国内リポーター(敗者の味方)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:59 UTC 版)
「アメリカ横断ウルトラクイズ」の記事における「国内リポーター(敗者の味方)」の解説
国内予選会場(後楽園球場、東京ドーム、成田(羽田)空港)で、敗者へのインタビューを行いつつ、ヘルメットをかぶり、敗者たちに玩具のピコピコハンマーで叩かれる役 を毎回こなした。 第一次予選の主に中盤以降で、敗者復活戦の実施を福留に要求(うち第10回では第1問終了直後で要求)したり、第二次予選では開始前に福留/福澤の前に現れ、ジャンケンの撤廃や全員通過を訴える役割、空港での敗者復活戦の進行役、敗者の代表として飛び立つ勝者たちが乗った飛行機に向かってのシュプレヒコール役も務めた。 徳光和夫(第1回 - 第11回、“今世紀最後”)敗者の味方としての徳光の出演と敗者にピコピコハンマーで徳光を叩かせる演出は、第1回開催直前に急遽決まった。徳光によれば「日本テレビの代表として、一番露出度が高いお前さんが殴られるしかない」と言われて引き受けたとのことである。 第二(三)次予選は第1回から担当し、ピコピコハンマーも既に使用したが、第一次予選は第1回では担当せず、第2回から担当。ただしこの時はピンク色のヘルメットは被ったもののハンマーは使用せず、敗者は素手などで叩いていた。第一次予選でハンマーで叩かせるのは第3回から。また第4回では第一次予選は担当せず、総合司会の石川アナが代役になった(石川へのピコハン叩きは行わなかった)。 第一次予選では、第5回で予選を突破した第3回クイズ王・宗田利八郎に対して「あんな顔のどこに知性があるんだ?」と叫んだかと思えば、第6回で交通渋滞ゆえに第一次予選に間に合わなかった挑戦者に「そのへんに路上駐車すればよかったのに」、第8回の第一次予選で「バストの大きな人は胸のレントゲン写真の写りが悪い」の問題に落ちた女性挑戦者に「乳癌に気を付けて」と言ったこともある。 成田でのシュプレヒコールは、「お前たちは日本の恥部だ!」「俺達の青春を返せ!」「日本テレビはもう見ないぞ!」「NHKでやれ!」などのほか、「今日から三週間は、天中殺だぞ!」(第3回。天中殺ブーム)、「対日感情は良くないぞ!」(第4回。日米貿易摩擦) 、「お前たちが泊まるホテルにはスプリンクラーが付いてない!」「おまえらの泊まるホテルの社長は蝶ネクタイだぞ!」(第6回。ホテルニュージャパン火災)、「舳先は今サハリンに向かったぞ!」(第7回。大韓航空機撃墜事件。グァム出発日のわずか3日前に発生)、「涅槃で待ってろ!」(第7回。沖雅也の遺書)、「お前たちの機内食は辛子蓮根だ!」(第8回。辛子蓮根食中毒事件)、「ジャンケンで勝ったお前達は、疑惑の勝利者だ!」「お前達の帰り道は、フルハムロードだぞ!」(第8回。疑惑の銃弾・ロス疑惑)、「アメリカはエイズの国だ!」(第9回。エイズウイルス発見)といった時事絡みのブラックジョークが多かった。第5回では、「同期の桜」の替え歌「動悸の錯乱」を全員で歌ったこともある。 第3、4回では自身によく似たマネキンが置かれ、相手の心境に応じて本人の代わりに叩かれた。 第7回から第10回までは体調不良(痔)のため、ピコピコハンマー叩きは少なく、その分全身落書きがあった。 第10回のみグァムの空港まで同行していた(ただし敗者機側)。国内リポーターが国外に行った唯一の例である。 第11回では助手の日高直人を連れ、男性挑戦者に叩かれる際には日高が代わりに叩かれた。 第11回は敗者復活名古屋縦断ミニトラクイズを断行。成田から名古屋小牧飛行場まで飛び、名鉄小牧線の小牧駅前までバスと列車(第2チェックポイントと列車乗車部分は本放送ではカットされた)を乗り継ぎ、当時小牧駅前にあったパチンコ店「ニューヨーク」で2000発以上獲得でグアム行きとなるという、これまでにはなかった敗者復活を担当。店前では出題、店内ではクイズ実況と終了後のアナウンスも担当している。 第12回と第13回では茅ヶ崎市から参加の一挑戦者として東京ドームの第一次予選に参加。第13回では第一問を突破しグラウンドに降りたが、予選通過は果たせなかった。第12回1問目で敗れた際には、後任である渡辺に自らが番組で使い続けてきたヘルメットを譲り渡し(それまで渡辺はヘルメットなしで叩かれていた)ピコハン叩きも行った。第14回からは『クイズダービー』、『徳光のTVコロンブス』と他局のレギュラーの仕事に専念するため参加できなかった。 “今世紀最後”でも『ザ・サンデー』への出演があったが、番組終了と同時にクイズ会場へ駆けつけ、予選終盤から登場した。ただし当時57歳という高齢を理由に、ほとんどの叩かれ役を若手アナの菅谷大介に任せた。なお久々の成田シュプレヒコールは、時期ネタは「長嶋監督も責任を取って丸坊主になりました。罰ゲームは丸坊主だ!」(1998年7月31日の阪神×巨人戦でバルビーノ・ガルベス投手が主審目掛けてボールを投げつけ、同年8月2日の同カードでは巨人・武上四郎コーチと阪神・大熊忠義コーチが乱闘になった責任)程度に抑え、最後には「気をつけて行ってらっしゃーい!」「がんばれよー!」との台詞で締めた。 渡辺正行(第12回 - 第16回)福留が明治大学の先輩にあたるため、言いくるめられることが多かった(言いくるめられて裏切ったこともある)。 成田では時に新ルールを提案したりしていた徳光とは対照的に、常に全員通過で押し通していた。 敗者復活がなくなった第15回ではジャンケンの敗者に対し、余興としてハウス食品の菓子「ジャック」(販売終了)のCMの替え歌を披露した。また第16回で成田では、福澤に「今年も来たな、豆親父!」と言われ、「マメー」と返していた。これも当時の「ジャック」のCMネタである。 成田の勝者に対するシュプレヒコールでは、徳光と異なり、ほとんど自虐的なシュプレヒコールを展開した。 着用するブレザーは常に青色だった。 第15回・第16回で共演した福澤とは、レギュラー開催が終了したあとの1994年、当時日本テレビの看板クイズ番組であった『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』で、福澤が前年逝去した初代司会者・逸見政孝の後任司会者に就任したことで再び共演を果たした。
※この「国内リポーター(敗者の味方)」の解説は、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の解説の一部です。
「国内リポーター(敗者の味方)」を含む「アメリカ横断ウルトラクイズ」の記事については、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の概要を参照ください。
国内リポーター(その他)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:59 UTC 版)
「アメリカ横断ウルトラクイズ」の記事における「国内リポーター(その他)」の解説
国内予選で登場したが、その役目は主に徳光や渡辺とともに敗者にピコポンハンマーで叩かれる役回りである。海外リポーターとの兼任はここでは除外する。 日高直人(第11回) 鈴木健(第15回) 菅谷大介(“今世紀最後”) 柴田倫世(“今世紀最後”)
※この「国内リポーター(その他)」の解説は、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の解説の一部です。
「国内リポーター(その他)」を含む「アメリカ横断ウルトラクイズ」の記事については、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の概要を参照ください。
- 国内リポーターのページへのリンク