故事
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故事(こじ)とは、大昔にあった物や出来事。また、遠い過去から今に伝わる、由緒ある事柄。特に中国の古典に書かれている逸話のうち、今日でも「故事成語」や「故事成句」として日常の会話や文章で繁用されるものをいう。
- ^ 『荘子』 秋水
- ^ “「井の中の蛙大海を知らず」には実はポジティブな続きがあった! /毎日雑学”. ダ・ヴィンチ. KADOKAWA (2020年10月9日). 2020年12月30日閲覧。
- ^ 『後漢書』列伝11・邳彤伝
- ^ 『後漢書』列伝9・耿弇伝
- ^ 『歴代名画記』 巻七 梁
- ^ Wikiquoteの中国のことわざに、水衡記を典拠とする記述があります。
- ^ 『列子』 説符篇
- ^ 『列子』 天瑞篇
- ^ 『戦国策』 燕策
- ^ 『晋書』 車胤伝
- ^ 『孟子』 魏恵王 上
- ^ 『淮南子』 巻十八 人間訓
- ^ 『史記』項羽本紀
- ^ 『韓非子』 五蠧篇
- ^ 『春秋左氏伝』桓公12年 - 国立国会図書館デジタルコレクション 春秋左氏伝(日本語訳)八二頁
- ^ 春秋左氏傳 桓公 (中国語), 春秋左氏傳/桓公#桓公十二, ウィキソースより閲覧。
- ^ 『孟子』 公孫丑 上
- ^ 『漢書』 朱雲伝
- ^ 『晋書』 孫楚伝
- ^ 『詩経』 小雅 鶴鳴編
- ^ 世說新語 黜免 (中国語), 世說新語/黜免#2., ウィキソースより閲覧。
- ^ 『荘子』 斉物論
- ^ 『列子』 黄帝篇
- ^ 『戦国策』 楚策 - 楚の宣王に対して家臣の江乙が話したたとえ話。他国が令尹(宰相)の昭奚恤を恐れるのは、実際は楚王の軍を恐れるゆえと説明するため。
- ^ 『荘子』徳充符より
- ^ 『春秋左氏伝』成公十年より
- ^ 『無門関』「六則」
- ^ 『戦国策』「燕策」より
故事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 10:11 UTC 版)
日本最古の橋 文書に残る日本最古の橋である猪甘津橋は、現在の生野区に架かっており、周辺に鶴が群れていることからその後「鶴の橋」と呼ばれるようになったとされ、現在の「鶴橋」の地名となった。河川の埋め立てにより現在は橋がなくなったが、「つるのはし跡」の石碑がJR環状線の桃谷駅近くに建っており、橋脚の一部が残っている。 聖徳太子伝説 〜生野区の名称の由来〜 生野長者と呼ばれた長者の子が、生まれつき言葉をしゃべらないので聖徳太子に相談したところ、聖徳太子が「私が前世に預けた舎利を返しなさい」と長者の子におっしゃった。すると長者の子は3つの舎利を口から吐き出し、それからは普通にしゃべれるようになった。聖徳太子はその舎利を一つは四天王寺に、一つは法隆寺に、一つを長者に賜った。その舎利をおまつりするために長者は寺を建て、舎利尊勝寺と名づけた。生野区の名称はこの故事に登場する生野長者に由来し、長者の建てた舎利尊勝寺は生野区内に現存しており、一帯の地名「舎利寺」の由来となっている。 古代・仁徳天皇の時代に、多くの「渡来人」がこの地にやってきた。特にこの地域は百済からの渡来人が多く古くは「百済郡」と呼ばれていた。その渡来人たちがブタ(猪)を飼う技術を持っていたことからこの地域を「猪飼野(いかいの)」と呼ぶようになる。生野は猪飼野が訛ったものか。
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故事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 03:03 UTC 版)
男色を意味する「断袖(中国語版)」という語は、董賢と一緒に寝ていた哀帝が、哀帝の衣の袖の上に寝ていた董賢を起こさないようにするため衣を切って起きた、という故事に基づく。
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故事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 17:51 UTC 版)
男色を意味する「断袖(中国語版)」という語は、董賢と一緒に寝ていた哀帝が、哀帝の衣の袖の上に寝ていた董賢を起こさないようにするため衣を切って起きた、という故事に基づく。
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故事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:20 UTC 版)
「zh:楚弓楚得」も参照 「楚弓楚得」と呼ばれる故事が伝わる。 ある時、共王が狩猟に出かけたが途中で弓を忘れてしまった。近侍のものが取りに行こうとしたが王は止めさせて「楚の人間が忘れた弓を楚の人間がいつか拾うだけのことだ」(楚人弓を遺れて楚人これを得)と言った。君主としての度量の大きさを表す事柄であったが、後年この事を聞いた孔子は「人間が忘れた弓を人間が拾うだけのこと、と言えば良いのになぜ楚と限ってしまうのか」と逆に王の狭量を嘆いたとされる。 以上の故事は、『公孫龍子』跡府篇、『孔叢子』公孫龍篇、『呂氏春秋』孟春紀 貴公篇、『説苑』至公篇、『孔子家語』好生篇など、様々な文献に載っている。ただし、それぞれ細部の字句が異なる。 後世の詩文にも度々引用されている(宋代の女流詞人・李清照の『金石学後序』など)。
