動物教導
『国性爺合戦』2段目 和藤内が平戸の浜にすなどりをしていると、鴫と蛤が争いを始める。これを見た和藤内は、鴫・蛤のごとく唐土で大明と韃靼が戦っているのに乗じ、両国を一呑みにすべき軍略を悟る。
『セロ弾きのゴーシュ』(宮沢賢治) ゴーシュは金星音楽団でいちばん下手なセロ弾きだった。毎夜、自宅で練習するゴーシュのもとへ、三毛猫・かっこう・子狸・鼠の母子が次々訪れる。ゴーシュは彼らを相手にセロを弾くうちに、ドレミファの不正確なところや、2番目の糸を弾く時に遅れることを教えられる。10日ほどの間にゴーシュは見る見る腕を上げ、演奏会後のアンコールでセロの独奏をすると、聴衆も楽団員も皆感心した。
『三いろの言葉』(グリム)KHM33 若者が町へ勉強に行き、先生たちから、犬や蛙や鳥の言葉を習う。古い塔に住む山犬たちが「塔の地下室に宝物がある」と言う。沼の蛙たちが「ローマ法王になれ」と言う。若者がローマへ行くと、現法王が死去したところで、しかも2羽の白鳩が若者の肩に止まったので、若者は新法王に推挙される。2羽の白鳩は若者に、法王として誦唱すべき経文を教える。
『盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめかがとび)』(河竹黙阿弥)序幕返し「御茶の水土手際の場」・6幕目「菊坂道玄借家の場」 目明きの按摩・道玄は、正月15日の夜、人を殺して金を奪ったが、その折、着ていた布子(ぬのこ)に返り血がついた。道玄は長屋へ帰り、根太をはがして縁の下へ布子を埋める。何ヵ月か後、赤犬が縁の下から布子をくわえ出し、長屋の人々がそれを見る。血がついているので騒ぎになり、道玄の悪行があばかれる。
『黒猫』(ポオ) 「わたし」は妻を殺し、死体を地下室の煉瓦壁の中に塗りこめる。その時に、知らずに飼い猫をもいっしょに閉じ込めてしまう。警官たちが家宅捜査に来たが、何も発見できず帰ろうとするので、「わたし」は嬉しさの余り、無性にしゃべりたくなり、頑丈な家の自慢をしつつ、壁を杖でたたく。壁の中で猫が泣き、「わたし」の妻殺しが発覚する〔*→〔心臓〕6の『告げ口心臓』に類似〕。
『饒舌について』(プルタルコス)14 詩人イビュコスが、強盗たちに襲われ殺される。彼は空を渡る鶴の群を見て、「あの鳥が私の仇を討ってくれよう」と叫んで死ぬ。強盗たちは劇場で芝居見物をする。鶴の群れが飛来するので、彼らは笑って「イビュコスの仇討ち鳥が行くぞ」とささやき合う。近くの人々がそれを聞きとがめ、強盗たちは捕らえられる。
天道虫の伝説 城主の弟が森で殺される。犯人である側用人が、無実の農夫をおとしいれ犯人にしたてあげる。処刑が行なわれる直前、1匹の天道虫が飛んでくる。農夫は、天道虫を押しつぶさぬよう気をくばって、最後の祈りをする。側用人は、暇つぶしに天道虫をたたき殺す。虫の命に対する2人の態度の違いを見て、城主は不審を感じ、真犯人が側用人であることを察知する(ヨーロッパの伝説)。
バッタに教わった交道(沖縄の民話) 沖縄の世の初めに、男と女がいた。ある日、2人が草原にいると、バッタが飛んで来てオスとメスが重なった。2人は、はじめて見るこの不思議なできごとに目を輝かせ、自分たちもあのようにしてみよう、と話し合った。これから、人間は男女の交わりをするようになった。
『なぜ神々は人間をつくったのか』(シッパー)第8章「交合」 始まりの時、1人の男と1人の女が、子供をつくるために交わろうと、尻・鼻・耳・口など、身体のさまざまな穴を試すが、どの穴も役に立たなかった。ある日、蝿がぶんぶんいいながら飛んで来て、股にとまった。2人は性交に用いる部位を悟り、やがて女は子供を産んだ。こうしてわれわれアタヤル族はこの世に生まれ、地に満ちた(台湾、アタヤル族)。
『日本書紀』巻1・第4段一書第5 イザナキ・イザナミ2神は性交しようとしたが、方法を知らなかった。その時、鶺鴒(にはくなぶり)が飛んで来て、頭と尾を動かした。2神はそのさまを見て真似をし、交合することができた。
*河童に教えられる→〔河童〕8の『現代民話考』(松谷みよ子)1「河童・天狗・神かくし」第1章の14。
*機織り虫に教えられる→〔糸〕4の『神道集』巻7-38「蟻通し明神の事」。
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