文壇の反響・同時代評価とは? わかりやすく解説

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文壇の反響・同時代評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 07:18 UTC 版)

荒野より (小説)」の記事における「文壇の反響・同時代評価」の解説

江藤淳は、三島としては珍しい心境小説の「生き生きとして躍動して」いる前半部分描写高評価しつつも、作品終盤の「下げ」は、「作家らしい哲学」が付け加えられて、あまりに「気は利いている」がゆえに、〈本当のことらしくない評している。 山本健吉は、「すっきりまとまった短編」と評し闖入者青年通じて、「自分小説の毒と対面せざるをえなかった」三島には、その毒がいつか「小説家自身をも毒するものだという予想」があるとし、三島唱えている、〈芸術家にはたしかに、酒を売る人に似たところがある。彼の作品には酒精分が必要であり、酒精分を含まぬ飲料を売ることは、彼の職業を自ら冒瀆するやうなものである〉という考えに関しては、「(三島)氏が中年期にさしかかり老年期にはいったとき、なおこのような芸術観が氏をささえうるだろうか」と述べ山本自身は「芸術による酩酊」は欲せず少なくとも散文芸術小説において求めるものは、「心の静穏」だと異論唱えている。 磯田光一は、三島が『危険な芸術家』という評論の中で、青少年エレキは有害でベートーヴェンは安全で有益であるという考えが〈近代的な文化主義〉の影響世に蔓延り、〈ベートーヴェンのベの字もわからない俗物〉もそれを鵜呑みにし、〈政府文化政策〉もその線から離れられないことに言及しながら、〈毒であり危険なのは音楽自体であつて、高尚なものほど毒も危険度も高いといふ考へは、ほとんど理解されなくなつてゐる〉 と指摘していることに触れつつ、『荒野より』の中に、それと同様の三島の「芸術的マニュフェスト」や、「自己批評」を我々が読み取ったとしても、「日常生活荒野との間にひろがる溝の深さは、大きく小さくならない」として、この作品意義を以下のように評価している。 この荒野のなかにどのような暗喩を読むかは人の自由である。だがも木もない不毛の荒野こそ、あらゆる文化価値体系相対的に見えてしまうゼロ地点、さらにいえば、芸術家作品という虚構の裏側でたえず向き合うことを強いられているどす黒い虚無通じるものではあるまいか。「作品」は、「言葉」というオブラート包まれ毒薬である。いや、このばあいオブラートという比喩は必ずしも適当ではない。「言葉」はつねに社会の側に属しており、「社会」の側から見るならば、「毒」とは何物でもない。「毒」と「社会」との断絶架橋するものは、「言葉」の魔術以外にあろうはずはないのである。 — 磯田光一文化主義に背くもの――『荒野より』について」 佐伯彰一は、『荒野より』の中で、芸術家を〈酩酊を売る人〉、諸作品を〈酒〉と言った三島自覚を「不気味なほどの的確さ」とし、後半〈私〉と〈あいつ〉との「重ね合せ」の明晰な分析や、孤独への嗅覚鋭敏さは鮮やかで、「きりりと引きしまった短篇」ではあるとしながらも、短編小説自体読後感として見た場合、「割り切れすぎて、含み余情乏しい」と評し同じく孤独」のテーマ扱い、「聞き書きの話」という間接法書かれた、芥川龍之介短編孤独地獄』の方が孤独に身につまされている余韻感じられるとして、両作品比較論を展開している。 佐伯は、『花ざかりの森』から『豊饒の海』に至るまで、〈孤独〉は三島作品基本テーマ一つであったが、芥川やその弟子堀辰雄、さらに太宰治比べてみると、三島対処は、「孤独そのもの定着造型」の点で「弱味が目立つ」とし、三島場合早急に自己対象化し、「位置づけ診断」の方向一気突っ走り太宰とは違う意味で「生きることに心せいた」三島であったが、「孤独に対してさえも、終始前のめり姿勢とりがちだった」と考察している。そして、もしも三島死なず逮捕され、「獄中」に下りワイルドのように蔑まれる孤独味わえば新境地開けて第二三島文学もたらされたかもしれないと、円地文子同様の想像願望述べつつ三島評伝し、『荒野より』のテーマと繋がる評論小説とは何か』と未完の『日本文学小史』の二つ遺作論じている。

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文壇の反響・同時代評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:43 UTC 版)

英霊の聲」の記事における「文壇の反響・同時代評価」の解説

英霊の聲』に対す時評合評では、作品イデオロギー的な側面天皇批判含んでいるために、部分的に共感持てるという意見ありながらも、全面的な賛意積極的に示す評価少ない。 花田清輝は、右翼側から天皇批判として一定の評価しながらも、ふざけているといった否定的な発言もし、江藤淳は、「イデオロギー的」であり、「妙に猥褻」と評している。石原慎太郎は、世俗拒否する三島方法論が、歴史乗り出すのは誤りだと評している。 村松剛奥野健男は、一定の理解示して三島意図汲み取ろうとし、饗庭孝男は、英霊の〈復権〉は不可能であるがゆえに美しいと論考している。葦津珍彦は、兵士の霊が慰められ名誉が回復されなければならないゆえに、作品意義があると高評価している。 山本健吉は、戦後民主主義の「空虚な偽善」、「厭うべき低俗」を批判しようという三島創作動機同意しつつ異論交えて以下のように評しながら、二・二六事件将校特攻隊の「心情行動」を素直に愛惜できない現代人の「心の卑俗さ」に比して白虎隊士心情や行動力の方が「はるかに立派だった」と述べている。 一たび神性棄てられ天皇を、国民もう一度神に復帰させることはできない。その不可能を作者知りながら、あえて書いたとすれば、それは作者考え今日の状況絶望の度の大きさ物語るものだろう。その空虚を、民主主義という護符埋められる思っている知識人たちののんきさが、氏にはいらだたしいのだろう。だが若い英霊たち復権訴えようとする時事的な姿勢のせいか、これは三島氏の小説としては想が痩せている。私にはこれは、天皇制問題でなく、宗教問題だと思っている。 — 山本健吉文芸時評

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