。
  9. ^ 西鉄時代を含めれば、1963年以来31年ぶりの日本シリーズ勝利となる。
  10. ^ 辞任に際してのセレモニーがないことに、阪神の星野仙一監督(当時)がたまたま最終試合は甲子園球場での試合だったために、「せめて花束贈呈をして、花道を飾りたい」と球団に直訴。そして、最後の試合を終えた後、球団史上、前代未聞の相手本拠地での辞任セレモニーが執り行なわれた。星野監督の花束贈呈のあと、原監督は男泣きをし、スピーチをした。そして、阪神ファンに温かく迎えられて無事にセレモニーを終えることが出来た。
  11. ^ それまでのプロ野球最高記録は1980年の近鉄の239本、セ・リーグ最高記録は1985年の阪神の219本だった。
  12. ^ 2004年と2005年のパ・リーグでシーズン1位の福岡ダイエー(福岡ソフトバンク)ホークスがプレーオフで敗退し日本シリーズ未出場であるが、これはプレーオフ勝利チームをその年の優勝チームと定めていたためである。なお2010年の福岡ソフトバンク、2017年の広島、2018年と2019年の埼玉西武がいずれもリーグ優勝しながら、それぞれCSで千葉ロッテ、横浜DeNA、福岡ソフトバンクに敗れ日本シリーズ出場を逃している。
  13. ^ セ・リーグで唯一200イニングを達成したグライシンガーが東京ヤクルト時代の16勝から1つ勝ち星を伸ばして最多勝と最優秀投手を獲得し、内海も14勝を挙げたのが12勝と2つ減らすにとどまったが、高橋尚成が14勝を挙げたのが8勝、木佐貫が12勝を挙げたのが6勝、7勝を挙げた金刃と5勝を挙げた福田が勝利なしと前年52勝だった先発陣の勝利数が26勝と半分に減ってしまった。
  14. ^ 実際のホームラン数は177本にとどまったが、7月9日から最終戦までのホームラン数を144試合で換算すると218本になる計算である。
  15. ^ 7月8日時点でのゲーム差。日本プロ野球全体では1963年の西鉄ライオンズに次ぐ2番目。
  16. ^ その日は神宮球場で優勝を決めたのは史上初である。
  17. ^ この年の7月、球団ワースト新記録となる12試合連続2桁被安打を記録。
  18. ^ これは東京ドームの代替ではなく、震災発生前よりこの日の宇部での試合が決まっていた。
  19. ^ 過去に獲得したFA宣言選手の中で前年のMVPを獲得したのは2006年の小笠原以来だが、小笠原がいた北海道日本ハムはパ・リーグの為、同一リーグのMVPと平成生まれのFA選手を獲得したのは史上初である。
  20. ^ マシソンは、カナダ代表としては東京五輪までプレー。
  21. ^ 亀井が9月25日、大竹が9月27日、中川が10月9日、増田が10月13日にいずれもケガで離脱し、4人共出場選手登録を抹消された10月13日から24日にかけての試合は3勝5敗2分である。
  22. ^ 因みに、これまで達成した球場とその内容は川上は中日スタヂアムで左安打、長嶋と柴田はいずれも神宮球場で左安打、王は甲子園球場で右安打、阿部は広島市のMAZDA Zoom-Zoom スタジアムで右安打だったため、坂本が東京ドームで二塁打以上の長打(実際に二塁打)で決めたのはいずれも球団史上初である。
  23. ^ アジアシリーズの振り替え大会。
  24. ^ 2021年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から延長戦が無かった。延長戦がある年では1978年の16分が最多。
  25. ^ 野村克也は2012年に名誉監督を退任した。
  26. ^ 当時福岡ソフトバンクホークス監督だった王は現場を離れられないということで次女の王理恵が代理出席。なお、黒沢の遺族は消息がつかめなかったという。
  27. ^ このラグランスリーブのユニフォームを製作したのは、スポーツ用品店でなく、「銀座テーラー」という老舗の紳士服専門店であった。
  28. ^ 銀座テーラー製→玉澤(TAMAZAWA)製→デサント製と時期により異なる。
  29. ^ 協約上は正式に公式戦でも使用可能なユニフォームとして登録されていた[93]
  30. ^ 2018年5月28日にアメフト部のタックル問題で批判を浴びていたため、契約を解除したと発表した[115]
  31. ^ 廃止されたものを含めると中日の旧球団歌「ドラゴンズの歌」、東急→東映の旧球団歌「フライヤーズの歌」も作曲しており、1963年から1973年までの10年間はNPB全体の3分の1が同一作曲者の球団歌を使用していたことになる。
