空耳アワー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 16:22 UTC 版)
収録について
通常は、その日の企画におけるロケ地(テレビ朝日やハウフルスの会議室や各企業の会議室、飲食店、和室など)で収録され、2人の後ろにはその企画で使われた、セットや小道具などの残骸が残されている。だが、「空耳アワー」として固定されているセットとしては、タモリと安斎の2人の真ん中に「空耳アワー」としての最高の評価商品(背中側に「TAMORI KU楽BU」と描かれているジャンパーが毎回掛かっている)と安斎側に黄色の板に安斎が描いた、キャラクターが描かれているのと木で作られた円盤の机が置かれている。
安斎が本編にも出演する場合、移動中のバス・鉄道車両の中や、作業場などで「空耳アワー」を紹介することもあり、その際、本編に出演したゲストも当ミニコーナーに出演する場合もある(特に2週にわたる場合や鉄道関連に顕著)。2015年2月20日放映の「タモリ電車クラブJR初進出!鶴見線&南武線直通列車で満喫旅・前編」では本編の内容が濃すぎ、空耳アワーを入れる余裕が無かったため、翌週2月27日放映の後編の最初と後半の2回に入れるという形になった。 また、2019年11月23日・30日放送の相模鉄道企画「夢の相鉄全線一筆書きツアー」では、23日放送分は当時開業前だった(後半放送日の11月30日に開業した)相鉄線直通列車の羽沢横浜国大駅で収録を行っており、安斎が同駅まで来ることが困難であったためコーナーが中止となり、30日放送分は相鉄の事務所と思われる場所での収録だったが安斎が遅刻したため収録途中からの参加となった(下記も参照)。
安斎遅刻時の対応
本業でも筆が遅く、時間にルーズであることで有名な安斎はこの収録によく遅刻をし、間に合った時はタモリから小言を言われている(2002年2月22日放送分では、それが説教に発展してしまい、作品の発表がなしになってしまう事態が発生した)。間に合わなかった時はタモリが1人で進行するか、その回の収録で出たゲストが同席する(渡辺祐が担当することが多い)。先述の2019年11月30日放送分では市川紗椰が進行役となり、遅刻した安斎はタモリの後ろに座っていた。
なお、2004年は無遅刻無欠勤の偉業を成し遂げた(ただし、これは安斎が遅刻することを前提に彼にのみ集合時間が早く伝えられていただけであり、実際は遅刻している[15])。また、2006年も無遅刻を達成した[16]が2007年初収録でいきなり遅刻した(フジテレビ系列『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に安斎がテレフォンゲストとして出演した際タモリが暴露)。その回は翌週の「空耳アワード2007」にも出演したマーティ・フリードマンが代役として同席し(安斎はコーナー途中から出演)、タモリがコーナーの最後の宛先紹介で司会はどちらがいいか投稿者から意見を募った。その後2008年3月14日放送の「空耳アワード2008」後編で、実際に投稿者から4通の手紙が届いていたことが明らかになった。内訳はフリードマン3通、安斎1通。
また、テレビ朝日本社内での収録の際に奥田民生が偶然見学に来ており、スタッフはこれ幸いとコーナー司会の代役を頼んだが、安斎が意外に早く到着したため(収録開始から5分ほど後)スタッフはしきりに残念がったという。来てしまったものは仕方ないので、奥田は司会では無くタモリの代わりの判定役で出演。なお彼は手ぬぐいレベルの作品にもすべてにソラミミかきを出したので、タモリは「甘いなー」「大インフレだ」と嘆いていた。なお早々に代役を立てられた事に対し安斎は「5分しか遅れていない」と訴えたが「5分も遅刻、1時間も遅刻」とタモリは突っこんでいる。
東京が大雪に見舞われた2014年2月8日収録の回では、安斎は現場に到着せず、出演していたインパルスの板倉俊之がそのまま司会を務めた。
