M60パットン 脚注

M60パットン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/31 01:10 UTC 版)

脚注

参考文献

  • Foss, Chris (2005). Jane's armour and artillery : 2005–2006. Jane's Information Group. ISBN 978-0-7106-2686-8.
  • Hunnicutt, R. P. (1984). Patton: A History of the American Main Battle Tank. Volume 1. Novato: Presidio Press. ISBN 978-0-89141-230-4.
  • PANZER 2018年10月号臨時増刊『WAR MACHINE REPORT(71) M48/60 パットン』アルゴノート社:刊 2018年

関連項目


注釈

  1. ^ M60およびM60A1は"スーパーパットン"(SuperPatton)の名称で記述されていることがあるが、これはあくまで非公式の愛称である。また、M60A1は"シャイアン"、M60A3は"スーパーシャイアン"と呼ばれていることがあるが、これは、タミヤ模型が発売したプラモデルキットに付けた商品名である
  2. ^ もっとも、このため熱帯のジャングルのような地域では、M48よりも走破性で劣ると乗員は評価している。そのため、一部車両は車輪をM48用の鋼製転輪に換装している
  3. ^ ほぼ同一の形状ではあるが、M48の砲塔を砲だけ換装したわけではなく、装甲厚が全体的に増しており、砲塔側面上端から天面にかけてのラインが異なる。外見上の識別点は、3箇所の吊り下げ用フックの位置が異なっている(M48は前部上面1ヶ所/後部側面2ヶ所、M60では前部側面2ヶ所/後部上面1ヶ所、と逆になっている)ことである。
  4. ^ M60の生産車のうち230両はM48より改装されて製造されているため、M48と同一の砲塔を搭載している
  5. ^ M1の陸軍への配備が優先されたためと、海兵隊ではガスタービンエンジンを始めとする新機構の多いM1の信頼性に疑問が持たれていたことによる
  6. ^ 乗員の練度や軍の作戦指揮能力ではイラク側が優れており、イラン側の損害が大きいという結果となった。この戦争でイラク側に鹵獲されたM60は、他の鹵獲イラン軍戦車と共に「戦勝記念」として報道陣に公開されており、2003年のイラク戦争の後にはイラク軍のスクラップヤードで発見されている
  7. ^ M60A1E4は文献によっては"M60E2"の名称で記載されている。
  8. ^ M60A2は"チェロキー"の名称で記述されていることがあるが、これはM60A1を"シャイアン"と呼ぶのと同様にタミヤ模型が発売したプラモデルキットに付けた商品名である

出典

  1. ^ a b Foss, p. 166
  2. ^ a b Hunnicutt pp. 6, 408.
  3. ^ a b T-72戦車”. combat1.sakura.ne.jp. 2020年5月8日閲覧。
  4. ^ 2010年8月チェコ、レシャニ(Lesany)の軍事技術博物館での撮影
  5. ^ 1991年1月湾岸戦争時の撮影






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