赤色戦線戦士同盟 脚注

赤色戦線戦士同盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/01 00:07 UTC 版)

脚注

参考文献

  • 岩崎好成 (1981). “ワイマール共和国における準軍隊的組織の変遷”. 史学研究(153) (広島史学研究会). 
  • O.K.フレヒトハイム 著、足利末男 訳『ヴァイマル共和国時代のドイツ共産党』みすず書房、1971年。ISBN 978-4622017011 
  • 桧山良昭『ナチス突撃隊』白金書房、1976年。ASIN B000J9F2ZA 
  • モーレンツ、船戸満之 著、守山晃 訳『バイエルン1919年―革命と反革命』白水社〈白水叢書27〉、1978年。 
  • モムゼン, ハンス 著、関口宏道 訳『ヴァイマール共和国史―民主主義の崩壊とナチスの台頭』水声社、2001年。ISBN 978-4891764494 
  • Der Rote Frontkämpferbund” (ドイツ語). Lebendiges Museum Online(LeMO). 2017年4月16日閲覧。
  • ヴィリ・ミュンツェンベルク 『武器としての宣伝』 星乃治彦訳、柏書房、1995年。
  • 『ソヴィエト赤軍興亡史Ⅱ』 学研、2001年、56-59頁。
  • Roter Frontkämpferbund 1924–1929, Armeemuseum der DDR, Dresden 1984.

関連項目

  • Roter Frontkämpferbund - ドイツ語版ウィキペディアの赤色戦線戦士同盟の項目。現時点では最も充実した内容。

注釈

  1. ^ この時代のドイツでは政党・政治団体が独自の警備部隊を持ち、対立勢力と武力闘争を行ったり、相手の集会やパレードに威力妨害を仕掛けることはごく一般的なことであった。これらの警備部隊の中で最も有名なのがナチ党の突撃隊であったが、それ以外の政党・政治団体も規模や程度の差はあれ同様の組織を保持していた。
  2. ^ この日付以前にも共産党系の警備部隊は存在していたが、党全体として統一した組織化はなされていなかった。

出典

  1. ^ 岩崎好成 1981, p. 65.
  2. ^ フレヒトハイム(1971)、p.181
  3. ^ a b c 岩崎好成 1981, p. 66.
  4. ^ a b c d フレヒトハイム(1971)、p.182
  5. ^ a b c Lebendiges Museum Online(LeMO)
  6. ^ 『ソヴィエト赤軍興亡史Ⅱ』P58
  7. ^ a b 桧山(1976)、p.112
  8. ^ モーレンツ & 船戸満之 1978, p. 85.
  9. ^ モムゼン 2001, p. 220-221.
  10. ^ モムゼン 2001, p. 221.
  11. ^ 詳細は『Roter Frontkämpferbund 1924–1929』を参照のこと。
  12. ^ 本項目の写真でテールマンとレオーが着ている服。


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