M60パットン 各型

M60パットン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/31 01:10 UTC 版)

各型

XM68/XM60
主砲のみを105mm砲に換装したM48砲塔を新型の車体に搭載した試作型。
当初は"M68"の制式名とされる予定で開発が開始されたが、開発中に"M60"に改称の上制式化されて量産された。
M60
この車両はM48の砲塔に105mm砲を搭載して流用した改装型である
M60
M48に類似した亀甲形砲塔を搭載した基本型。一部の車両はM48を改修して生産されている。
1959年生産開始。1,080輌が生産された他、M48から230輌余りが改装されてM60として再就役した。
M60E1
M60に新設計の砲塔を搭載した試作型。車体部にも改修を加えたものがM60A1として制式化され量産された。
M60A1E
M60の車体に新型砲塔と152mm ガンランチャーを搭載した発展型の試作車両、およびその開発計画の名称。-A1E2型を経てM60A2となった。
-A2として制式化され量産されたものとは車体の仕様が異なり、-A2が-A1と同じ改修型車体を使用しているのに対し、-A1Eの車体は原型のM60のままである。開発段階では3種類の砲答案があり、この3種の砲塔と組合わせたものはXM66の仮制式名称でも呼ばれる。
M60A1E4[注 7]
M60に砲塔内操縦席を備えた新型の砲塔を搭載し、ガンランチャーシステムと独立旋回可能な銃架にマウントされた20mm機関砲を搭載した試作車両で、全体のデザインとしてはMBT70戦車の仕様をM60に採り入れたものとなっている。
MBT70の開発計画により開発された各種の新型技術、特に兵装と操縦装置の遠隔操作装置のテストベッドとして開発されたもので、M60A1E(XM66、後のM60A2)の開発に当たり設計されたXM66-TypeC砲塔のデザインが流用されている。
MBT70とM60A2の開発が終了した後は無線による無人操作のテストに用いられ、得られたデータは後述のXM1060の開発に活かされている。

M60A1

M60A1
かつてのギリシャ軍の装備車両[4]

T-62に対抗するため、砲塔を亀甲形からより内部容積が広く避弾経始に優れた前面装甲の厚い形状のものに変更し、砲塔が新型となったことに併せて車体各部の装甲厚を増加させ、サスペンションや射撃管制装置、操縦装置を改良、車内レイアウトの変更などの改修を施した改良型。1962年より、M60 シリーズの主力として大量生産された。

M60A1 AOS
AOSとは「Add-On Stabilization」の略。1972年よりM60A1の主砲であるM68に新型の安定装置を装備した改修型。
M60A1E2
M60A2の原型車。制式化されM60A2となった。
M60A1E3
M60A1E2の砲塔に、ガンランチャーではなくM68 105 mmライフル砲を装備した試作車両。ガンランチャーシステムが開発段階で多数の問題を発生させたため、問題が解決しない場合にはガンランチャーではなく通常のライフル砲を主砲としたものとして制式化させるために、いわば“保険”として試作された。主砲の変更に伴い全体の重量は約1,700ポンド増加している。
最終的にはガンランチャーシステムの実用化と実運用に問題はないとされたため、量産はなされず、-A1E3開発に伴う各種のデータはM60A1RISEを踏まえたM60A1の改良計画に活用され、M60A3開発の礎となった。
M60A1RISE(ERA装着型)
この車両はM9 ドーザーキットを装着している[5]
M60A1RISE
M60A1に近代化改修を施した型。主砲同軸機銃はそれまで搭載されていた7.62mm機関銃M73もしくは7.62mm機関銃M60E2から7.62mm機関銃M240Cに変更されている。
1970年代に約5,000輌がA1型より改修された。アメリカ海兵隊に配備された車両はイスラエル製ERA爆発反応装甲)を装備して湾岸戦争でも使用された。

