国内メーカー
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日本国内のメーカーから発売された主なキットとしては次のようなものがある。 マルサン商店 世界の名機シリーズとして1960年代前半に30点ほどを発売した。第二次世界大戦時の戦闘機や攻撃機が主であるが、後期にはF-86、F-104のようなジェット機や、B-24、B-29のような大型爆撃機も発売された。 1968年にマルサン商店(マルザン)が倒産した後金型は売却され、後継会社の一つである富士ホビーから十数点が再発売されたほか、日本模型やサニーからも一部のキットが再発売された。また、1960年代にはアメリカにも輸出され、UPCやEldonのブランドで販売された。 倒産後再建されたマルサンは、1973年に日本傑作機シリーズ6点を発売した。旧日本陸海軍の戦闘機を新金型で製品化したもので、当初はワンタッチで主脚の出し入れができるギミックを持ち、パチパチキットと称していた。1970年代末にマルサンがプラモデルから撤退した際に、金型は童友社に売却された。 YMC模型製作所 1960年代初めに旧陸海軍複葉機シリーズを10点ほど発売した。名称通り旧日本軍の複葉機のみをモデル化しており、その多くが第二次世界大戦以前に退役したマイナーな機種のため、以後一度もプラモデルとして製品化されていない機体も複数ある。 タミヤ 1960年代後半から1970年代にかけてミニジェットシリーズ20点余りを発売した。当初は当時現役のジェット戦闘機や攻撃機が中心だったが、後にヘリコプターやB-52戦略爆撃機、さらに第二次世界大戦中や朝鮮戦争時の機体も製品化された。 1983年までに全製品が生産休止となった後、1987年にベンホビーから十数点が発売され、2004年にはコンバットプレーンシリーズと名称を改めてタミヤから10点が再発売された。また、1980年代にはアメリカとドイツのレベルから一部の製品が発売されている。 万年 1974年にジェットファイターシリーズとしてF-15とF-14を発売した。その後ハナオカ(Hanaoka)、サンショウ、サニーなどから再発売された。また、1970年代後半にはアメリカでエンテックス(Entex)のブランドで発売され、1980年代初めには西ドイツのロスコフ(Roskopf)から、1980年代末にアメリカのレベルからも発売されている。また、2000年代半ばには台湾のAFVクラブからミグ25とF-14が発売された。 当時の広告およびパッケージ側面では、万年はF-14、F-15、ミグ25およびミラージュF1の4点の発売を告示しているが、ミラージュF1は未発売に終わり、ミグ25は企画を引き継いだサニーから1977年に発売された。 また、1980年代半ばに韓国のアカデミーからF-14とF-15をコピーしたキットが発売された。形状や部品分割はほぼ同じであるが、ランナー内の部品配置など細部が異なっている。 日東科学教材 1960年代から1970年代にかけて旅客機シリーズを20点余り発売した。民間の旅客機が中心であるが、DC-3の軍用型のC-47や、ボーイング707の派生型のエアフォース1やE-3A AWACSなども製品化されていた。また旅客機シリーズとは別にヘリコプターも2種製品化されていた。1985年に廃業後、旅客機シリーズの金型は童友社に売却された。1970年代には、アメリカのEntexからヘリコプターも含め15点程のキットが発売されていた。コンコルド、エアフォース1、E-3Aの3点は1980年代後半にアメリカのTestorからも発売された。 ベンホビー 1980年代後半、タミヤのミニジェットシリーズのOEM販売を行うとともに、自社開発製品としてF-15のバリエーション4点を発売した。ベンホビーの解散後、F-15のキットは今井科学とツクダホビーから再発売が行われた。 タカラ 1980年代前半に『エリア88』シリーズ10点を発売した。本シリーズは漫画に登場する機体をモデル化したもので、キャラクターモデルの一種であるが、作中の機体は実機に忠実に描かれていたため、製品もスケールモデルとして通用するものとなっていた。キットには1/24スケールのフィギュアやステッカーも含まれていたが、1980年代末にアメリカとドイツのレベルから一部が発売された際には、それらは省かれ実機のデカールが添えられていた。 童友社 旧日東科学製の旅客機シリーズと、旧マルサン製の日本戦闘機シリーズ(パチパチキットのギミックを省いたもの)を販売していたが、食玩ブームさなかの2003年に、翼コレクションとして日本戦闘機シリーズを塗装済みキットとしたものをブラインド式で発売した。このシリーズはタンポ印刷で再現された迷彩塗装やマーキングが好評で販売も好調だったため、第4弾からは金型を新規開発した製品も投入され、2015年までに9機種が新規に作られている。また、翼コレクションEXとしてプロペラ回転用のモーターをセットしたものを、ブラインド式でない通常のパッケージでも販売している。翼コレクションのキットは、アメリカのアキュレイトミニチュアや、イギリスのエアフィックスなどからも発売されている。
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国内メーカー
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1955年黒田一郎氏はクロダオルガン国産初の教会用電子オルガン「クロダトーン」を発売。 発音体にリードオルガンのリードを使用し、送風機で常時振動させ、その振動を電子的に拾い、音色を作るフィルター回路と鍵盤接点を経て真空管電子回路で増幅しスピーカーを鳴らした。黒田一郎氏はパイプオルガンにも熱意を燃やしていたが成功した例はない。 1958年6月、国産で初めて販売された電子オルガン「日本ビクターEO-4420」(後のビクトロン)が登場した。全真空管方式、マニュアル44鍵2段/ペダル12鍵、販売台数は約50台で、上智大学や同志社高校、教会等に納入された。 同年、テスコ スーパエレガン(単音)発売。 1959年10月26日、日本楽器がET型電子オルガン(後のエレクトーンの元祖)を発表(マニュアル61鍵3段/ペダル32鍵/使用トランジスタは約3000個) ) 1959年12月、日本楽器がエレクトーンD-1型を発売(使用トランジスタ数281個、価格35万円)。1952年の基礎研究開始以来約7年の歳月をかけ、試作を繰り返し改良を重ねた上の製品化だった。 1960年、カワイ ドリマトーン/テスコP-1開発。 1961年、ソニーが試作電子オルガンを完成させた。 1962年、カワイET-4発売。 同年、エース電子工業エーストーン・キャナリーS-2(単音)発売。 1963年、テクニトーンSX-601発売。 1964年、エレクトーンF-1発表。 以降も次々と新機種が発表されていった。
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国内メーカー
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日本国内での製造メーカーはフレッシュエアー社のみ。 輸入代行を行うことは現時点では容易であり業者は存在している。ただし、エアボートという非常に特殊な艇を維持する専門的知識と技術まで提供することはできていない。また、そうした艇のほぼすべてがレジャー目的である。
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