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故事
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4世紀に干宝が著した『捜神記』には、「相思樹」の故事が収録されている。 それによれば、戦国時代の宋において、舎人の韓憑は美しい何氏を妻として娶ったが、君主である康王が横恋慕し、何氏を奪ってしまった。康王を恨んだ韓憑は自ら命を絶ち、それを知った何氏も失意のあまり身を投げてしまった。何氏の遺書には韓憑とともに葬ってほしいと記されていたが、康王はそれを許さず、韓憑と何氏は離れ離れに埋葬された。ところが、二人の墓からそれぞれ梓の樹が生え、やがて互いの枝が入り混じるように生い茂った。さらに、一対の鴛鴦が樹上に棲みつき、悲しそうに啼くようになった。人々は韓憑と何氏を憐れんで、この樹を「相思樹」と名付けたという。この故事は、のちに「相思相愛」や「鴛鴦の契り」の典拠になった。 なお、この故事は、韓憑説話として多くの説話集に採録されているが、それに伴ってさまざまなバリエーションが派生している。「相思樹」と名付けた樹について、干宝の『捜神記』では「梓」と表記しているが、『列異伝』では「文梓」とされており、『韓朋賦』では「桂樹と梧桐樹」とされている。日本においては、韓憑説話の影響を受けたと思われる説話が『曽我物語』に採録されているが、こちらには「相思樹」は登場しない。
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故事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 05:47 UTC 版)
岩手県盛岡市出身の貴族院議員で第18・22代東京府知事阿部浩は、平家物語にある「安倍宗任と梅の故事」にならい、安倍氏ゆかりの盛岡市安倍館町に別邸を建て、吾郷楳荘(現・一ノ倉庭園)と名づけた。これは、「吾が故郷の梅(楳)の荘」の意である。扁額の揮毫は伊藤博文で、現在は盛岡市原敬記念館が所蔵。厨川柵で潰えた安倍氏を偲び、同様の故事から盛岡市立厨川中学校の校章は「梅」を象る。 「わが国の梅の花とは見つれとも 大宮人は如何か言ふらむ」 安倍宗任
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故事
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阮籍(げんせき) 嵆康(けいこう) 山濤(さんとう) 劉伶(りゅうれい) 阮咸(げんかん) 向秀(しょうしゅう) 王戎(おうじゅう) 阮籍が指導的存在である。その自由奔放な言動は『世説新語』に記されており、後世の人々から敬愛されている。7人が一堂に会したことはないらしく、4世紀頃からそう呼ばれるようになったとされる。隠者と言われることがあるが、多くは役職についており、特に山濤と王戎は三公にまで登っている。日本では竹林の七賢というと、現実離れしたお気楽な発言をする者の代名詞となっているが、当時の陰惨な状況では奔放な言動は死の危険があり、事実、嵆康は鍾会の讒言によって陥れられ、死刑に処せられている。彼らの俗世から超越した言動は、悪意と偽善に満ちた社会に対する慷慨(憤り)と、その意図の韜晦(目くらまし)であり、当時の知識人の精一杯で命がけの批判表明と賞される。 魏から晋の時代には老荘思想に基づき、俗世から超越した談論を行う清談が流行した。『世説新語』には彼ら以外の多くの人物について記されているが、彼ら以後は社会に対する慷慨の気分は薄れ、詩文も華美な方向に流れた。
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故事
「故事」の例文・使い方・用例・文例
- 彼はやたらに故事来歴に詳しいけれど、それが人生の役に立っているのかはなはだ疑問だね。
- 言葉の故事来歴を探る
- これには故事来歴がある
- 英語は故事来歴の多い国語である
- この言葉には故事がある
- この本にはいろいろな故事が引いてある
- 日本語や英語は故事来歴の多い国語である
- 故事熟語辞典
- 熟語の故事来歴を糺す
- 英語には故事来歴が多い
- 故事成語辞典
- 孟子の母が孟子の教育のために三度住居を変えたという故事
- 物事の故事来歴
- 典拠となる故事
- 故事や儀式や礼儀にくわしいこと
- 故事や儀式や礼儀にくわしい人
- 主題も場面も歴史的事実や故事にもとづいているが人物を現代の風俗に合わせて描いた絵
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