鉱床の形成
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岩戸鉱山の鉱床は、熱水性の塊状岩金銀珪化岩からなっている。鉱床を胚胎する珪化岩体は、南北方向の断面がキノコのような形状をしており、それが東西に長く伸びた、鉄道のレールのような構造となっている。 鉱床の母岩となったのは、凝灰角礫岩や凝灰岩などの火山砕屑物である。熱水によって変質した中心部は珪化帯になっており、安山岩が元になった珪化岩の場合は輝石や斜長石などの斑晶が、凝灰角礫岩が元になった珪化岩の場合は礫や軽石などが溶脱されて空隙を生じている。この珪化帯を薄く取り巻くように弱珪化帯があり、珪化帯より溶脱が不完全でより多くの粘土鉱物を伴っている。弱珪化帯の外側には粘土化変質帯が、そしてその外側にはプロピライト化帯がある。南薩型金鉱床では、熱水により最初に珪化が進行して空隙を生じ、あとからこの空隙に金や銀の鉱化作用が起きて鉱床が形成されていった。この鉱化はほぼ珪化帯に限られ、外部の粘土化変質帯などにはほとんど見られない。 岩戸鉱山の明礬石に対するカリウム-アルゴン法による年代測定では470万年前±100万年前と測定されており、春日鉱山より新しく、赤石鉱山より古いとされている。これは火山活動と鉱化作用が西から東へ移る傾向にあったことを示している。
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鉱床の形成
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「赤石鉱山 (鹿児島県)」の記事における「鉱床の形成」の解説
赤石鉱山の採掘対象となる鉱床は高硫化型熱水性金鉱床であるとされ、別名南薩型金鉱床と呼ばれ、枕崎市にある岩戸鉱山および春日鉱山と同様のものである。 南薩中期火山岩類の安山岩に熱水が流入し、酸性変質作用を受けて珪化岩が生成されたものとされる。珪化岩と安山岩の境界付近では、珪化岩側から強珪化変質、弱珪化変質、強粘土化変質、弱粘土化変質、プロピライト変質の順で帯状に重なっている。これらの部分に幅広い種類の粘土鉱物が確認されていることから、成分の異なる熱水が複数回流入して珪化岩が生成されたと推定されている。最初に酸性熱水が流入して南薩中期火山岩類の安山岩から斑晶や捕獲岩片が溶脱されて相対的に珪酸が増大する溶脱型珪化作用が生じて珪化岩体が生成され、続いて中性熱水が上昇して石英や金を沈殿する付加型珪化作用が生じ、さらに褐鉄鉱などの酸化鉱物が生成されたのち、二次富化として天水の作用により鉄や金が再沈殿するという流れで鉱床が形成されていった。このように、赤石鉱山の鉱床は、南薩中期火山岩類が酸性変質作用を受けて生成した珪化岩の中に胚胎する鉱染型の鉱床である。赤石鉱山ではこの鉱床の中で、金の品位が鉱石1トン当たり3グラム以上の部分を鉱体として扱っている。 鉱床の生成時期は、古地磁気による判定では、418万年前-358万年前のステージIと、358万年前-322万年前のステージIIの2回があるとされ、また第1鉱体の明礬石に対するカリウム-アルゴン法による年代測定で370万年前±100万年とされた。これは岩戸鉱山や春日鉱山よりは新しい時代の生成であり、薩摩半島の火山活動が西から東へ向けて順に起きていったことと一致している。 赤石鉱山では、珪化岩は東西約300メートル、南北約200メートル、地下約270メートルの楕円形をしており、この中に第1から第4までの鉱体が胚胎している。数字は鉱体の発見順で、おおよそ菱形に配列しており、第1鉱体が最大で90メートル×50メートル×125メートルで平均金品位7.4グラム/トン、第2鉱体は80メートル×30メートル×80メートルで平均金品位7.7グラム/トン、第3鉱体は80メートル×30メートル×80メートルで平均金品位5.5グラム/トン、第4鉱体は80メートル×20メートル×40メートルで平均金品位6.2グラム/トンである。稼行が継続する南薩型鉱床の中では、赤石鉱山がもっとも高品位である。しかし菱刈鉱山のような鉱脈型の金鉱床に比べると低品位であり、なお操業が続けられているのは露天掘りや機械化された大規模坑内掘りに適していて低コスト採掘が可能であるという理由による。鉱石にはしばしばトジ金(粒状の自然金)を含む高品位金鉱石があり、他にルソン銅鉱、黄鉄鉱、少量の硫砒銅鉱、自然硫黄、スコロダイト銅藍、褐鉄鉱などが見られる。
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鉱床の形成
