ゴジラ (1984年の映画)
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作品解説
本作品では怪獣映画という路線から一線を画し、1973年の映画『日本沈没』や1980年の『地震列島』の流れをくむSF災害パニック映画として描かれている[出典 61]。「現実にゴジラが現れた場合の対応」をリアルに表現するため、政府や自然災害など、各方面の専門家を特別スタッフとして招いている[4][5]。また、ストーリーには冷戦末期である当時の国際情勢を反映し[出典 62]、日本近海におけるソ連原子力潜水艦の脅威やアメリカの戦略防衛構想などの影響、相互確証破壊の概念への言及、さらには全面核戦争への懸念および市民レベルでの核攻撃時の対処法などが散見される。
原点回帰を目指した「怖いゴジラ」[1][38]や「ゴジラは核エネルギーを吸収する」という設定のもと、ゴジラが静岡県の井浜原子力発電所[注釈 37]を襲うシーンが描かれる[出典 63]。一方で、本作品では現実的な核の脅威が描かれているため、ゴジラ自身を初代のような核兵器の象徴としては扱っていない[182][183]。ゴジラの造形は前シリーズ当時より高層化した新宿のビル群に合わせ、体長も50メートルから80メートルへ巨大化された[出典 64]。しかし、大型化したゴジラよりも新宿のビル群は大きく、30年で現実の日本の変化が大きかったことを感じさせるものとなった[184][41][注釈 38]。
1985年の正月映画として1984年末に公開されたため、制作年や公開年の表示は1985年とされることもある。
制作経緯
前作『メカゴジラの逆襲』(1975年)でシリーズが途切れてから2年後、アメリカ映画『スター・ウォーズ』(1977年)の公開によりSFブームが起こり、東宝でも『惑星大戦争』を制作したほか、ゴジラの復活も水面下で画策していた[69]。
1978年2月4日に田中友幸主宰の「ゴジラ復活会議」で石上三登志、白井佳夫、外山朗、西沢正史、角田健一郎、坂野義光らによって検討された[出典 65]。その結果、関沢新一、眉村卓、光瀬龍、外山らによっていくつもの脚本案が発注されたが[出典 65]、目処は立たなかった。1978年6月から1980年秋にかけては中西隆三や村尾昭によって脚本が書かれたが[出典 65][注釈 39]、採用には至っていない[注釈 40]。SFブームの本格化と並行してリバイバルブームも発生し、ゴジラシリーズでも「ゴジラ映画大全集」と題したリバイバルイベントやアニメ映画『ドラえもん のび太の恐竜』(1979年)の併映として『モスラ対ゴジラ』が再上映されるなどの動きはあったが、いずれも評判は芳しくなく、この時点ではゴジラの復活は時期尚早と判断された[69][39]。
1980年代に入り、ヘンリー・G・サパースタインから合作の申し入れもあり[注釈 41]、日米双方から提示されたストーリーを元に2本の脚本が書かれたが、これも立ち消えとなった[出典 67][注釈 42]。
SFブーム・リバイバルブームの中で、それらのファン層(おたく)が存在感を増していき、そうしたマニア向けの書籍・レコード・ビデオソフトなどの発売が相次いだほか、ファンイベント「特撮大会」が開催されるなどファン側の活動も活発化しており、その渦中で新作ゴジラの待望論も高まっていた[69][39]。1983年8月に新宿ミラノ座で行なわれた「ゴジラ復活祭1983」[注釈 43]が好成績を挙げたことで[出典 68]、東宝社内にくすぶっていた再製作気運が盛り上がった後、同年12月26日に「ゴジラ復活準備委員会(G委員会)」が東宝社内に発足した[39]。G委員会のメンバーには、委員長に取締役映画営業担当兼映画調整部長(1984年6月から映画調整部長兼宣伝部長)の堀内實三、副委員長に田中友幸、筆頭幹事に取締役映画興行担当の石田敏彦ら当時の東宝の首脳陣が揃い、東宝全社をあげての大プロジェクトに発展していった[69][39][注釈 44]。
1980年代に入り、東宝の正月興行はジャニーズ事務所のアイドル映画となっていたが、1983年の『エル・オー・ヴィ・愛・N・G』および『あいつとララバイ』が興行不振となったため、その穴を埋めるかたちで本作品の製作が決定した[187]。
脚本
製作の田中友幸が原案としてもクレジットされているが、これは脚本作業中に田中が自身のアイデアを脚本の永原秀一へ提示し、これを膨らませるかたちでストーリーが作られていったことによる[188][78]。制作協力の田中文雄によれば、田中友幸は本作品に情熱をかけていたといい、自身が手掛けた怪獣映画の総決算としてその意向が強く反映されていたという[188]。