「空耳アワー」出演の依頼に対して「最初は嫌で苦手だったので1回のみ出演後は断ろうと思っていたが、その1回目の収録で大遅刻してしまい断りにくくなってしまったため、出演を続けている」と雑誌のインタビューで語っていた事がある。遅刻の理由の例として、「締め切りが過ぎた仕事を徹夜で片付けていて、出掛けに風呂に入ろうとしたが水だった」と語っていた。他にも「冷蔵庫が安売りしていたので」という理由で大遅刻したこともあり、代々木での収録では安斎が間違えて代々木上原に行ってしまい遅刻したこともある。
近年では[いつ?]「空耳アワー」の収録において、安斎のみ予定よりも2時間前の集合時刻を伝えられているとのこと(最初は「30分前」であったがあまりにも遅刻するため「1時間前」となり、その後さらにスタッフらは余裕の時間をとり「2時間前」になったとのこと)。
- ^ 空耳 - weblio辞書(大辞林)
- ^ goo辞書(デジタル大辞泉)の「空耳」の項では、空耳アワーで言う「空耳」の特徴と合致する「外国語の歌詞などを日本語に聞きなすことを空耳ということもある」という補説を載せている。
- ^ 日本音響学会著、1996年講談社刊「音のなんでも小事典」より。
- ^ 上坂冬子著、1989年中央公論社刊「女が振り返る昭和の歴史」より。
- ^ 英語、フランス語、ドイツ語、アフリカ系の言語など。中国語や韓国語、タイ語など、アジア系の言語の歌詞の曲が採用されることは少ない。日本語の曲では、内村光良が投稿した越中おわら節からの空耳が採用された例がある。また『空耳アワー』となった初回放送の2ネタ目は、キャロルの『ヘイ・タクシー』(歌詞の"diamond-ring"が「タモリ」に聞こえるもの)だった。採用された曲のアーティストのほとんどは日本国外出身だが、小野リサ、ゴダイゴ、coba、Outrage等のように日本人アーティストの楽曲が採用された例もある。
- ^ 『タモリ倶楽部』3月で終了、「空耳アワー」が隅に追いやられたワケは…|日刊サイゾー
- ^ “タモリ倶楽部「空耳アワー」が一時休止 新型コロナウイルスの感染拡大が影響?”. 中日スポーツ. (2020年4月11日) 2020年4月11日閲覧。
- ^ “タモリ倶楽部の空耳アワー休止、新コーナー立ち上げ - 芸能 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社 (2020年4月11日). 2020年4月11日閲覧。
- ^ “『タモリ倶楽部』空耳アワーが半年ぶりに復活、松たか子と星野源出演”. barks.jp. BARKS (2020年10月23日). 2020年10月23日閲覧。
- ^ 第1回目登場時はテーマミュージック評論家。
- ^ 以前は「○○○○の(その回の本編の内容にからめた修飾語をつける)安斎肇さんです」と言っていた。
- ^ 過去にはペンネームの使用も可能だったが、現在は禁止され本名のみとなっている。ただし、著名人の場合はこの限りでなく、住所や本名が出ない場合もある。
- ^ 民謡など原詞が特殊な言語の場合は「不明」と表記されることもある。
- ^ 画面の下半分に表示される。
- ^ 「2005年空耳アワード」前編より。
- ^ 2006年6月10日に放送予定だった「かしこく乗りこなせ!首都圏日帰りエレベーターガイド!!」では、安斎が仕事の都合で来れなかった。
- ^ “空耳アワーにWeb投稿してみた”. ITmedia NEWS. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “『空耳アワー』“完パケ”動画での投稿解禁 働き方改革に伴う「業務の外部委託」”. ORICON NEWS (oricon ME inc.). (2019年11月11日) 2019年12月10日閲覧。
- ^ 1994年3月18日には同じ部分の別空耳「手がスゴイ!」が紹介されていた。
- ^ 当時16歳だったので、23時台の放送という関係もあり、労働基準法および児童福祉法に抵触する為事前収録。
- ^ 木村カエラ、NIGOが「空耳アワード2008」に参戦 - ナタリー、2008年3月5日
- ^ ただし、尺の都合上10年代の空耳は事実上の対象外となっている。
- ^ 番組内では触れられていなかったが過去に安斎がBOWWOW時代のアルバム『HARD DOG』(1981年)のジャケットデザインを手掛けていたことがある。
