凧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 01:12 UTC 版)
画像
以下、日本の凧の例を画像で挙げる。
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東京都中央区日本橋 凧の博物館(2020年3月6日撮影)
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江戸凧(2010年1月4日撮影)
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天旗(宮城県の凧)
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和凧
なお、菱形、鳥型の凧や龍を模した連凧など、世界には様々なタイプの伝統的な凧が存在する。 また、現代の凧には空気を入れて膨らませるようなものもあり、さらに多様な形状をとるようになっている。 これらの画像については英語版などを参照のこと。
文化
凧を「タコ」と呼ぶのは関東の方言で、関西の方言では「紙鳶(しえん)のぼり」、特に長崎では「ハタ」と明治初期まで呼ばれていた。それを売る娯楽用品店もあり、日常的に遊ぶ娯楽になった。しかし凧を揚げている人同士でケンカになったり、明治時代の当時、建設の真っ只中であった電線に引っかかり停電になったり、農作物の畑の中に落ちた凧を拾おうと田畑を踏み荒らすといった問題も起きていたため、一部地域では法令により禁止された。
凧が「タコ」と呼ばれる由来は凧が紙の尾を垂らし空に揚がる姿が、蛸に似ているからという説がある。長崎では凧のことをハタといい、ハタ揚げ大会が開かれる。方言周圏論からは、近畿・北陸、中四国の一部にイカ、それを囲むように東日本・四国南部・九州東部にタコがあり、さらに、この外側、東北北部と九州西部にハタが見られ、「ハタ」や「タコ」と各地でそれぞれの名前で呼ばれていた。
世界各国の凧では、それぞれ空を飛ぶ動物などの名前が付けられていることが多く、英語ではトビ、フランス語ではクワガタムシ、スペイン語では彗星を意味する単語で呼ばれ、日本のように水生動物の名前で呼ぶのは珍しい[12]。
正月の風物詩としての凧
正月遊びとしての凧揚げには意味があり、天高く揚げて、男の子の健康・成長を願う。日本ではかつて正月を含む冬休みには子供たちが凧揚げをする光景がよく見られ、玩具店のみならず子供たちが買い物をする頻度の高い身近にある駄菓子店や文房具店などで凧も販売されていた。特に凧揚げが盛んに行われていた1970年代には、冬休みの時期には電力会社がスポンサーの夕方のニュース番組で「凧揚げは電線のない広い場所で」「電線に引っかかったら電力会社にご連絡ください」という内容のコマーシャルがよく流されていたほどで、当時のトラブルの多さを窺わせる。
1980年代以降は凧揚げが安全にできる広い空間が少なくなったことに加え、テレビゲームなど新しい玩具の普及、少子化などもあり正月の凧揚げの光景も少なくなった。
凧揚げ行事
ただ単に人が集まり凧を挙げるだけではなく、見た目の美しさや滞空時間等を競うものもある。また、凧同士をぶつけあったり、相手の凧の糸を切ったりすることで勝利を競う凧合戦という文化もある。日本国内では、正月のほか、5月の端午の節句の行事として子どもの成長を願って全国各地で凧揚げ大会など凧揚げに関する催しが行われることが多い。
滋賀県東近江市では面積100畳(縦13メートル、横12メートル)、重さ約700キログラムの大凧(おおだこ)を揚げる「八日市大凧祭」が行われてきた歴史があり(2015年に起きた落下した凧による死亡事故で休止中)、「世界凧博物館東近江大凧会館」が開設されている。この八日市大凧(ようかいち おおだこ)は江戸時代中期から始まった。1882年には、240畳の大凧が揚げられたという記録がある[13]。現在では、「近江八日市の大凧揚げ習俗」は国の選択無形民俗文化財に選択されている。
他にも大凧を揚げる大会としては新潟市の「白根大凧合戦」、浜松市の「浜松まつり」、愛媛県内子町の「五十崎の大凧合戦」、埼玉県春日部市西宝珠花「大凧あげ祭り」(国の選択無形民俗文化財)、他には相模原市、神奈川県座間市などの凧揚げ大会が知られている。
インドでは、グジャラート州やマハラシュトラ州など各地で盛んに凧あげ祭りが行われるが、凧糸にガラスなどを張りつけて近場の凧の糸を切る、いわゆる喧嘩祭りのスタイルを採ることがある。こうした凧糸は、マンジャと呼ばれるが危険性のためニューデリーなど人口密集地では使用が禁止されている[14]。