永原秀一は1984年2月17日に『ゴジラの復活』のタイトルで検討稿を完成させ[出典 69]、それには村尾昭の最終稿にあった吸血ダニやトライデント型潜水艦ジャイアントバスがそれぞれ登場している[69][39]。しかし、同年4月2日に完成した準備稿では吸血ダニは吸血フナムシに変更され、ジャイアントバスは取り消された[39]。その後、同年5月30日に決定稿が完成し、7月16日に改討稿が完成した[39]。監督の橋本幸治は、初期の脚本はアクション・スリラー風であったと証言している[47]。
本作品制作当時は、第1作公開当時のような核への恐怖は薄れており、むしろ核の平和利用が主張されていた時代であったため、時代にそぐわないとしてゴジラそのものを核の申し子とは直接謳わないこととなった[182]。しかし、田中は核を忘れてはいけないという姿勢であったため、ゴジラが原子力発電所を襲撃するシーンが、本作品で唯一ゴジラを核の脅威として描く場面として入れられた[182][注釈 45]。核の象徴としてもヒーローとしても描かれないゴジラは、生物としての要素が強調されることとなった[182]。企画段階では、ゴジラを神のような存在として描くという案も存在した[139]。
その一方で、米ソの対立を軸とした政治ドラマとして戦術核問題が取り入れられた[188]。政治的な話はゴジラに馴染まないとして橋本や永原はこれも反対したが、田中の強い意向により押し切られるかたちとなった[188]。
三原山の火口にゴジラを誘い込むという展開は、中西隆三による検討稿『KING OF MONSTERS ゴジラの復活』(1978年)から存在していたが、同稿ではプルトニウムを用いるという設定であった[188]。ゴジラの帰巣本能を利用するという案は、特別スタッフの1人であるSF作家のクライン・ユーベルシュタインによるものである[188]。
スタッフ
脚本には田中文雄の推薦で『蘇える金狼』や『惑星大戦争』の永原秀一が[189][39]、監督には『さよならジュピター』の橋本幸治が起用された[26][39]。また、本編スタッフも『さよならジュピター』の面々に[注釈 46]、1954年版『ゴジラ』と黒澤組の面々で固められ、特撮スタッフも中野昭慶をはじめとするスタッフで固められた。
橋本は監督2本目であり、田中から話を持ちかけられた際は自信がなく数日熟考したが、監督として大きなチャンスと考え引き受けた[47]。林田役の夏木陽介は、自身が入社した当時に経理を務めていた橋本が監督であることに違和感を感じたが、同時にテレビ時代に入ってからの映画業界の変動の激しさを実感したという[190]。
メイキングおよび予告編やテレビCMなどの映像は川北紘一が担当している[出典 70]。予告編のために独自の合成カットも制作している[192]。川北は、本作品の特技監督をやりたいという気持ちはあったものの、当時は東宝が「メカ作品は川北」「怪獣作品は中野」と明確に区分していたため、自身に依頼が来ることはなかったという[194]。特美助手の高橋勲は、川北は本作品の特技監督になることを熱望していたと証言しており、撮影では自身ならこうするという川北の熱意が見てとれたと述懐している[195]。本編助監督の大河原孝夫も、予告編から川北の次こそは自身が撮るという意気込みを感じられたことを述べている[162]。
音楽は、小六禮次郎が担当し、60人編成のオーケストラによる演奏が行われた[196]。伊福部昭の起用も考慮されたが、当時伊福部東京音楽大学の学長を務め、大作の作曲も行うなど多忙を極めていたため、実現には至らなかった[197]。橋本は、コンピレーションアルバム『ゴジラ伝説』を手掛けたヒカシューの井上誠を伊福部監修の下で起用する案を挙げていたが、井上は畏れ多いとしてこれを断っている[197]。東宝レコードの岩瀬政雄とキングレコードの藤田純二は、坂本龍一を推薦し水面下で準備も進められていたが、映画制作サイドの理解を得られず実現には至らなかった[198]。
本作品では外部有識者が『日本沈没』(1973年)以来となる特別スタッフとしてクレジットされている[72][39]。東京大学名誉教授である物理学者の竹内均は三原山噴火の論理的検証を、軍事評論家の青木日出雄は原子力潜水艦や核衛星などの考証を手掛けたとされる[72][78]。ジャーナリストの田原総一朗は、現代の客層の趣向などを助言したが、最終的には「面白ければそれでいいのではないか」という結論になったという[72]。
後に『シン・ゴジラ』を手掛ける樋口真嗣は、本作品で初めて正式に特撮作品の製作に携わった[199][200]。当初は「手伝いをする見学者」として特殊効果部で作業していたが[注釈 47]、美術の井上泰幸の助手として正式に雇用され[注釈 48]、その後、造形技術を認められて造型部で安丸信行の下についた[200]。
後に『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』や『ゴジラ×メカゴジラ』を手掛ける手塚昌明は、『さよならジュピター』で助監督を務めていたため橋本から本作品にも誘われていたが、『ビルマの竪琴』へ参加することになったため実現には至らなかった[201]。手塚がゴジラシリーズに参加するのは『ゴジラvsモスラ』からであった[201]。
