森将軍塚古墳とは? わかりやすく解説

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埴科古墳群
森将軍塚古墳
有明山将軍塚古墳
倉科将軍塚古墳
土口将軍塚古墳

名称: 埴科古墳群
 森将軍塚古墳
 有明山将軍塚古墳
 倉科将軍塚古墳
 土口将軍塚古墳
ふりがな はにしなこふんぐん
 もりしょうぐんづかこふん
 ありあけましょうぐんづかこふん
 くらしなしょうぐんづかこふん
 どぐちしょうぐんづかこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 長野県
市区町村 長野市千曲市
管理団体 長野市
指定年月日 1971.03.16(昭和46.03.16)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日 平成19.02.06
解説文: 丘陵頂部営まれ前方後円墳で、墳丘は丘尾を切断したうえ、自然の尾根若干盛土をして作られている。規模は、全長100メートル前方部の幅30メートル、高さ5メートル後円部は径約50メートル余、高さ10メートルである。この後円部は円というよりは楕円形もしくは隅丸長方形をなしており、むしろ前方後方墳に近い形をしている。昭和412年行なった発掘調査では、墓壙の構造墳丘の築成法などに特異な事実判明した
 特に後円部のほぼ中央にある割石小口積の竪穴式石室は、二重築かれ石垣状の墓壙の中に設けられている。石室全長7.7メートル、幅平均メートル深さ2.1メートル数えその四隅が丸く作られている。盗掘の際の残存品として三角縁神獣鏡片、硬玉勾玉等が出ており、副葬品石室の構造等からみて古墳時代前期築造であり、東国における典型的な畿内型の古墳一つである。
 森将軍塚古墳は、善光寺平南域を流れ千曲川右岸派生した標高490mの山頂所在する古墳時代前期前方後円墳である。昭和41年から東京教育大学発掘調査行い盗掘受けた竪穴式石室及び多量埴輪検出した。この調査を受け、昭和46年東日本における古墳時代前期前方後円墳様相を知る上で重要であることから史跡指定された。
更埴市教育委員会は、昭和56年から整備目的として、古墳内容確認するための発掘調査実施したその結果、この古墳は、地形制約から後円部正円にはならないが墳長100m2段築成の前方後円墳であること、後円部竪穴式石室から三角縁神獣鏡各種鉄製品及び玉類を検出し埴輪特徴等踏まえる4世紀中頃築造であることなどが明らかとなった。現在では墳丘復元整備完了し多く見学者来訪するとともに復元され古墳教科書にも掲載されるなど、積極的な活用図られている。
この森将軍塚古墳が所在する千曲川右岸には、「将軍塚」と呼称される3基の前方後円墳がある。有明山将軍塚古墳は墳長37mの前方後円墳で、後円部には竪穴式石室設けられていた。盗掘受けていたが、小型青銅鏡・鉄鏃・各種小玉類が出土している。副葬品墳丘上の土器から、4世紀代の築造考えられる
倉科将軍塚古墳は、墳長83mの二段築成の前方後円墳である。主体部後円部竪穴式石室前方部箱式石棺設けられていた。ともに盗掘受けていたもの竪穴式石槨からは三角板革綴短甲片などが出土しており、5世紀前半築造みなされる
土口将軍塚古墳は墳長67.7mの前方後円墳で、後円部2つ竪穴式石室並んで設けられた。盗掘受けていたが、三角板革綴短甲片・鉄鏃ガラス小玉等が出土し墳丘上で確認され土器等から5世紀前半築造考えられる
千曲川右岸地域では従来5世紀後半まで前方後円墳築造が行われていたと考えられてきた。今回調査によってこれらは森将軍塚古墳の築造嚆矢とし、有明山将軍塚古墳倉科将軍塚古墳土口将軍塚古墳継続し、しかも5世紀前半築造終了したことが明らかとなった。これらは、当該地域における首長系譜を追うことができるという点で重要であるとともに5世紀中頃当地域に何らかの変革があったことが示唆され当地域の政治状況を知る上で貴重な知見得られたことになる。今回、既指定の森将軍塚古墳に3基の前方後円墳追加指定し、「埴科古墳群 森将軍塚古墳 倉科将軍塚古墳 有明山将軍塚古墳 土口将軍塚古墳」に名称変更し保護万全図ろうとするものである
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森将軍塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 15:36 UTC 版)