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伊豆半島には伊豆珪石鉱山以外にも、狩野川支流である船原川中流域には小規模な明礬石鉱床の船原鉱床、そして伊豆珪石鉱山の南約9キロメートル、長九郎山の北約2キロメートルのところには大規模な明礬石鉱床である仁科鉱床がある。後述のように仁科鉱床は伊豆珪石鉱山の明礬石鉱床とともに、戦時中はアルミニウム原料として注目され、鉱山開発が進められた。 伊豆珪石鉱山、船原鉱床、仁科鉱床は、いずれも鮮新世から更新世にかけての火山活動に伴う熱水による変成作用の結果、形成された酸性変質帯である。中でも伊豆珪石鉱山が属する宇久須酸性変質帯は最も規模が大きい。 伊豆珪石鉱山の鉱床を形成した熱水活動については、鉱山西部の深田鉱床はカリウム-アルゴン法によれば約220万年前と約120万年前、深田鉱床以外の宇久須酸性変質帯は約150万年前の活動であるとの数値が出ている。深田鉱床の120万前と他の宇久須酸性変質帯の150万年前という年代は比較的近く、ほぼ一連の火山活動に伴う熱水による変成であると考えられている。またもうひとつの深田鉱床の変成年代として報告されている約220万年前という数値からは、深田鉱床では2回熱水による変成が起きたことが考えられるが、年代測定値以外に2度の熱水活動があった兆候は確認されていない。 伊豆珪石鉱山の場合、熱水によって変成した岩石は湯ヶ島層群の安山岩類と熱海層群の小下田安山岩類と柴山湖成堆積物層であると考えられている。湯ヶ島層群は中新世中期、熱海層群は更新世に形成されたと見られている。 明礬石内の変質した鉱物や、硫黄の同位体比から判断すると、変成作用をもたらした熱水は変質帯中央部では約300度、周辺部でも200度以上の高温であったと考えられている。このような火山活動に伴う高温の熱水は、マグマ起源の二酸化硫黄や塩化水素を豊富に含む酸性塩化物硫酸塩型流体であり、この高温かつ強酸性の酸性塩化物硫酸塩型流体は、最終的には岩石から二酸化ケイ素以外のほとんどの物質を溶脱させてしまう。そしてこの高温かつ強酸性の流体は、次々と周辺の岩石との反応を繰り返し、変質帯の中心部から外側へと変成作用を広げていった。 なお、伊豆珪石鉱山の鉱床を形成した熱水活動は、飯島東、岩生周一は、小下田安山岩類を噴出した火山活動に伴うものであるとする。旧火道を示すと考えられる岩石の存在や岩脈群の状況などから、この火山活動は伊豆珪石鉱山付近を中心とした活動であり、柴山湖成堆積物層はこの小下田安山岩類を噴出した火山の火口湖に堆積したと考えている。この考え方によると伊豆珪石鉱山の鉱床を生み出した大量の熱水は、かつて伊豆珪石鉱山付近で起きた火山活動によって生じたことになる。一方、カリウム-アルゴン法により想定される変成年代の約150万年前から120万年前は棚場火山の活動時期と重なることから、鉱床を生み出した熱水活動は棚場火山の活動に伴うものであるとの説が唱えられている。
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鉱床の形成
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「春日鉱山 (鹿児島県)」の記事における「鉱床の形成」の解説
春日鉱山は、珪化岩体を鉱体としており、東西約500メートル、南北約200メートル、厚さ約100メートルの範囲に存在する。ほかに周辺に潜頭鉱床として3か所が知られている。鉱床は、南薩層群中に胚胎する塊状含金銀珪酸鉱である。 第三紀の緑泥石化・炭酸塩化・曹長石化作用をうけた凝灰岩、角礫凝灰岩、変朽安山岩などを珪化交代した塊状の珪化岩中に鉱床が形成されている。第四紀初期の火山活動に伴う熱水変質作用によりこうした珪化交代が起き、珪化岩体を取り巻いて同じ熱水変質作用により累帯的変質帯が発達している。この珪化岩中の弱い部分を通じて二次的に金を含む鉱液が上昇浸透して空隙や空洞に沈殿し、鉱染型の鉱床を形成した。 春日鉱山の明礬石に対するカリウム-アルゴン法による年代測定では550万年前±40万年前と測定されており、南薩型鉱床3鉱山ではもっとも古い。これは火山活動と鉱化作用が西から東へ移る傾向にあったことを示している。これらの3鉱山の中では、春日鉱山の金品位がもっとも低い。
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