配役
キャスティングには田中健、沢口靖子、宅麻伸ら若手を中心に[105][注釈 49]、『三大怪獣 地球最大の決戦』以来20年ぶりに夏木陽介が東宝特撮映画に出演し、3人の脇を固める。ゴジラ出現に苦悩する首相には、監督の橋本と親交がある小林桂樹が起用された[47][78]。田中は、ゴジラが主役という認識であったため、後年に指摘されるまで自身が主人公であるという意識は持っていなかったという[75]。沢口は、東宝「シンデレラ」オーディションの初代グランプリであり[14]、以降の作品でも同オーディション出身者が多く起用されている[203]。宅麻は、出演した映画『誘拐報道』(1980年)を観た橋本による推薦であったが、当時の東宝社内に宅麻を知るものはいなかったという[105]。
その他、東宝特撮映画の常連の小泉博や田島義文をはじめ[11][105]、『白い巨塔』や市川崑監督作品の常連である小沢栄太郎、金子信雄、加藤武、佐藤慶、石坂浩二、『ナショナル劇場』の常連である内藤武敏、鈴木瑞穂、織本順吉、御木本伸介、森幹太、山本清、村井国夫、橋本功、潮哲也、江幡高志らが閣僚や学者役などで出演している。
東宝プロデューサーの田中友幸は、林田役にゴジラシリーズにゆかりのある平田昭彦を起用する予定だったが、彼の体調が思わしくなかったために起用を断念した[出典 71]。その後、デスク役に変更されたものの実現には至らなかった[204][78]。平田は前年に復活イベントに参加するなどしていたが、本作品の公開前に死去した[204][11]。夏木の起用は、製作発表の数日後に決定した[71]。夏木は、本来は自身の役ではなかったが、抵抗感はなくいい芝居ができたと述べている[190]。本作品の公開後、夏木は友人でもある俳優の小坂一也が親子で遊びに訪れた際、小学生であった小坂の息子から「本物の林田博士だ」と感激され、ゴジラシリーズの影響の大きさを実感したという[190]。
武上役には当初三橋達也が予定されており、制作発表時の資料などに記載されていた[204]。
カメオ出演
ゴジラの復活を記念して、ゴジラファンを公言する多数の有名人がカメオ出演したことでも話題になった[11][105]。本作品以降、ゴジラシリーズでは著名人のカメオ出演が定番となる[175]。
石坂浩二は、井浜原発で最初にゴジラを目撃する男性職員を演じている。当初は出演する予定ではなかったが、当時東宝で撮影していた出演作『おはん』の合間に本作品の衣装合わせを覗きに衣装部屋を訪れるなどしており、監督の橋本に「金(ギャラ)なんかいらない、ワンカットでも出ることに意義があるんだ」と直談判し、端役での出演が決まった[47]。石坂の衣装には、テレビドラマ『怪奇大作戦』(1968年)に登場するSRIのエンブレムと『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)に登場する赤イ竹の階級章がつけられている[157]。
ニュースキャスター役の森本毅郎は、人気キャスターを出演させたいという橋本の要望により、TBSの協力で出演が実現した[47]。撮影もTBS内で行われ、セットも局側が用意した[195]。
ゴジラに持ち上げられる新幹線の乗客の1人を演じたかまやつひろしは、当時放映されていたテレビドラマ『ビートたけしの学問ノススメ』の釜田先生の衣装とアクションで登場し、他の乗客が悲鳴をあげるなか、唯一微笑んでいる。当時10代だったなべやかんも乗客の1人として出演している[40]。なべは、顔馴染みの宣伝部員から橋本を紹介され出演に至った[40]。
ゴジラから逃げ惑うエキストラとして、鳥山明・さくまあきら・堀井雄二が参加している[175]。しかし、映像内では判別不能とされる[175]。写真ポスターにおける群衆の最前列の中央には、鳥山が写っている[174][175]。
演出
監督の橋本は、助監督として過去のゴジラシリーズにも携わっていたことから従来のパターンには飽きていたといい、本作品では過去のパターンを踏襲しつつも核問題や政治要素などを取り入れている[47]。
本編は、1984年7月9日にクランクイン[205][39]、9月27日にクランクアップした[206][39]。
劇中にはゴジラが有楽町を通過する際に有楽町マリオンや新幹線を破壊するシーンが存在するが、これはシリーズ第1作『ゴジラ』でゴジラが日本劇場[注釈 50]を破壊するシーンや列車を襲撃するシーンとの対比となっている[207][137][注釈 51]。また、ゴジラが住友ビルを倒す展開は撮影中にスタッフの間から出たアイデアによるもので、本当に倒せるかを工学博士の大崎順彦に検討してもらってOKが出たため、実現した[注釈 52]。新宿のビルでは、新宿NSビルも壊しても良いという許可を得ていたが、橋本はその件を後から聞かされたといい、撮影で壊されることはなかった[47]。初期案では首相官邸を踏み抜くという描写も存在し、橋本はゴジラが有楽町から新宿に至るルートも丹念にやりたかったと述べている[47]。橋本は、伊勢丹新宿店から甲州街道に出て副都心へ至るルートも数カット入れたかったというが、夜間ロケの許可が降りず断念した[47]。
