文壇の評価と研究史
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デビュー当初、有吉はマスコミからは曾野綾子とならぶ「才女」ともてはやされたが、芥川賞、直木賞とも候補に終わった(「才女」には才能のある女の意味だけでなく、それ以前の女性作家のような人生経験に基づいた作品ではなく、頭だけで書いている、という揶揄も含まれていた)。『群像』編集長を務めた大久保房男は在任中有吉の作品を一度も掲載しなかった。また武田友寿や千頭剛など一部を除き、同時代の批評家をはじめとする文壇からは敬遠されていた。有吉本人の激しい気性も理由の一つであろうが、文学的にはその物語性の強さが私小説的純文学の気風に合わなかったことが早くから指摘されている。また、一見古風なテーマを好む伝統主義者のように見えるが、実際には伝統を外部から客観的に、時にはエキゾチシズムをもってながめる「外地育ち」「エトランゼ(異邦人)」の視線があるという評価も確立している。一方、歴史を題材とした作品(特に『華岡青洲の妻』『真砂屋お峰』)では史実と矛盾したところが多く見られるとして、歴史小説家からの評価は今なお厳しい。 こうした中、1984年有吉の死去に際して橋本治は有吉文学に通底するモチーフを「女性があっけらかんと生きるのって素敵じゃない?」、つまり筋を通して働くことで男性の束縛から自立した女性の自由と誇りの擁護であると喝破し、これまでの批評家に見られない新しい筆致で肯定的に論じた。 没後、半田美永、宮内淳子をはじめ、学界の中で有吉を研究対象にする近代文学研究者が増えている。 没後20年を記念して2004年に出版された井上謙・半田美永・宮内淳子編『有吉佐和子の世界』は複数の文学研究者が集まり、ポストコロニアル批評などの新しいアプローチによって正面から有吉とその文学を追究した初めての単行本である。特に巻末の年譜と関連文献目録はこれまでで最も詳細である。 1994年と2005年に関川夏央は有吉を論じ、その生き急いだ感のある一生を「サーモスタットのない人生」と評した。関川は後期作品(『複合汚染』『悪女について』『開幕ベルは華やかに』)に構成の破綻が見られると指摘しているほか、紀行文『女二人のニューギニア』と『有吉佐和子の中国レポート』を対比して、前者の明るさ、おもしろさと後者の焦燥感との落差の原因を「老い」に求め、また有吉の非私小説的作風が畑中幸子を描いた前者と自分自身の奮闘を描いた後者のできばえの差にあらわれていると書いている。 これと関連して関川は、そもそも有吉には自分自身の内面を書く能力も意志もなく、自分と似た性格を持つ他の女性を外から観察して描くことにおいて卓抜さを発揮したのだと評しているが、有吉のこうした傾向は有吉の持つ「外地育ちの視線」と呼応している。「お嬢さま」「才女」「外地育ち」という有吉の位置は、いずれも対象を外部から分析的にとらえるアプローチに結びついており、精神の内省的な把握を重視する姿勢からは遠かった。しかし同時に、そうした「外部」からの視角をもったがゆえに、それまで「内部」では気付かれなかった斬新な論点を世に先駆けて提起することができたのである。
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