『太平広記』とは? わかりやすく解説

『太平広記』(『原化伝拾遺』)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/05 09:43 UTC 版)

蚕馬」の記事における「『太平広記』(『原化伝拾遺』)」の解説

『捜神記』とはやや異な内容蚕馬伝説伝えているのは、北宋昉が勅命によって編纂した『太平広記』(巻479)の「蚕女」である。ただし、『太平広記』は古今書物から引用集成であり、「蚕女」も元は『原化伝拾遺』という書物から引用されたものである高辛王の時代、蜀の地には君王がおらず、一族まとまって暮らして他の一族争っていた。ある娘の父親その戦いで敵の捕虜となって一年以上経過し、娘は父親の事を考えると居た堪れなくなった。娘の母親一族男達に対して、「もし、夫を助けだしくれたら、その者に娘を嫁がせる」と述べた。だが、それに応える者はいなかった。ところが、その話を聞いていた父親乗馬手綱振りほどいて家を飛び出すと、数日後父親連れて戻ってきた。母親驚いて約束の件を父親打ち明けると、父親は「どうして人間獣類嫁がせる事が出来よう」と述べたが、それを聞いた馬が暴れ出したため、父親激怒して弓で馬を射殺して皮を剥いで晒しものにした。その数日後、娘が馬の皮の側を通った時、馬の皮が不意に飛び上がって娘に巻き付いて家から飛び出していった。10日後に皮は娘ごと桑の木落ち付いて娘の姿は変化して糸を吐いてこの世に絹をもたらした。これによって娘は蚕女呼ばれるうになるが、両親はとても悲しんだ。ところが、突然天から娘が例の馬を御しながら降臨果たし太上自分を仙嬪にして天上長生させてくれることになったことを伝えて両親慰めたと言う

※この「『太平広記』(『原化伝拾遺』)」の解説は、「蚕馬」の解説の一部です。
「『太平広記』(『原化伝拾遺』)」を含む「蚕馬」の記事については、「蚕馬」の概要を参照ください。

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