新人監督であった橋本は製作の田中友幸には信用してもらえなかったといい、田中が現場で直接指揮することもあったという[106]。特に沢口のシーンで撮り直しが指示されることが多かったが、橋本は撮り直してもあまり変わらなかったと述懐している[106]。
首相役の小林桂樹が三原山火口に落下していくゴジラを見ながら涙を流すシーンがあるが、これは脚本に無く小林のアドリブである[32]。涙を流さないカットも撮影されたが、監督の橋本はのちに情感に負けて涙を流すテイクを採用したことを反省したという[32]。後年に出版された著作でこのシーンについて尋ねられた特技監督の中野昭慶は、「涙を流さない方が強かったと思う」とコメントしている[210]。一方、林田役の夏木は、同シーンや林田が火口に落ちるゴジラを悲しげに見つめる様子などが、ゴジラが単なる悪役ではなく同情の気持ちが湧く同じ生き物であることを示しており、その情感が魅力であると述べている[190]。
加藤茂雄が演じる船員の「潮が速い」というセリフは、漁師経験のある加藤が橋本から漁師らしい言い回しを相談され、提案したものである[211]。
奥村が収容された警察病院の病室は、東宝撮影所本館の会議室で撮影された[140]。
首相執務室、官房長官室、閣議室などの装飾は、本物に近い高級なものを高津装飾美術からレンタルしている[140]。特別会議室のオブジェは、彫刻家である井上泰幸の妻の作品を用いている[140]。
牧が奥村の生存を尚子へ告げるシーンは、新宿中央公園で撮影された[166]。
奥村と林田がヘリコプターで吊られるシーンでは、自衛隊の実機が用いられた[47]。橋本によれば、本来はスタントマンたちが吊られる役を演じる予定であったが、ヘリコプターの駆動音が大きいことからスタッフに指示が通りづらく、手違いで夏木と宅麻が宙吊りになって演じていた[47]。宅麻は、吊り上げられる速度が想定よりもゆっくりであったため困惑したことを述懐している[202]。海上自衛隊の活動シーンは、東宝映像が制作した海自広報映画『海、翼、そして明日』(1977年)から流用している[35]。
廃墟となった新宿のセットでのホースを使って脱出するシーンも、田中健と沢口がスタントなしで建物3階分の高さから降りている[162]。
外国人エキストラの多くは俳優が本業ではないことから撮影に慣れておらず、長いカットでは集中できず短いカットバックを重ねる演出となった[47]。ローゼンバーグ米特使役のウォルター・ニコルスは、大使館での実務経験があったことから起用されたが、撮影でわかりやすいオーバーな演技を求められても「大使はそんな喋り方はしない」と抵抗していたという[47]。
原潜シーンでのロシア人役の外国人エキストラは全員アメリカ人であったため、ロシア語のセリフはローマ字で書かれた発音を覚えて演じていた[47][78]。学生時代にロシア文学を専攻していた橋本は、不自然なロシア語になってしまっていると述懐している[47]。
7月30日には、第8ステージで井浜原発の中央制御室のシーンが撮影された[170]。
8月14日には、新宿西口4号地[注釈 53]で300人規模のエキストラ撮影が行われた[195]。撮影監督の原一民は、通常のエキストラは100人程度でこの規模の撮影はやったことがなく苦労した旨を語っている[195]。
9月11日には、第8ステージで新幹線車内のセット撮影が行われた[40]。セットは上下に可動し、転がる乗客はスタントマンが演じた[40]。
三原山での爆弾設置シーンは、実際に同地で自衛隊員が設営する様子を撮影している[46]。爆弾のプロップは、塩ビ製の筒にプラ製の植木鉢を被せたものである[140]。
大井埠頭のロケでは、撮影用の銃器を乗せたトラックが警察から職務質問を受けて遅れるトラブルがあった[162]。
ラストシーンでは、牧と尚子が東都日報のヘリで三原山上空に駆けつけるシーンも撮影されていたが、カットされた[132]。
劇用車は、タイアップにより三菱自動車工業の車両が用いられ、移動指揮車に用いられたザ・グレートのほか、牧の車両としてギャラン∑、特使公用車としてデボネア、新宿の広報車としてデリカスターワゴンなどが登場した[212]。
特撮
