近鉄松下百貨店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/26 06:56 UTC 版)
実現しなかった再開発
1990年代には、徳山駅西地区市街地再開発事業の一環として40,000m2の新店舗を計画していたが、同事業で計画されていたホテルの誘致が難航したほか、景況の悪化などが原因で頓挫した。
近鉄百貨店との関係
近鉄が百貨店部門を近鉄百貨店として独立させてからは近鉄百貨店の関連会社(持分法適用子会社)となっていたが、「近鉄百貨店」のグループ店舗との位置づけとなっており、近鉄百貨店のホームページには近鉄松下百貨店に関する情報はほとんど紹介されていなかった。なお、近鉄松下百貨店の公式サイトが設けられたのは2011年になってからであり、近鉄グループサイト、近鉄百貨店の公式サイトからのリンク設置はサイト開設後しばらくしてからであった。
ロゴマークや包み紙は近鉄百貨店と同じであり、全国百貨店共通券や近鉄ギフトカードが使用できた。また、読売ジャイアンツ優勝時には近鉄百貨店と同様に優勝セールが行われていた。
2001年2月20日限りで近鉄百貨店東京店が閉店されたあと、近畿・東海地区以外に存在した唯一の近鉄系の百貨店であり、2009年(平成21年)3月1日付で中部近鉄百貨店、和歌山近鉄百貨店が近鉄百貨店本体に吸収合併されたため、近鉄百貨店の唯一の百貨店子会社となった。
店舗情報
地上7階の本館(北館)と、地上4階の南館に分かれており、その間をみなみ銀座商店街が貫き、両館は3階の連絡通路でつながっていた。両館とも地階が存在しないため、生鮮食料品売場は南館の1階にあった。食料品売場が1階にあること自体は、山口井筒屋や旧奈良そごう(現ミ・ナーラ)などの例があり、それほど珍しいものではないが、当店は南館の2階にも銘菓、酒類などの食料品売場が存在した。
脚注
- ^ a b c d e f g 『近鉄百貨店 第119期有価証券報告書』 近鉄百貨店、2013年5月24日。
- ^ 本来この住所の郵便番号は745-0032だが、同社用の個別郵便番号が745-8567であった
- ^ a b c d e f g “近鉄松下百貨店が来春閉店”. 中国新聞(中国新聞社). (2012年9月26日)
- ^ a b c d e f g “にぎわい半世紀 近鉄松下閉店” 山口新聞 (みなと山口合同新聞社). (2013年3月1日)
- ^ a b c d e f 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2010年版』 東洋経済新報社、2010年。
- ^ a b 『近畿日本鉄道 80年のあゆみ書』 近畿日本鉄道、1990年10月。
- ^ a b c d e f g h i 寿柳聡、奥正光 (2013年3月1日). “周南市街地の顔、半世紀で幕 近鉄松下、閉店”. 朝日新聞(朝日新聞社)
- ^ a b c “周南地区へ百貨店進出続々 近鉄松下閉店、受け皿狙う” 山口新聞 (みなと山口合同新聞社). (2013年4月25日)
- ^ a b “近鉄松下、課題残し閉店へ”. 中国新聞(中国新聞社). (2013年2月26日)
- ^ a b “天満屋、山口に再進出 近鉄松下百貨店跡に出店”.日本経済新聞(日本経済新聞社). (2013年4月9日)
- ^ a b “地域密着へ新店長船出 近鉄松下に初の生え抜き”. 中国新聞(中国新聞社). (2003年7月3日)
- ^ “全国初の特定商業集積法認定施設「ザ・モール周南」5日オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年11月12日)
- ^ 株式会社近鉄百貨店第122期有価証券報告書p.5
- ^ 株式会社近鉄百貨店第121期有価証券報告書p.5
- ^ a b “山口井筒屋、周南ショップオープン” 山口新聞 (みなと山口合同新聞社). (2013年6月14日)
- ^ “近鉄松下百貨店 閉店のお知らせ”. 近鉄松下百貨店 (2012年9月26日). 2013年5月12日閲覧。
- ^ “仮庁舎に旧近鉄松下 周南市の新庁舎建設計画”. 山口新聞. (2014年1月24日) 2015年2月19日閲覧。
- ^ 天満屋広島アルパーク店、来年1月末閉店 競争激化で 日本経済新聞 2019/7/26 17:50
- 1 近鉄松下百貨店とは
- 2 近鉄松下百貨店の概要
- 3 実現しなかった再開発
- 4 関連項目
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