M60A2

M60A2
M60A2
バージニア州ダンヴィルのアメリカ装甲財団博物館(American Armoured Foundation Museum)の展示車両
性能諸元
全長 7.62m
車体長 6.99m
全幅 3.632m
全高 3.256m
重量 51.5t
懸架方式 トーションバー方式
速度 48.2km/h
行動距離 483km
主砲 M162 152mm ガンランチャー
副武装
装甲
砲塔
車体
  • 前面上部93mm
  • 前面下部85mm-143mm
  • 側面36-74mm 上面前部 36mm
  • 機関室上部20mm
  • 底面前部19mm 底面後部13mm
  • 後面上部41mm 後面下部30mm
エンジン コンチネンタル AVDS-1790-2A
4ストロークV型12気筒ターボディーゼル
750HP(560kW)
乗員 4名
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新設計の砲塔を搭載した発展型。M162 152mm ガンランチャーを搭載し、対人用に榴弾、対戦車用にMGM-51 シレイラ・ミサイルを発射できる、という新世代の複合火砲装備戦車として期待された。

1961年8月には開発計画が開始され、この計画により開発されるM60の発展形は"M60A1E series"と仮称され、開発にあたっては"TypeA"、"TypeB"、"TypeC"の3種類の砲塔が検討された。TypeAはT95中戦車(英語版)の開発に際して設計されたT95E7型砲塔を流用したものである。TypeBはT95開発の際に検討されたものを踏まえつつ、この計画のために新たに設計されたもので、M60A1の“ニードル・ノーズ”形新型砲塔と比較しても正面投影面積で40%減少した、小型かつコンパクトなものとなっていた。TypeCは全体としてはTypeAに類似しており、M551シェリダン軽戦車の砲塔のデザインを発展させたもので、3種いずれも避弾経始を強く意識したものとなっていた。M60E1として準備された車両のうち3両がこの計画に廻され、TypeAからCの3種の砲塔を搭載することとなった。この車両群には、いずれも"XM66"の仮制式番号がつけられた。

しかし、計画が開始された1961年のうちに、ガンランチャーシステムの中心となるべき砲発射式ミサイルの開発に問題が生じていることから、ガンランチャーを搭載する戦闘車両すべての開発計画の見直しが必要になり、翌1962年1月10日には、「ミサイルが実用化できない場合に備え、代換となる武装を選定しておくこと」という決定がなされ、これに対する提案の期限が同年4月までとされたため、計画の全体的な取捨選択が行われることになり、M60A1Eシリーズの開発計画も急遽再検討を余儀なくされた。これによりガンランチャーではなく通常のライフル砲に武装を変更した試作車であるM60A1E3の開発や、MBT70戦車の仕様を採り入れた新たな試作車の検討といった各種の案が乱立し、M60A1シリーズおよびXM66開発の実作業にも大いなる混乱が生じることとなる。これらの混乱は、最終的にはガンランチャーシステムとその使用ミサイルの開発に目処がついたとされたため、1964年までには収束した。

3種類の砲塔が検討されたXM66のうち、TypeC案搭載型はモックアップのみで放棄され、1964年1月10日、陸軍は3つの砲塔案すべてを見直し、最終的にはTypeAのデザインを改良したものを選択した。1964年内には2基のTypeA改良砲塔が製造され、各種のテストが開始された。しかし、1966年には車体の仕様をM60A1と同じものとすることに計画が変更され、砲塔もTypeAからTypeBを搭載するものに変更された。これに基づいてTypeB砲塔を搭載しM60A1の車体を使用する試作車には"M60A1E2"の制式名称が与えられ、最初の試作車は1966年内に完成したが、各種の新機構の実用的改修に手間取り、1970年にようやく正式に採用され、"M60A2"の制式名称が与えられた。

M60A2の最初の発注は1971年に行われたが、生産は1973年まで開始されず、最初の先行量産車が生産、配備されたのは1975年からである。同年からは本格量産と部隊配備が開始されたが、ミサイルの価格が高かった事と、整備性が悪いこと、また、誘導方式の問題からミサイルを使用する場合には対戦車戦闘において行進間射撃ができないことが問題視され、生産は526輌に留まり、1981年には運用が中止されて短期配備に終わった。前線から引き揚げられたA2型の車体は架橋戦車回収戦車などに転用されている。