特撮面では、井浜原子力発電所や東京上陸後にゴジラが通過する晴海通り(有楽町の数寄屋橋交差点周辺一帯)、そして新宿副都心のビル群が精巧に再現されるなど、それまでのお正月映画では不可能な潤沢な予算と期間ならではの豪華なセットが組まれた。そのセット費用は井浜原子力発電所が8,000万円[121][170]、製作期間に2か月をかけた新宿副都心の高層ビルやその他のビル数130本、電球数200個の合計で1億5,000万円[137][注釈 54]。有楽町セットは2つのセットより精巧に再現されており、特技監督の中野昭慶は効果的に壊れるミニチュアの素材選びにもこだわっていた[137]。有楽町には東宝本社も所在することから、関係者らは看板まで再現した緻密なセットに驚嘆していたという[121]。実在しないバンダイの看板はタイアップにより設置された[46]。一方で、リアリティを重視した結果、破壊されたビルの関係者から抗議があったことを当時の新聞が報じている[39]。
ゴジラの身長設定が変更されたことに伴い、従来のミニチュアが使用できなくなったため、すべて新規に制作された[200]。中野は、スケールの変更により高層ビル以外は従来のミニチュアより小さく、ディテールなどに苦労した旨を語っている[121]。当初はゴジラの身長は100メートルと設定されていたが、高層ビル以外のミニチュアが小さくなりすぎるため、特殊美術の井上泰幸は高層ビル以外のミニチュアを無断で本来の縮尺である1/50ではなく1/40スケールで制作し、ゴジラの身長もそれに合わせて80メートルという設定に改められた[213]。
特撮班は1984年7月7日にクランクイン[205][39]、10月4日未明にクランクアップした[206][39]。スケジュールの都合などから、撮影途中から助監督の浅田英一を中心としたB班が立てられ、サイボットゴジラのシーンなど同時並行での撮影が行われた[132]。
井浜原発のセットは、第9ステージに組まれた[205][170]。原発のシーンでは、ゴジラの周囲を取材ヘリが飛んでいる描写も撮影されていた[121]。
有楽町および新宿のセットも第9ステージで組まれたが、撮影順は新宿の方が先である[214]。中野は、有楽町では色彩を、新宿ではゴジラの格好良さを出すことを、それぞれの狙いとした[214]。ビルのミニチュアには、シャンデリアや蛍光灯などの電飾が仕込まれたが、撮影助手の大川藤雄はその光のためカメラの調整に苦労したと述べている[170]。撮影中、ゴジラが踏み抜く石膏製の落とし穴の仕掛けをスタッフが踏み抜くトラブルがあった[138][注釈 55]。
7月12日から17日にかけて、大プールにて大黒島の噴火シーンが撮影された[138]。島のセットはポリエステル製、上部から崩れる岩はカポック製である[138]。島が割れる描写は、エアシリンダーで表現している[46]。
7月27日から8月2日にかけて、第9ステージに設営されたセットプールで埠頭のシーンが撮影された[46]。セットは強制パースをつけて遠近感を表現している[46]。撮影テストでは、発射したミサイルがホリゾントに当たったり、すぐに水に落ちてしまったりするなどの失敗があった[46]。
8月15日から16日にかけて、御殿場のオープンセットで三原山の噴火シーンが撮影された[132]。撮影助手の大川藤雄は、同地にて映画『乱』(1985年)のセットが建設中であったため、その重機を借りて三原山のセットを設営したと証言している[170]。特殊効果助手の関山和昭は、火薬費は別予算であったと証言しており、オープン撮影は急遽決まったものであったと推測している[46]。
8月24日から9月22日にかけて、第9ステージで新宿のシーンが撮影された[195]。当初は住友ビルを壊す予定ではなく、製作の田中友幸からの提案により追加された[139]。特技監督の中野昭慶は、破壊シーンが好きな田中からの切なる願いであったと述懐している[139]。ミニチュアも倒す予定ではなかったため鉄骨を入れた頑丈な作りとなっており、特殊美術助手の好村直行は不自然な倒れ方になったことが心残りであったと語っている[40]。核爆発の影響によって変化する空の様子は、照明によって表現している[162]。
9月3日から13日にかけて、第2ステージで三原山のセットの撮影が行われた[206][注釈 56]。第2ステージは第9ステージよりも小さいため大きなセットが組めず、ゴジラの縮尺よりも小さくなっている[206]。三原山の火口の噴煙にはフロンガスが使われたが、中野はそれが加熱されると発生する塩化水素を本番直前に吸ってしまい、「用意!」の声の直後に数秒間失神していたという[206][181]。火口内の描写は、クランクアップ前(10月3日)に追加で第8ステージにて撮影された[出典 72]。溶岩の描写は、火口内のものは寒天、吹き出すものは水を用いており、照明で赤く見せている[132]。
特撮班では火口のミニチュアセットを望遠レンズで撮影していたが、本編班では実景の火口をワイドレンズで撮影していたため、それぞれのカットで火口の大きさが違って見えてしまっている[47]。橋本は、田中からこの点について指摘されたといい、両班の連携の重要性を実感したという[47]。