- ^ “空耳アワーアップデート - 過去の作品データ”. 2010年4月9日閲覧。
- ^ 紙コップや豆菓子、ただの石など。
- ^ 例として、空耳として投稿された楽曲の該当部分が、元々日本語であり、それがまた別の日本語に聴こえた作品がある。この投稿については、賞品の進呈はされていない。
- ^ 放送時にスタッフが評価を忘れていた旨をテロップで表示した。
- ^ 2017年6月2日放送2作品目など(ジャンパー評価)。
- ^ 2002年10月11日放送回など。
- ^ “『ブラタモリ』案内人が語る番組の裏側「タモリさんが『コマネチ!』していました(笑)」”. SmartFLASH (光文社). (2021年5月1日) 2022年6月9日閲覧。
- ^ ただし、ヤサカモデルの場合は、左右どちらかでも同じミミかきとして判断となるため、届くまでわからない。
- ^ しかしながら、最もジャンパーが多く進呈された年は1993年であり、計14作品に進呈されていた。
- ^ この回の「空耳アワー」では、テスト的な意味合いも兼ね1作品ごとオブジェを1つずつ交換して作品を鑑賞した。
- ^ 使用当初は、Tシャツを引き出しに無理やり押し込んでいたためタモリや安斎から弁当Tシャツと呼ばれていたが、2012年5月25日放送分の「空耳アワード2012 後編」でドイトより写真にするという解決策を打ち出され、以降はTシャツの写真が入れられている。
- ^ ただし、タモリや安斎は、前に乗り出さないと見えない。
- ^ というものだが製作の際、タモリがLEDを両面テープでしっかり付けようと強く貼り付けたため、LEDの一部が潰れてしまいその部分だけが点灯しなくなってしまった。しばらくその状態で使用されたが、2012年5月25日放送分の「空耳アワード2012 後編」にて再びヤサカのエキスパートに来てもらいLEDが修理された。
- ^ 例として「篠原酒店」、「マジで、おでん食ったし」など。後にアワードにて、前者はZeebraが「これ民放でかけていいんですかね?」、クリス・ペプラーが「これはなかなか言えないですね」とコメント、後者はマーティ・フリードマンが「よく平気で放送できますね」「(和訳を聞かれて)言いたくないですよ」と発言している。
- ^ 例として、1993年12月17日放送分の3番目の空耳で、「クリトリス」という言葉が含まれていたが、VTRでは「クリとリス」が登場した。
- ^ 頻繁に出演していた当番組の元ディレクターの山元豊洋(ハウフルス)や、当番組のカメラマンの中島せいやは「空耳アワード」でも取り上げられたことがある。
- ^ VTRの収録時は原曲もかからず、安斎本人もスタッフに「ここに立ってこのようなポーズをしてくれ」としか言われず、趣旨を全く伝えられなかったため、作品の内容は放送時まで本人も知らなかった。
- ^ 1993年4月9日放送の「空耳アワー 春の新作コレクション」にて6本目に紹介。野村義男の作品。
- ^ 1999年7月2日放送分において、2番目の空耳として紹介。パラダイス山元による作品
- ^ 1992年7月3日放送分(「空耳アワー」としては第1回)において、2番目の空耳として紹介。
- ^ 1999年10月22日放送分において、2番目の空耳として紹介。
- ^ 『ミュージックステーションウルトラFES』で使用されたもの。2016年10月21日放送分において、2番目の空耳として紹介。
- ^ 例として、1993年9月3日放送分の三本目を奥田民生と空耳俳優で新たに撮り直したものに差し替えた上で「空耳アワード2001」にて放送。
- ^ イラストレーター及川達郎/夏目洋一郎の公式ウェブサイト
- ^ 2013年にはNHK(大阪局制作)の連続テレビ小説『ごちそうさん』に出演している。
- ^ 及川 達郎 | エヌ・エー・シー(NAC)|東京、大阪、名古屋、仙台、福岡にある芸能プロダクション
- ^ アコムCM☆出演者紹介! | 尾畑美依奈のminna-miina
- ^ 『スタジアムDJ 野田美弘さん 卒業のお知らせ』(プレスリリース)千葉ロッテマリーンズ、2021年2月28日 。2022年6月10日閲覧。
