シンディ・ローパー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 23:23 UTC 版)
人物
アーティストとして
- ハイトーンで、高い肺活量を持つ。地声もハイトーンで赤ん坊のような声をしている。
- デビュー当初は、古着の様な服装と、後に「ハリウッドメイク」と呼ばれるメイクや「ハリウッドスマイル」と呼ばれる上唇をめくり上げ四角く口をあける笑顔を見せていた。
- 多様な楽曲を歌いこなすことから「七色の声を持つ歌手」と称される[7]。
- 奇抜な髪型や髪色が特徴で、黄色に赤色を挿した髪色が有名であり、一時期黄色に染めたり、黄色のボブカットのウィッグを使用していた。楽曲によっては赤色にも染めていた。近年はシルバーや白に近い色に染めている。このヘアスタイルは後に女性アーティストに多大なる影響を与えている。
- デビューから現在まで変わらない精力的なアーティスト活動や独自のファッションから「永遠のガール」と称されている。
人物像
- ブレイク後、自身を取り巻く環境が急激に変わったことへの戸惑いと、常に注目を浴びることへのプレッシャーから孤独感に苛まれ、一時期引きこもりがちになったこともある。自身のパーティーでも、周囲に人が集まれば集まるほど孤独を感じ、ホテルの部屋に閉じこもり、主役不在といったこともあった[8]。
日本との関わり
大の親日家として知られる。
社会活動
- 1995年に阪神・淡路大震災が勃発した際、義援金を寄付している[9]。1996年2月3日に阪神・淡路大震災のチャリティーとして行われた生田神社震災復興節分祭にて「豆まき神事」に参加した[10]。
- 日本の戦争悲話「かわいそうなぞう」のCDの英語吹き込みを担当した。2008年8月13日発売。「戦争は動物までも不幸にする」というメッセージを社会へ向けて発信している。
- 2011年3月16日の来日コンサート終了後、東日本大震災の被災者支援として、観覧に来ていた日本の芸能人と共に募金箱を持ち、来場した観客たちへ募金を募った。
- シンディが日本に到着したのは3月11日の震災当日であり、成田空港が被災により閉鎖された為、横田基地に降り立ち、その後も都内で大渋滞に巻き込まれ、ホテルに到着したのは翌日の午前3時のことであった[9]。
- 来日していた他の海外アーティストが公演を中止し帰国する中で、シンディもスタッフから帰国を促されたが、予定通り公演を行った。震災の影響により日本政府から各方面へ節電の要請が出されている状況だったため、公演の照明は最低限に抑えられた。
- 翌日の3月17日にはCNNからの取材を受け、自身が見聞きした範囲で日本の現状や窮状を伝え、日本への支援や募金などの助力を求め、その訴えはCNNの番組であるHLNを通じて、現地時間の2011年3月17日に世界へ向け報道された。
- 翌年の3月3日にも来日し、NHKにて独占インタビューが行われた。インタビューにて「私たちの滞在は一時的なものです。でも日本の人たちは毎日過ごしています。何であれ、出来ることがしたかったのです。」「私が日本に来る理由は『震災を忘れていない』という事と、私が来るたびに思い出して欲しいからなのです。」と語った。
日本人との親交
- 1989年、日本の番組『夜のヒットスタジオ』に出演した際、かつてニューヨーク市内の『ミホ』という日本料理レストランで働いていたことがあったと述べた。定職もなく無為の日々を過ごしていた時期に『ミホ』を経営している鈴木サクエという日本人女性と出会い、「それじゃ駄目だから自分の店で働きなさい」と勧誘されたことがきっかげであった。鈴木はシンディに限らず、シンディのバンド仲間やアーティストの卵といった若者たちを自身の店で雇うなど、積極的に支援していた。鈴木はシンディに「いつか売れる日が来るから頑張りなさい」と激励し続けていたという。この鈴木との出会いがシンディを親日家にさせる切っ掛けとなった。
- 同番組の企画で、シンディには内密で鈴木の行方を捜索した。結果、鈴木はシンディの来日とは無関係で諸事情により偶然日本に帰国しており、鈴木とシンディはスタジオにて再会を果たした。この時シンディは感極まり、唄う前に涙ぐむという一幕もあった。
- オノ・ヨーコと親交がある。上述の、高校を退学し愛犬スパークルと共に家を出た際の手荷物の中にオノの著書『グレープフルーツ』があった。同書はシンディにとって「芸術を通じて人生を見る為の窓だった」と語っている[9]。
- 1986年、吉田拓郎は安井かずみに「ホイットニー・ヒューストンに会わせてあげるから」と誘われ、アルバム『サマルカンド・ブルー』のレコーディングをニューヨークで行ったが、安井が実際に連れてきたのはシンディだったという逸話がある[11]。
日本語能力
- 上述の通り、デビュー前の下積み時代にニューヨークの日本料理レストランでウェイトレスのアルバイトをしていた。「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」が初めて覚えた日本語である。
- 同店の寿司職人から日本語を教わったことで自信がつき、後年に来日公演のステージで話してみたところ、実は教わった日本語は全て赤ちゃん言葉だった事が判明した。レコード会社からはダメ出しを受けたが、一時的に流行ったと語った[12]。