有楽町のシーンの撮影は、9月27日から10月2日にかけて行われた[40]。有楽町マリオンのミニチュアは、実物の建築図面をもとに、施工を担当した竹中工務店にも取材を行って制作された[121][40]。建物のガラス面にゴジラが映り込むという描写のため、ミニチュアではアクリルミラーが用いられた[40]。しかし、各企業のロゴや屋上の照明など設計に直接関係のない部分はわからず、東宝マークは撮影2日前に実物につけられたことから急遽ミニチュアにも追加された[121]。美術助手の好村直行は、オープン前なので東宝から建物を壊しては駄目だと指示されていたことを証言しているが[40]、特技監督の中野昭慶はゴジラが数寄屋橋交差点を踏み抜くシーンでやむなく壊したと述べている[139]。ゴジラに掴まれる新幹線のミニチュアは4両編成で、1両40万円の制作費をかけた精巧なものであった[40]。
陸上自衛隊仕様の対戦車ヘリコプターAH-1Sが有楽町でゴジラと戦うというシーンが絵コンテで描かれ、ミニチュアも1/10・1/40・1/48・1/72の4種類が制作されていたが、採用には至らなかった[40]。このうち1機は、樋口が借用して自主制作映画『八岐之大蛇の逆襲』(1985年)で使用された[117]。
銀座・有楽町シーンの直前でのゴジラがビルの合間から顔を覗かせるカットは、芝五丁目交差点から撮影された実景に合成しているが、実際には銀座から約3キロメートルほど離れている[166]。
高速道路の炎上シーンは、『ノストラダムスの大予言』から流用している[40]。予告編では、テレビドラマ『東京大地震マグニチュード8.1』(1980年)の映像も用いられた[194]。
造型部に参加していた樋口真嗣は、本作品の撮影終了後、使用したミニチュアを収納するため倉庫の半分を空けなければならず、『怪獣総進撃』のムーンライトSY-3のミニチュアや『モスラ』の原子熱線砲の台座、『メカゴジラの逆襲』のチタノザウルスのスーツなど過去の作品で用いられた造形物が数多く処分されたと証言している[200]。また、処分に際し『モスラ対ゴジラ』(1964年)のモスラの頭部と特美スタッフが記念に撮影したスナップも存在する[66]。
音楽
本編BGMはすべて小六禮次郎が作曲した[180]。オーケストラは東京交響楽団、指揮は中谷勝昭が務めた[180]。
当初、小六は子供向け映画の依頼かと認識していたが、シリアスな内容の台本を読んでコンセプトを理解し、意気込んで取り込んだと述懐している[180]。小六は、幼少期に観た第1作『ゴジラ』の印象から、重低音を重視した構成としている[179]。各楽曲は、本作品の雰囲気にあわせて悲壮感を感じさせるものとなっており、合間にダイナミズムを持つ自衛隊のテーマを織り交ぜることでメリハリをつけている[179]。本作品では、スーパーXのマーチが特に人気があるとされる[179][180]。
ゴジラのテーマは、イントロに不協和音を用いることでシンプルなメロディを引き立たせている[180]。また、4小節のイントロダクションでの分厚いハーモニーを経てメロディに入ることで、ゴジラが出現するイメージを表現している[180]。
小六はブラスバンド出身であったことから、自衛隊マーチはすぐに書けたといい、当時アメリカのスポーツ番組で用いられていたモダンなマーチをイメージしている[180]。
ラッシュが遅れたため音楽スケジュールもタイトなものとなり、小六は写譜屋を数人待機させ、楽譜を1ページ書いたら渡していくという体制をとった[180]。
予告編では伊福部昭の曲が使われているが、本編では使用されていない。小六が伝え聞いた話では、当初から伊福部を起用する予定はなかったといい、制作側には以前とは異なる方向性を模索する意向があったとされる[180]。予告編では、小六がデモ用に先行して制作したシンセサイザーによるゴジラのテーマがそのまま用いられた[180]。
本作品のサウンドトラックは、最初に発売されたLP盤では収録時間の都合から主要楽曲のみ収録され、その後発売された「完全収録ドラマ編2枚組LP」(1985年)や「ゴジラ&怪獣映画音楽大百科II」(1991年)などで未収録楽曲が収録されたのを経て、全楽曲が完全に揃ったのは2006年に発売された「ゴジラ・サウンドトラック・パーフェクトコレクション CD-BOX4」であった[178]。
宣伝
同時期に公開予定であった『ゴーストバスターズ』および『グレムリン』とあわせて「3G決戦」とするキャッチコピーを打ち出し、競合作品を逆手に取った宣伝戦略を行った[215][39]。
ゴジラシリーズに馴染みのない当時の少年層に周知させるため、漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』とタイアップを行い、同誌で特集を組んだほか、連合試写会も開催した[215]。