埴科古墳群」の記事における「森将軍塚古墳」の解説

長野県千曲市(旧更埴市大字大穴山に所在する古墳は、長野県最大となる全長100メートルに及ぶ前方後円墳である。曲がった尾根上に築造されたことによって左右対称ではなく後円部楕円形に近い。墳丘葺石覆われ三重埴輪列のほか、墳頂には形象埴輪配されていた。規模以下の通り墳丘長:約100メートル 前方部長さ:約40メートル 幅:約30メートル 高さ:約4メートル 後円部直径:約45メートル 高さ:約4メートル 長野県における前方後円墳としては最初期にあたる古墳時代前期4世紀末)に造られ信濃国前身科野(しなの)の首長墳墓目される平野部から130 - 140メートルの高さにある狭隘急斜面有明山尾根上にあるため、後円部楕円のようになり、前方部後円部では中軸線が20度ばかり違っている。 後円部頂の中央長さ15.0メートル、幅9.3メートル深さ2.8メートルの穴が掘られその内部に「墓壙」と呼ばれる二重の石垣囲まれ長さ7.6メートル、幅2メートル、高さ2.3メートル竪穴式石室石槨)が築かれている。この石室東日本最大級大きさ誇っており、森将軍塚古墳館原寸大模型展示されている。 副葬品のほとんどは過去乱掘により散逸していたが、辛うじて残されていた三角縁神獣鏡片は、ヤマト王権との繋がりを示す重要な資料とされる。他にも近畿地方影響思われる土器類円筒埴輪壺形埴輪朝顔形埴輪異形埴輪-家埴輪か)、刀・剣切先尖ったか剣のようなもの、鉄鏃細工のための小刀農業に使う鎌、翡翠造った高級な勾玉碧玉管玉などが検出されている。身分を示す鏡・玉と武器生産用具を表すと考えられている剣の三つそろったのは珍しい例である。 また、一部前方後方墳とする説もあるが、発掘され埴輪の形から古式前方後円墳と見なされている。 周辺からは、13基の円墳5 - 7世紀後半)始め古墳の裾に沿って埴輪棺組合式石棺埴輪円筒棺などの小形埋葬施設100近く検出されており(他にもあったと考えられるが、後世採石などで消失)そのなかには6世紀代のものもあり2世紀の間追葬が行われていたと考えられるこの周辺は森将軍塚古墳に関係する一族などの代々墓所奥都城)と考えられている。昭和46年1971年)に国の史跡指定され昭和56年1981年)から平成4年1992年)までの11年をかけて築造当時の姿に復元された。一般に公開され小学校教科書にも写真入り紹介されている。 後円部墳頂(竪穴式石室位置竪穴式石室実物大模型古墳館内展示竪穴式石室内部実物大模型古墳館内展示

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森将軍塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 16:18 UTC 版)

森将軍塚古墳館」の記事における「森将軍塚古墳」の解説

南側隣接する有明山尾根上に、長野県最大前方後円墳復元され一般公開されている。(詳しく埴科古墳群参照古墳館から古墳まではバス走っており、運賃は、片道200円で小学生は、その半額団体料金(大人160円)もあるが20名以上が対象となる。 運休月曜日祝日翌日冬季期間(12月4月) 明治16年(1883)明治新政府に対して屋代村から「将軍塚」として報告されたのが初見とされる明治36年広く周辺の古墳盗掘していた人物知られていて、その人によれば「すでに先を越されていた」と言う大正12年(1923)「長野県史名勝天然記念物調査報告書」で「森村将軍塚」と報告昭和40年(1965)長野県史跡に指定昭和45年1969)この2年ほど前から周辺山林土石採取始まり古墳保存を図る声が起こり当時更埴市民の9割を超える署名集めたとされる昭和46年1970)国指定史跡となる。 昭和56年度(1981)~平成3年度(1991保存整備事業が行われた。 我が国最初古墳全面発掘調査が行われたとされ、以後古墳発掘調査モデルケースとされている。この調査基づいて復元工事行われた葺石積まれ埴輪が並ぶ古墳築造当時前方後円墳の姿によみがえった。また周辺部調査から円墳埴輪棺石棺と言った多数埋葬施設確認された。長野県では唯一の三角縁神獣鏡出土しており、竪穴式石室面積日本最大とされ古墳館内再現されている。小学校社会科教科書には図解入り詳解されている。

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