- ^ 最初は富士山の山頂で撮影予定だったが、現地へ出発する時刻が遅く、登頂途中で日没を迎えてしまったため撮影を断念した。
- ^ 2015年7月10日放送回の2番目の空耳。藤田の空耳VTRデビュー作となる。
- ^ 上半身については「脱ぐだけならいいが、イタズラされたりとかはNG」と明言している。
- ^ 空耳アワード2008に出演した木村カエラによって明かされた情報。
- ^ ジ・アーティスト・フォーマリー・ノウン・アズ・プリンスの作品を含む。
- ^ 1993年1月29日放送分より。
- ^ a b c 自身が投稿した空耳作品に出演。
- ^ サンコンJr.が投稿していた。
- ^ 2006年6月9日放送分にて。出演当時は無名であったが、放送の数年後に2ちゃんねる(放送中では「某掲示板」とされていた)のスレッドで「出演していたのは彼ではないか?」という書き込みがあり、スタッフが事務所に確認した所、本人であることが明らかになった。
- ^ 自身のライブ映像が作品VTRに使用。放送時にはエンドロールにて「協力 ダブルジョイレコーズ」とクレジットされる。
- ^ 2000年9月29日、ブルース・ブラザース2000の空耳を投稿し、手ぬぐいを獲得した事がある(該当曲からは敷島勝盛も2004年10月29日に、2002年7月5日放送分と同部分の別空耳を投稿し、Tシャツを獲得。
- ^ 空耳アワード2011の「有名人投稿」枠にて自身が投稿した空耳作品に出演。そのため、はがきの読み上げも本人が行った。
- ^ 2012年11月9日放送。
- ^ 番組担当カメラマン。主に頭髪に関するネタで時々出演する。
- ^ 当時の妻の田中美佐子も写真で共演(曲の一節が「田中美佐子」と聞こえる曲の映像にて)。
- ^ 風俗嬢の役。
- ^ 1995年8月4日放送、1999年10月15日放送にて。
- ^ 「空耳アワード2009」に2作品出演。またメンバーの奥田民生はほかに「空耳アワード2001」で3作品に出演。当日PUFFYがゲストの中にいた。また奥田は2007年4月27日放送ではコーナーのゲストとして出演した。
- ^ 2002年10月4日放送分より。
- ^ 当時、ジョン・B・チョッパーがバンドから離脱していた。
- ^ いずれも番組の構成作家である。
- ^ 主にアフリカ、アラビア、ロシア、中国系言語を使った歌詞に多い。後に空耳アワードで、元詞が判明する事がある。
- ^ トーキングモジュレーターで人語を再現した箇所であった。
- ^ 中村は1997年6月22日に紹介された部分の別空耳を2009年2月20日に紹介、玉置は2004年2月20日に紹介された部分の一部から発見した別空耳を2010年12月10日に紹介、敷島は2002年7月5日に紹介された部分の別空耳を2004年10月29日に紹介。
- ^ 1992年12月18日放送分。この日はゲストが井上陽水であった。
- ^ 『27時間チャレンジテレビ』で放送。この時越中おわら節で自身が投稿した日本語の空耳も紹介されたが、商品は出されなかった。
- ^ 空耳アワード2011「有名人投稿」枠で紹介された投稿でジャンパー獲得。
- ^ 2014年10月3日放送回にてゲスト出演。このとき、過去にもらったTシャツが、サイズがMサイズで元力士の敷島には小さすぎ着られないという理由で、賞品の交換をタモリに直訴。主張が受け入れられ、耳かきと手ぬぐいが改めて贈られた。また、Tシャツも記念品としてそのまま贈呈された。
- ^ 空耳アワード2010の「有名人投稿」枠で『スターレス高嶋』名義で紹介された。
- ^ かつては本名で投稿していたがなかなか採用に至らずバンド名を使って投稿後、採用されたことから「バンドを利用しやがって」と周りから言われた事を空耳アワード2009で暴露された。
- ^ 「空耳アワー辞典」作者が常軌を逸するデータベース作りに29年間を捧げた些細なきっかけ 音楽ナタリー内コラム「一風変わった形で音楽を楽しむ人たち」、2021年4月2日配信、8月15日閲覧
- ^ 「空耳アワード2004」では高橋が投稿した空耳の特集がわざわざ組まれたほどである。
- 空耳アワーのページへのリンク