M60A2は先進的な存在ではあったが、高価で運用が難しいため、運用側からは皮肉をこめて「スターシップ(宇宙船)」というニックネーム[注 8]を与えられた。

M60A3

M60A3

1978年に量産開始された、M60A1の近代化改修型。射撃管制装置の換装・強化により主砲の命中精度を高めた他、同軸機銃を7.62mm機関銃M73または7.62mm機関銃M60E2から7.62mm機関銃M240Cに変更し、細部が改良されている。M60A1との外見上の差異は、主砲にサーマルスリーブ(砲身被筒)が装着されていることと、砲塔上面の砲手用間接照準器が大型化されていることである。また、白色光/赤外線サーチライトはそれまで用いられた大型のAN/VSS-1に代えてより小型のAN/VSS-3が装備されるようになった。

約1,700輌が生産された他、M60A1より2,100輌がA3仕様に改修された。アメリカ陸軍の他、台湾陸軍イスラエル国防軍などで使われている。

なお、アメリカ海兵隊はM60A3を導入せず、既存のM60A1を改修してM60A3相当としたM60A1RISEとして運用した。

M60A3TTS
台湾軍の装備車両
M60A3TTS
TTSとは「Tank Thermal Sight」の略。M60A3の夜間用サイトをAN/VSG-2熱線映像装置に換装した改修型。これにより、白色光/赤外線サーチライトは装備されなくなった。現在も第1線で運用されている車両は多くがこのTTS改修を受けている。

注釈

  1. ^ M60およびM60A1は"スーパーパットン"(SuperPatton)の名称で記述されていることがあるが、これはあくまで非公式の愛称である。また、M60A1は"シャイアン"、M60A3は"スーパーシャイアン"と呼ばれていることがあるが、これは、タミヤ模型が発売したプラモデルキットに付けた商品名である
  2. ^ もっとも、このため熱帯のジャングルのような地域では、M48よりも走破性で劣ると乗員は評価している。そのため、一部車両は車輪をM48用の鋼製転輪に換装している
  3. ^ ほぼ同一の形状ではあるが、M48の砲塔を砲だけ換装したわけではなく、装甲厚が全体的に増しており、砲塔側面上端から天面にかけてのラインが異なる。外見上の識別点は、3箇所の吊り下げ用フックの位置が異なっている(M48は前部上面1ヶ所/後部側面2ヶ所、M60では前部側面2ヶ所/後部上面1ヶ所、と逆になっている)ことである。
  4. ^ M60の生産車のうち230両はM48より改装されて製造されているため、M48と同一の砲塔を搭載している
  5. ^ M1の陸軍への配備が優先されたためと、海兵隊ではガスタービンエンジンを始めとする新機構の多いM1の信頼性に疑問が持たれていたことによる
  6. ^ 乗員の練度や軍の作戦指揮能力ではイラク側が優れており、イラン側の損害が大きいという結果となった。この戦争でイラク側に鹵獲されたM60は、他の鹵獲イラン軍戦車と共に「戦勝記念」として報道陣に公開されており、2003年のイラク戦争の後にはイラク軍のスクラップヤードで発見されている
  7. ^ M60A1E4は文献によっては"M60E2"の名称で記載されている。
  8. ^ M60A2は"チェロキー"の名称で記述されていることがあるが、これはM60A1を"シャイアン"と呼ぶのと同様にタミヤ模型が発売したプラモデルキットに付けた商品名である

出典

  1. ^ a b Foss, p. 166
  2. ^ a b Hunnicutt pp. 6, 408.
  3. ^ a b T-72戦車”. combat1.sakura.ne.jp. 2020年5月8日閲覧。
  4. ^ 2010年8月チェコ、レシャニ(Lesany)の軍事技術博物館での撮影
  5. ^ 1991年1月湾岸戦争時の撮影






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