本作品公開時には、大々的なCMタイアップが展開され、アキレス、三菱・ギャラン、江崎グリコ「プッチンプリン」などでゴジラがCMキャラクターに起用された[212]。グリコでは、プッチンプリン以外の商品でもパッケージにゴジラを使用していた[212]。
特撮の撮影に用いられたサイボットゴジラも宣伝に活用され、全国でのプロモーションを行ったほか、音楽番組『ザ・ベストテン』でロックバンドチェッカーズのバックに登場した[215]。
キャンペーンの一環として、メイキング映像『MAKING OF ゴジラ』が1985年1月30日にVHSとベータマックスで発売された[194]。
1984年6月には、東宝の公式ファンクラブ「ゴジラクラブ」が発足された[39]。会員には、小松左京(会員番号5番)、林家しん平(8番)、水木しげる(10番)、藤井郁弥(17番)、糸井重里(30番)などの著名人も名を連ねた[39]。同年には、会員限定の上映会やコンサートなどが開催された[39]。
本作品の撮影地の1つである伊豆大島では、「ゴジラ巡りツアー」が開催された[166]。その際、島内の長根浜公園に設置されたゴジラ像は、2019年時点でも現存している[166]。
注釈
- ^ 資料によっては、「107分」と記述している[15]。
- ^ 資料によっては、「330万人[4]」「388万人[30][31]」と記述している。
- ^ 書籍『大ゴジラ図鑑』では、本作品のタイトルを『ゴジラ GODZILLA』と表記している[42]。
- ^ 決定稿の脚本による[45][46]。自衛隊が集結するシーンの撮影は大井埠頭で行われ[47][46]、『東宝SF特撮映画シリーズVOL.1 ゴジラ』では特撮セットについても大井埠頭と紹介しているが[48]、『ゴジラ大辞典』ではこのシーンを晴海埠頭と解説しており[49]、監督の橋本もインタビューではゴジラの上陸地点を晴海と想定していたと語っている[47]。
- ^ 資料によっては、「1メートル弱[54]」「150センチメートル[60]」「50センチメートル[17]」と記述している。
- ^ 資料によっては、「不明[54](?[60])」「600グラム[17]」と記述している。
- ^ 資料によっては「大黒島近海[54][59]」「ゴジラに付着[60]」と記述している。
- ^ 書籍『ゴジラ大百科』では、ショッキラスの命名者は不明だが、日本政府によって便宜的につけられたものと推測している[61]。
- ^ 現実のフナムシは獲物の身体を喰らう雑食性であり、体液を吸う習性はない。
- ^ 後年、『ゴジラの花嫁?』の手書きシナリオは、東宝スタジオのプロデューサー室が取り壊された際に、田中友幸が使用していたロッカーから本作品の資料とともに発見された[39]。
- ^ 資料によっては、井上泰幸と記述している[56]。
- ^ 資料によっては安丸信行と小林知己と記述しているものもあるが[73][56]、安丸自身は記憶にないと述べている[51]。
- ^ 小説版では、同業者のある行動を自分とダブらせ、この件を深く反省する。
- ^ 学生証に記された生年月日は「昭和41年11月30日」であるが、作品の年代設定と矛盾している[81]。
- ^ 書籍『ゴジラ大百科』では、メインパイロットと記述している[33]。
- ^ 書籍『ゴジラ大辞典』では、名称をホームレスと記述している[104]。
- ^ 書籍『ゴジラ大百科』では、「生死は不明」と記述している[103]。
- ^ 資料によっては、生物物理学者と記述している[57][62]。
- ^ 資料によっては「最高速度:時速100キロメートル、巡航速度:時速49キロメートル[115]」「最高時速140キロメートル[112]」と記述している。
- ^ このため、照準の有効範囲が射程になる。
- ^ 資料によっては「1名」と記述している[出典 33]。
- ^ 実在しない部隊名[111]。
- ^ 書籍『東宝特撮超兵器画報』では「1/30と1/50[109]」と記述している。書籍『東宝SF特撮映画シリーズVOL.1 ゴジラ』では、1/30スケールのみ明記している[121]。
- ^ 長沼は、次作『ゴジラvsビオランテ』でも92式メーサー戦車の部隊章として同じくオートバイクラブのむささびのイラストを用いている[117]。
- ^ 資料によっては、名称を旧ソ連戦略原潜シェラ級と記述している[134]。
- ^ 資料によっては、名称を戦略核ミサイル衛星と記述している[110]。
- ^ ミニチュアは、第1作『ゴジラ』で用いられたM24チャーフィー戦車のシャーシを用いている[117]。
- ^ ミニチュアは、市販のプラモデルをディテールアップしている[117]。実機の機内映像は、東宝映像が制作した自衛隊のPR映画『海・翼 そして明日』(1977年)でのP2-J対潜哨戒機の映像を流用している[157]。
- ^ ミニチュアは、2021年の時点で現存が確認されている[122][159]。
