1970年代末
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フリー・ジャズやファンク、パンク・ロックの影響を受けたジェームス・チャンスらによって1970年代末にパンク・ジャズが形成された。 ニューヨークのノー・ウェイヴは、ファンク、フリー・ジャズ、パンク・ロックを合わせたジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ(ジェームス・ホワイト)による作品などを紹介した。ジェームス・ホワイトの名前は、ジェームス・ブラウンを意識したものである。ロンドンでは、1979年にポップ・グループが、フリー・ジャズとダブ・レゲエを合わせて独自のアルバムを発表し始めた。またデファンクトは、1980年にパンク・ジャズ、パンク・ファンク・アルバムをリリースした。最初に自らのことをパンク・ジャズと言い始めたラウンジ・リザーズもアルバムを発表した。ロル・コックスヒルはダムドと共に収録を行っていたサクソフォーン奏者であり、演奏中にパンク調の演技をするジャズの音楽家であった。 1970年代末のオーストラリアのパンク・バンド、セインツ(英語版)による1978年の『プレヒストリックサウンド(英語版)』というアルバムの中でスウィングを揃えたことと金管楽器パートを取り入れたことは、エド・クーパー(英語版) (Ed Kuepper) が後に立ち上げた音楽バンドであるラフィング・クラウンズ(英語版)に受け継がれた。サン・ラやファラオ・サンダース、ジョン・コルトレーンのような、「Sheets of sound」の美学に基づいたフリー・ジャズをクーパーは作り出そうとした。オリー・オルセン(英語版)によって初期に行われたパンクの企画もまたオーネット・コールマンなどのフリー・ジャズから着想を得たものであった。1970年代終わりには、後にバースディ・パーティ(英語版)として知られることになるボーイズ・ネクスト・ドアが登場した。オーストラリアのこうしたパンク・バンドは「いずれも無名」だったが、彼らによってもたらされた影響は「desert jazz」として説明された。
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1970年代末
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「インディー・ロック」の記事における「1970年代末」の解説
1970年代後半に起きたパンクの大爆発の後、70年代末にはラフ・トレードなどのインディーレーベルを中心にインディー・ロック、オルタナティヴ・ロックの動きが出てきた。イギリスの音楽メディアはバズコックスの77年のシングルが、インディー・ロックのルーツではないかと記述している。
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