象徴としての凧
マレーシアでは民族の象徴的な存在であり、紙幣やコインのデザインとしても採用されている。またマレーシア航空の尾翼のデザインは凧を象っている[15]。
凧に関する逸話・創作
高知県の「土佐凧」は戦国時代、長宗我部氏が籠城戦(攻城戦)で糸の風切り音で敵を威圧したり、戦場を測量したりするために使ったことが始まりと伝承されている[16]。
大凧に乗って名古屋城の金鯱を盗もうとした盗賊の話が知られている。この話は江戸時代に実在した柿木金助という盗賊がモデルになっている。実際には柿木金助は名古屋城の土蔵に押し入ったに過ぎないが、1783年に上演された芝居『傾城黄金鯱』(けいせいこがねのしゃちほこ)によって金鯱泥棒として世に知られるようになった。
忍術書の『甲賀隠術極秘』(芥川家文書)には、源義家による奥州合戦(後三年の役)金沢柵責めの時、服部源蔵という芥川流の小柄な人物がいて、大凧を作らせ、大風が吹いている中、乗せて、空中より火を降らして、焼き討ちにしたという記述が残されている(絵図が見られ、凧に複数の日の丸状の仕掛けから火を出す)[17]。創作ではあるが、兵器としてのアイディアが近世からあったことがわかる。横山光輝の漫画並びにそれを原作とした特撮テレビドラマ『仮面の忍者 赤影』などでは、忍者が大凧に乗って偵察や戦闘を行う描写がみられる。
戦間期期のドイツではハイパーインフレーションにより煙草1箱が数億マルクもする状態になり、紙幣は価値をほとんど失ってしまっていた。こうした背景から、当時の子供たちは紙幣を貼り合わせて作った凧で遊んでさえおり、写真も残されている。
1752年、当時楽器の発明で有名だったベンジャミン・フランクリンは雷雨の中で凧を揚げて雷が電気であることを証明した。これは感電の危険がある。フランクリンが成功したのはまぐれと言ってもよく、当時にも追試で何人かが感電死している。
- ^ a b 『世界の凧』 斎藤忠夫、保育社, 1990
- ^ 黒川哲夫:凧はもともと「いか」だった◇鳥取・倉吉に伝わる製法と揚げる喜びを次代へ継承◇ 『日本経済新聞』朝刊2018年3月30日(文化面)
- ^ ロバート・テンプル著、牛山輝代訳『中国の科学と文明』河出書房新社、2008年、改訂新版。ISBN 9784309224862、p.288.
- ^ アジアの凧 福岡市博物館(2018年4月5日閲覧)
- ^ a b c タコ 『大百科事典. 第16巻 第2冊』平凡社、1939年
- ^ 長崎凧『Discover Japan』2010年2月号, 枻出版社
- ^ a b 富山哲之「長崎地域における凧揚げと長崎凧の力学的な運動体験の簡便法」『長崎大学教育学部紀要. 教科教育学』第43巻、長崎大学、2004年、39-54頁、ISSN 1345-1383。
- ^ ハタ揚げ大会 一般社団法人長崎国際観光コンベンション協会
- ^ 中外商業新報 1910年3月9日
- ^ a b 『凧の博物館』東京中央区日本橋、凧の博物館、茂出木雅章、2020年3月6日閲覧。
- ^ ハノイ郊外の凧揚げ祭り サイト:ベトナムの声放送局、更新日:2019年4月28日 参照日:2022年6月25日
- ^ “明治初期まで「イカ」揚げ 東近江の伝統「大凧」”. 『京都新聞』. (2013年5月22日) 2013年5月23日閲覧。[リンク切れ]、“おもちゃ屋探偵団/9 たこ”. 『毎日小学生新聞』. (2014年12月28日) 2015年1月4日閲覧。
- ^ 【わがまち お宝館】世界凧博物館(滋賀・東近江市)琵琶湖の風 大だこ育む『朝日新聞』朝刊2019年1月16日(第2東京面)。
- ^ “たこ糸で鳥150羽超死ぬ、インドの祭りのたこ合戦で 数百羽けが”. AFP (2020年1月18日). 2020年1月17日閲覧。
- ^ マレーシア政府観光局. “m-style マレーシア航空のシンボル ワウって何?”. 2014年9月26日閲覧。
- ^ 吉川毅「土佐凧 心の空まで揚がれ◇迫力の絵柄 1軒だけ残った工房守る◇」『日本経済新聞』朝刊2020年2月11日(文化面)2020年2月13日閲覧
- ^ 山田雄司『忍者の歴史』角川選書 2016年 ISBN 978-4-04-703580-5 pp.170 - 171.
- ^ “燃えるたこで農地狙う パレスチナ抗議デモで新たな作戦”. AFP (2018年6月11日). 2018年6月15日閲覧。
凧と同じ種類の言葉
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