  32. ^ 一部の文献では「阪神タイガースの歌」と同じ佐藤惣之助の作詞と紹介される場合があるが、実際に佐藤が関わっていたのかは不明。
  33. ^ なお、読売ジャイアンツ以外の例外として、「広島カープ」が「広島東洋カープ」に改称した後もそれまでの呼び方を引き継いで「東洋」ではなく「広島」という略称で一般的に呼ばれている。
  34. ^ プロ野球ポスター 1リーグ時代図録”. 野球殿堂博物館. 2017年5月7日閲覧。収蔵されているポスターをみると、戦前、戦中、チーム名変更以降も「巨人」という略称が使われているのが確認できる。
  35. ^ 長嶋が「ミスタープロ野球」と呼ばれているのは、敬意の他にこのマスコットと混同しないという目的も当初あったが、現在ではそう呼ばれることが通例となった。
  36. ^ 画家(1919年生まれ)。日本水彩画会審査委員、日展水彩作家協会委員。
  37. ^ 後の千葉ロッテマリーンズにつながる球団は、当時は大映を親会社とする『東京オリオンズ』だった。ロッテは1969年から命名権に準じるスポンサーとして参加し、球団名を『ロッテオリオンズ』としたが、大映が倒産寸前となった1971年から正式に球団を保有し、1992年から現在の球団名となっている。
  38. ^ 2018年の交流戦最高勝率球団はヤクルト。
  39. ^ 巨人軍憲章」とも呼ばれる遺訓のうちの1つで、残りは「巨人軍は常に強くあれ」「巨人軍はアメリカ野球に追いつけ、そして追い越せ」で計3か条である。
  40. ^ もっとも近年では、バラエティ番組などで、監督・コーチを含めて場合により私服でのテレビ出演も行っている。
  41. ^ 2012年シーズン時は、日本の現在の電力事情を考慮し、ノーネクタイでの遠征も認められた。
  42. ^ なお、堀内自身も監督就任後にチームの気分転換を図るため、ひげを蓄えた時期があった。
  43. ^ 大阪タイガースの親会社であったが、戦前は球団の親会社が他球団に出資しても問題はなかった。逆に読売新聞社が大阪タイガースに出資していた。
  44. ^ 1934年に開催された日米野球の阪神甲子園球場の未払使用料(阪神側から見ると未収入金)を出資金に振り替えたもの。
  45. ^ 南海ホークスとの日本シリーズでは元のユニフォームが使用された。
  46. ^ かつては札幌、福岡(ライオンズが去りホークスが来るまでの1979年から1988年の間)をフランチャイズとする球団がなく、また「テレビ中継と言えば巨人」の時代であったため、当時の札幌や福岡での巨人戦のチケットはプラチナチケットで争奪戦となっていた。だが、後にそれらでフランチャイズとする球団が現れてからは地元の球団に人気が集中し相対的に巨人の人気が下がったことで、観客動員にも影響したために開催するメリットが薄れたことで休止となった。
  47. ^ 2011年のみ、東日本大震災の影響で、10月に延期したうえで会場を京セラドーム大阪に変更して開催された。
  48. ^ 2012年より都市対抗は7月(中旬から下旬)の開催に戻っている。
  49. ^ 2013年に照明が設置され現在はナイターの開催が可能となっており、日本ハムは同球場での試合をナイターで開催している。
  50. ^ 2002年度の北海道シリーズ(札幌ドーム)では、FIFAワールドカップ日韓大会(札幌ドームが会場の1つ)の関係で3試合ともデーゲーム開催だった。また、2004年9月23日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)もデーゲームで開催された。
  51. ^ これは2000年代後半以降、日本テレビのゴールデン・プライムタイムのレギュラー番組が安定した視聴率を保っており、そちらを優先する編成の意向がある。特に土日はナイターの場合日本テレビでの放送は行わず、稀にNHK総合が放送する程度である。
  52. ^ 2002年~2004年までの間は21:54までの最大60分だった。
  53. ^ 当初のタイトルは「九番打者」として少年サンデー小学館刊)に連載された。
  54. ^ 前身の『かっとばせ!キヨハラくん』においても「東京カイアンツ」というパロディで登場している。

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