- そのほか「お父さん・はい・少し」や「おしぼり・寿司・さしみ・水割り」など、レストランで使われる言葉や、「最高!」や「本当ねー!(I think so too)」「おやすみなさい」「頑張って!」などの簡単な日本語も話し、多少の日本語も理解できる[13][14]。
来日時のエピソード
- 上記にも記載されているが、1990年にはNHK紅白歌合戦への出演の為だけに来日している。当日NHKホールのステージには駕籠に乗って登場、和服をアレンジした衣装を身にまとい、ヒット曲「涙のオールナイト・ドライヴ - I Drove All Night」を歌唱した。これ以前にもNHKの音楽番組に複数回出演している。
- 日本には度々「お忍び」の旅行で訪れている。もっぱら移動手段は新幹線で、乗り込むとすぐにビールもしくは日本酒とスルメを買い込んで一杯やりつつ、車窓からの景色を眺めるのが好きとのことである[15]。
- 来日公演で、阪神タイガースに在籍していた掛布雅之のユニフォームを着用したことがある。
- 1995年、『ニュースステーション』に出演した際に、当時社会現象となっていた女子高生の「ルーズソックス」に対してコメントを求められ「あのソックスは格好いいし、いいじゃない?!」とスタッフの思惑と正反対の発言をする。「あの年頃の少女たちは、自分が何か特別の存在でありたいと願い、同時に一人で突出する勇気はまだない。そんな少女たちが社会においては特別な自分"たち"であるという主張としてのルーズソックスなのではないだろうか」と続け、コメントの最後に「でも誰が何と言おうとあのソックスは格好いい!」と結んだ。
- 『ものまね王座決定戦』に本人として登場。出演した理由を「お正月にとても楽しいパーティーをやると聞いて来たの。」と語った。また、明石家さんまが「結婚を前提にお付き合いしてもらえませんか?」と冗談を言ったところ「ごめんなさい。結婚してるの。ちょっと遅かったわね。3年前はどうしていたの?」とアドリブを返し、さんまが「結婚してました。」と答えると、通訳なしで理解し、笑っていた。また、さんまがたまたまシンディと体が触れ合い歓喜すると、さんまを抱き上げて力こぶを作ってみせた。
日本食
注釈
- ^ 後の1988年、転校を繰り返した4校の高校のうち、ニューヨーク州リッチモンドにあるリッチモンド高校より名誉卒業生として認められることになり、卒業式にも出席した。Back To School With Cyndi Lauper, 1988 -Girl just wants to have a diploma-
出典
- ^ a b c d e f Erlewine, Stephen Thomas. “Cyndi Lauper | Biography & History”. AllMusic. All Media Group. 2021年4月26日閲覧。
- ^ シンディ・ローパーに経済難の過去、現在は経済的にも精神的にも安定。 - ライブドアニュース
- ^ "Cyndi Lauper - and Lou Reed."
- ^ 『シンディ・ローパー自伝』p.58(白夜書房)
- ^ オリコンのデータ協力による “全曲、80年代の週間オリコンチャートNo.1” の洋楽コンピが登場!、ソニーミュージック、2017年8月8日。
- ^ WWE JAPAN.com 「シンディ・ローパー、27年ぶりにWWE登場!」
- ^ 2008年6月号「日経エンタテインメント!」
- ^ 2005年11月19日のCXテレビ『僕らの音楽2』放送、PE'Zとの対談にて[出典無効]。
- ^ a b c 遅咲きのスーパースター、シンディ・ローパー - Singalong Double SONS(2017年1月14日掲載)
- ^ 阪神大震災から一年半で建て直した「生田神社」の復興長老って知ってる? イーアイデム(2019年1月17日掲載)
- ^ 「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」2009年10月20日放送[出典無効]
- ^ 2008年5月の『情報プレゼンター とくダネ!』出演時[出典無効]
- ^ 1996年11月30日の日本テレビ系列『THE夜もヒッパレ』の放送、シンディ・ローパー、スペシャルメドレーのコーナーにて[出典無効]。
- ^ 1984年、フジテレビ『笑っていいとも!』出演時[出典無効]。
- ^ 2005年11月19日のフジテレビ『僕らの音楽2』放送、PE'Zとの対談にて[出典無効]。
- ^ 2005年11月19日のフジテレビ『僕らの音楽2』放送、PE'Zとの対談にて[出典無効]。1984年、フジテレビ『笑っていいとも』出演時[出典無効]。
- ^ ブエノス・アイレス空港カウンター
- ^ ブエノス・アイレス空港
固有名詞の分類
ポピュラー音楽の音楽家一覧 (個人) |
グレン・ティプトン ベイビーフェイス シンディ・ローパー アントニオ・カルロス・ジョビン トム・ウェイツ |
アメリカ合衆国の歌手 |
ケイト・スミス アンドリューW.K. シンディ・ローパー フランキー・ライモン&ティーンエイジャーズ ジャレッド・レト |
グラミー賞受賞者 |
ロス・ロンリー・ボーイズ セルジオ・メンデス シンディ・ローパー トム・ウェイツ ヴィンス・メンドーザ |
エミー賞受賞者 |
チャド・ロウ ウィリアム・ホールデン シンディ・ローパー クロリス・リーチマン マイケル・チクリス |
- シンディ・ローパーのページへのリンク