復元工事
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箕作阮甫旧宅は、史跡に指定された当時すでに建物全体が老朽化して雨漏りや損傷が激しかったため、根本的に解体復元が検討された。解体の際には、旧来の構造や阮甫が居住していた当時の様式に復元することが求められたが、当時の遺構は調査によっても知ることはできなかった。そのため、江戸時代末期の町家の復元に方針を定め、解体時の実測調査資料や残存している痕跡、近隣の町家などを参考に、旧来の工法や手法感覚を尊重して復元工事が行われた。 なお、解体時に墨書類は発見されておらず、一部に番付が見つかったのみである。 総事業費 22,815,000円解体 着工 1975年(昭和50年)3月18日 / 竣工 1975年(昭和50年)3月28日 復元 着工 1975年(昭和50年)12月27日 / 竣工 1976年(昭和51年)12月25日 礎石の分布をみると、旧宅の建物は全体的に小型の川石を使用したひじょうに簡略な造りをしていた。大黒柱には、山石が使われており、これが礎石のなかでもっとも大きなものである。 母屋は、解体前に土間の東側に増設されていた部屋を取り除き、従来の状態に復元された。中二階にも後に改築された痕跡があったため、旧来の吹き抜けに復元された。正面入り口は、解体前には間口いっぱいに板戸が据えられていたが、近隣の町家を参考に西側二間分を格子窓とし、東側二間分を潜り戸を備えた板戸とする旧来の形に復元された。 離れ家は、解体前には住居として使用されており、東一間は増築されたもので、かつては土蔵であったことが使用されていた材や痕跡から確認されたため、こちらも復元にあたっては土蔵に戻された。 風呂は、解体前のものは比較的新しいレンガ造りであったため、旧来の状態を尊重し撤去された。 便所南側の渡り廊下は老朽化が激しく、屋根はほとんど失われていたが、使用材、痕跡等から復元された。便所北側の渡り廊下は、土蔵を改築された際に後設されたものであったため、取り払われた。また、便所や井戸の北側に設置されていた物置下屋は、いずれも再使用古材で後に増設されたものであったため、撤去された。 なお、塀については、旧来は存在しなかったが、防災・防犯の観点から新たに新設された。付帯設備である照明、コンセント、火災報知器、防犯ベル、給水、屋外消火栓、排水設備は、史跡全体の調和を崩さないように配慮しつつ、新たに付加された。
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復元工事
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1898年(明治31年)開業以来の木造平屋建の駅舎が残されてきたが、2017年(平成29年)にJR西日本から奈良市に無償譲渡され、奈良市によって駅舎の復元工事が進められた。2018年(平成30年)3月9日に第1期工事が完成し、待合室が供用開始された。2019年(平成31年)1月、復元工事が完了し観光案内所も併設された。駅舎および周辺の整備工事は同年2月に完了している。
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復元工事
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1942年に最後の当主が病死し、藤白鈴木氏の嫡流が断絶した後も屋敷は残されたが、次第に老朽化や台風被害が目立つようになった。そこで、復元構想が何度も浮上したが、膨大な工事費用がネックとなった。 2013年5月22日に開催の第7回全国鈴木サミット&鈴木フォーラムにおいて、全国に200万人ほどいるとされる「鈴木さん」に、朽ち果てた鈴木屋敷復元のための寄付が呼びかけられた。自動車メーカースズキの鈴木修会長兼社長もフォーラムに参加し、「スズキの海外進出」と題した基調講演を行った[リンク切れ][リンク切れ]。 2015年に、屋敷を含む神社境内などが国史跡に追加指定されたことを受け、海南市教育委員会が周辺一帯の保存活用計画を文化庁に提出。屋敷を文化財として復元することが可能になり、総額約1億5000万円とされる事業費の約6割を国、県、市が負担することになった。残りの6000万円ほどは神社負担となるため、その分に充てるため関係者が企業版ふるさと納税に注目し、2019年1月から募集を開始した。復元は、屋敷を描いた江戸時代の地誌「紀伊国名所図会」を参考にすることとし、同年中に解体工事を実施した。その後、2021年8月に起工式が、翌2022年5月には上棟式が挙行されている。 復元される屋敷は2023年3月に完成する予定で、建物内に鈴木氏や熊野古道に関する資料を展示する施設を設け、講演会などにも利用される予定となっている。
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