ホテルニュージャパン火災
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 09:12 UTC 版)
ホテルニュージャパン火災(ホテルニュージャパンかさい)とは、1982年(昭和57年)2月8日未明、東京都千代田区永田町2丁目のホテルニュージャパン(株式会社ホテルニユージャパン経営、地下2階、地上10階建、延床面積4万6,697平方メートル)で発生した火災事故である。
注釈
- ^ 大阪府大阪市南区(現・中央区)難波新地(千日前)の千日デパートで発生。国内で発生したビル火災では史上最悪となる118名の死者と81名の負傷者を出した。ビルに限定しなければ、1943年(昭和18年)3月6日に北海道虻田郡倶知安町で発生した布袋座火災で208名の死者を出している。
- ^ 刑事裁判記録には「従業員と警備員は『非常ベル発報、緊急館内放送、119番通報』という一連の行動をとる際に手が震え、ボタンを押すことやダイヤルを回す動作がうまくできなかった」と書かれている。
- ^ フラッシュオーバー現象発生時における炎の温度は約900 ℃に達するため、防火服を着用していても必ずしも安全とは限らない。
出典
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- ^ a b 松宮孝明「川治プリンスホテル火災事件控訴審判決とホテルニュージャパン火災事件第一審判決」『南山法学』第12巻第1号、南山大学法学会、2018年4月16日、151-163頁。
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- ^ 自衛消防訓練マニュアル 近代消防社
- ^ 死者33名 史上最悪の「人災」ホテルニュージャパン火災を振り返る
- ^ “第96回国会 参議院 地方行政委員会 第4号 昭和57年3月23日”. 国会会議録検索システム. 2023年7月30日閲覧。
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- ^ 松井洋治「リスク・マネジメント―ホテル・旅館業界に見る危機管理の問題点と今後の方向性―」『埼玉女子短期大学研究紀要』第14号、埼玉女子短期大学、2003年3月、267-276頁。
- ^ 最高裁平成5年11月25日決定-刑法判例百選I58事件。
- ^ なお、当時の業務上過失致死傷罪の自由刑の長期は3年だった
- ^ 奇跡体験!アンビリバボー:実録!国内大災害SP★ホテルニュージャパンの悪夢 - フジテレビ
- ^ https://twitter.com/zeebrathedaddy/status/1143169154700066816
- ^ https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201906250000143.html
- ^ 『讀賣新聞』1983年11月24日夕刊15頁「伊豆でホテル火事 "横井系列"これも欠陥だらけ 誘導なく、非常ベル鳴らず 老人ら472人あわや 6人ケガ」
- ^ 『静岡新聞』1983年11月24日夕刊1頁「船原ホテルで火災 天城湯ケ島 老人クの客6人重軽傷 避難誘導が遅れる」
- 1 ホテルニュージャパン火災とは
- 2 ホテルニュージャパン火災の概要
- 3 火災に至る状況
- 4 火災後の顚末
- 5 裁判
- 6 備考
- 7 本件に類似した火災
- 8 脚注
ホテルニュージャパン火災
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 10:06 UTC 版)
「西塚十勝」の記事における「ホテルニュージャパン火災」の解説
1982年2月7日夜、西塚は東京の常宿だったホテルニュージャパンの9階にチェックインし、その後友人4・5人と新宿で飲み明かす。飲み終わったあとにふと懇意にしていた女性のバーに寄ることを思い付き、明け方までそこで過ごした。明け方、永田町のホテルに戻ると大火災が発生しており、結果的に死者33人を出す大惨事となっていた。もしもバーに寄らずにまっすぐホテルに戻っていたとすると、寝静まった頃合に火災が発生していた計算になる。出火場所は西塚がチェックインしていたのと同じ9階だった。
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