- ^ ミニチュアは、1/16スケールと1/40スケールの2種類が制作された[162]。
- ^ 陸上自衛隊の実機が撮影に用いられた[46]。
- ^ 石坂浩二が演じる原発職員のシーンは、東宝スタジオ旧本館の渡り廊下で撮影された[170]。
- ^ 書籍『ゴジラ1984コンプリーション』では、役名を内閣調査室長・辺見昇と記述している[172]。
- ^ 書籍『ゴジラ1984コンプリーション』では、渡辺の役名をゴジラ非常緊急対策本部オペレーター、布施の役名を陸上自衛隊オペレーターと記述している[172]。
- ^ 書籍『ゴジラ1984コンプリーション』では、役名をTRSテレビニュースキャスター・森本毅郎と記述している[172]。
- ^ 役名は、書籍『ゴジラ・デイズ』では男A[6]、書籍『平成ゴジラ大全』では男A(浮浪者)[13]、書籍『ゴジラ1984コンプリーション』では新宿の浮浪者[172]と記述している。
- ^ 浜岡原子力発電所をモデルとした架空の施設[181]。
- ^ 橋本は、セット全体を檻に見立ててゴジラの孤独感を出したと述べている[47]。資料によっては、結果としてゴジラを矮小に見せてしまっていたことを指摘している[41]。
- ^ 中西と村尾による『KING of MONSTERS ゴジラの復活』では1977年6月22日と表記しているが、田中文雄は中西への発注が1978年6月、村尾は1979年と証言しており、正確な時期は定かになっていない[39]。
- ^ 村尾による脚本『ゴジラの復活』(1980年)では、対戦相手として魔獣バガンが登場しており、後に『モスラVSバガン』にも転用されているが、こちらも実現には至らなかった[出典 66]。
- ^ アメリカ側で全面的に制作し、東宝は特撮を担当する方向で検討されていた[71][69]。
- ^ 書籍『ゴジラ大全集』では、田中友幸がゴジラには外国資本を入れないという方針であったためではないかと推測している[71]。
- ^ 『ゴジラ1983 復活フェスティバル』1983年8月6日 - 26日、名画座ミラノ(後のシネマミラノ→新宿ミラノ3)
- ^ 堀内は、東宝全体でゴジラを盛り上げるため、部署間の枠を取り払う意図から委員会を立ち上げたと述べている[186]。また、委員会は『のび太の恐竜』で堀内が立ち上げた製作委員会方式がモデルの一つになっている[186]。
- ^ 田中文雄は、ゴジラが何を目的にしているかわからないため、放射能に呼び寄せられる設定にしないと物語が作れなかったと述べている[188]。一方、中野によれば、スタッフから『ゴジラ対ヘドラ』のヘドラと同じことをするのかと揶揄する声もあったという[182]。
- ^ 永原も『さよならジュピター』の脚本を執筆していたが、採用されなかった[189]。
- ^ 「見学者」としては、本作品以前にも『さよならジュピター』や『零戦燃ゆ』にも参加していた[200]。
- ^ 当時、井上は特殊美術課(特美)で作業していたが、あくまで外部(アルファ企画)の人間であったため特美から助手をつけることはできず、正規のスタッフではなかった樋口が選ばれたという[200]。
- ^ 後年、3人はテレビドラマ『科捜研の女』season13(2013年)で再共演している[202]。
- ^ 1981年に解体された跡地へ建設されたのが、有楽町マリオンである。マリオンは撮影当時建設中であったため、実景カットは片側からのみ映したものとなっている[47]。
- ^ 新幹線を破壊するシーンについては、撮影開始前のテスト中に特技監督の中野昭慶が「ゴジラがしゃがんで足元の新幹線の車体を掴めるよう、スーツを改造してくれ」との旨を希望したが、造型の安丸信行に撮影開始までの日数のなさと改造によるスーツの体型の崩れを理由として当初は了承されなかったことから、怒った中野が台本を投げつけ、その光景をスーツ内の薩摩剣八郎が目撃していたという[208]。
- ^ 中野昭慶は、スタッフからは反対意見も多かったが、エンターテイメント性を持たせるためには必要であったと述べている[209]。
- ^ 後に東京都庁舎が建設された[166]。
- ^ 書籍『ゴジラ1984コンプリーション』では、制作期間3ヶ月、ビル総数180戸、費用は1億4,000万円と記述している[39]。
- ^ 美術助手の長沼孝は、自著で新宿のセットと記述していたが、美術助手の寺井雄二は数寄屋橋交差点のセットであったと証言している[138]。
- ^ 書籍『ゴジラ1984コンプリーション』では、8月9日から17日と記述している[132]。
- ^ 線路が破壊される前にできる限りの都民を避難させるべきという運転士の主張が認められたため。
- ^ ただし、現実世界に存在する同名俳優との混同を避けるため、作中では一貫して「ミスター・マーティン」と呼ばれている。
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