主体部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:41 UTC 版)
2008年(平成20年)度の発掘調査時において、高尾山穂見神社の基礎の下部にあった境内整地用の砕石等を取り除くと墓坑が確認された。墓坑は後方部の中央に位置し、墓坑内の埋土からは、主体部上部に供献されたと考えられる二重口縁の土器と大廓式の土器が発掘された。墓坑はほぼ長方形をしており、東辺が4.955メートル、南辺が6.135メートル、西辺は4.431メートル、北辺は5.923メートルであり、長辺は南北方向の墳丘軸とは直交する東西方向となる。墓坑の壁面は垂直ではなく、ゆるやかな傾斜で棺床へ向かっている。 副葬品の銅鏡の下から木片が検出され、また棺床から木目の痕跡が確認されたため、高尾山古墳の被葬者は木棺に葬られたことが明らかとなっている。木棺の大きさは長さ5.053メートル、最大幅1.252メートルであると推定されている。木棺は墓坑と同じく南北方向の墳丘軸とは直交する東西方向に主軸がある。つまり高尾山古墳の木棺は東西方向に安置されていたことになる。墓坑や木棺内に崩落した土の中に、降灰時に高温であったため溶結して堆積したことにより愛鷹ローム層の中で最も硬いとされるスコリアが混入している。このスコリア層は硬いために高尾山古墳の周溝はおおむねそのスコリア層の手前で掘削を止めているが、主体部の東側の周溝ではそのスコリア層で土取りをしたと考えられる穴が見つかっている。このことから埋葬時に埋土として硬いスコリアを混入させた土を用いた可能性が指摘されている。また、黒色土やスコリアの混合比率を変えながら墓坑の埋土として使用していたことや、棺床には粘度が高いローム土と黒色土を混交して使用していることが確認されている。 埋葬方式は棺床に木棺を直接安置される木棺直葬であった。棺床の痕跡や副葬品の出土状況から、刳抜式の舟形木棺であると考えられており、舟形木棺の中でもその形態から丸木舟や準構造船の下部を模したタイプであると見られている。静岡県下ではこのタイプの木棺は高尾山古墳が最古の例の一つであり、それまでの埋葬形態が棺に入れての埋葬が何とか可能なレベルの箱型の木棺が中心であったことから考えて、高尾山古墳の舟形木棺が在地のものとは考え難い。高尾山古墳で採用されたような舟形木棺が多用されていたことが確認されているのは、現在の京都府北部、福井など日本海沿岸部が多く、古墳出現期に活発化する各地域との交流を通じて、直接ないし間接的に沼津の地にもたらされたと考えられる。 2014年(平成26年)度に行われた追加調査では、高尾山古墳に他の埋葬施設が存在するかどうかの検証が主要目的の一つとなった。調査の結果、後方部中央の主体部以外の埋葬施設が存在する可能性は少なくなった。
※この「主体部」の解説は、「高尾山古墳」の解説の一部です。
「主体部」を含む「高尾山古墳」の記事については、「高尾山古墳」の概要を参照ください。
主体部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:53 UTC 版)
左片袖式横穴式石室で、全長約8.2メートル、玄室長約4.8メートル。玄室床面の一部が残存しており、5〜10cmの円礫が敷かれていた。また、閉塞部に加工された石材が確認されるなど、追葬が行なわれた可能性もあるとされ、排水溝と思われる溝も確認されている。主体部は発掘調査後に滅失した。
※この「主体部」の解説は、「小幡茶臼山古墳」の解説の一部です。
「主体部」を含む「小幡茶臼山古墳」の記事については、「小幡茶臼山古墳」の概要を参照ください。
主体部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:00 UTC 版)
前述の通り、1923年(大正12年)の梅原による発掘調査以降は目を向けられることのなかった本古墳だが、2008年(平成20年)の発掘調査で北東から南西方向(墳丘主軸とほぼ平行)に主軸を向けた「もう1つの主体部」残存が確認された。新規主体部の規模は墓壙が長さ5.8メートル、幅3メートルで、前方部側に幅0.9メートルの通路状遺構(長さ不明)があった。木棺そのものは確認できなかったが土層から赤色顔料が見つかるなどしており、内面に朱を塗った長さ3.6 - 3.9メートル、幅約1メートルの刳抜式木棺が直接埋葬されていた(木棺直葬墓)とも推定されている。梅原主体部の記録では埋葬した際の頭位は大刀の副葬状況から北東だったと思われ、新規主体部についても梅原主体部と並列し頭位も同様だったと考えられているが、両者の埋葬された時期的な関係などは不明である。 なお、木棺があったとされる場所の土層から漆膜が見つかっており、木棺上に置かれていた漆塗皮盾が、木棺が朽ちた後に落下した痕跡と考えられるという。
※この「主体部」の解説は、「志段味大塚古墳」の解説の一部です。
「主体部」を含む「志段味大塚古墳」の記事については、「志段味大塚古墳」の概要を参照ください。
- 主体部のページへのリンク