時事新報
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備考
- 株式会社組織として存続している「時事新報社」(資本金7000万円)は、2009年1月現在、代表取締役に清原武彦(産経新聞社代表取締役会長)、取締役に住田良能(同代表取締役社長)と千野境子(同特別記者)、監査役に鈴木隆敏(同顧問)となり、経営の一切を産経新聞社に委任している。
- 日本音楽コンクール、大相撲優勝力士額掲示については現在毎日新聞社が継承している。「優勝額#解説」および「日本音楽コンクール#歴史」も参照
- 時事通信社と直接のつながりはないが、かつて時事新報が発行していた『時事年鑑』は、同盟通信社を経て時事通信社が継承して発行した(1994年廃刊)。
- 『時事新報』創刊25周年記念号(明治40年3月1日記念号)は、ページ数が224ページに達し、日本の新聞としては最多ページ数記録となった。同号は1961年に日本新聞資料協会から縮刷版が発行されている。
- 慶應義塾大学日吉キャンパス(1年、2年生が通う)をエリアに含む産経新聞日吉専売所の店頭には「(慶應)塾生[注 9]諸君、福澤諭吉先生が創刊した時事新報が前身の産経新聞を読もう」との広告が掲示されている。
主な人物
- 井坂直幹 - 1883年(明治16年)入社。1887年に大倉組(現・大成建設)に転職、その後秋田木材(現・新秋木工業)を創業した。
- 石河幹明 - 1885年(明治18年)入社。社説部一筋で活動し取締役主筆を経て定年まで勤めた後、福澤全集(大正版・昭和版・『時事論集』)編纂を手掛ける。
- 板倉卓造 - 1905年(明治38年)入社。社説部記者、主筆を経て慶應義塾教授を兼任。戦後復刊時の初代社長。産経時事論説委員長、貴族院議員も歴任。
- 伊藤欽亮 - 創刊と同時に入社。編集長から1896年(明治29年)日本銀行に転職。さらに1906年(明治39年)日本新聞社長。
- 伊藤正徳 - 1913年(大正2年)入社。社説部長を経て共同通信社・日本新聞協会初代理事長。戦後復刊時には板倉の後任社長も歴任。
- 小野友次郎 - 福澤の書生を経て1886年(明治19年)入社。1891年(明治24年)中上川の秘書として三井銀行に転職。その後芝浦製作所所長、王子製紙取締役、東神倉庫(現・三井倉庫)・北炭監査役などを歴任。
- 門野幾之進 - 大正期に取締役会長。千代田生命保険(現・ジブラルタ生命)創業者。貴族院議員、交詢社会長も歴任。
- 勝田重太朗 - 『産経時事』合同時の産業経済新聞東京本社社長。中部日本新聞社常務、名古屋タイムズ社初代理事社長、信越放送社長などを歴任。
- 北川礼弼 - 朝野新聞(第1期)最後の社長で1893年廃刊と同時に移籍。1902年(明治35年)慶応義塾塾監を経て門野が創業した千代田生命保険に参加。
- 菊池武徳 - 1887年(明治20年)入社。1891年朝野新聞へ移籍し第2期社長。また『演藝画報』(後の月刊『演劇界』)を創刊した。1903年(明治36年)衆議院議員に転じ当選4回。
- 菊池寛 - 1916年(大正5年)入社。社会部記者から作家に転向し、1919年(大正8年)盟友芥川龍之介と共に大阪毎日新聞へ移籍。その後、1923年(大正12年)文藝春秋社を創業した。
- 後藤武男 - 1916年(大正5年)入社。ロンドン特派員、政治部長、監理部長を経て茨城新聞社社長、茨城放送創業者。
- 小山完吾 - 1904年(明治37年)入社。明治生命取締役を経て1926年(大正15年)社長。衆議院当選1回、貴族院議員も歴任。
- 鈴木龍二 - 1934年(昭和9年)國民新聞から移籍。大東京軍常務、日本野球連盟会長、セントラル野球連盟会長などを歴任した。
- 高木喜一郎 - 創刊と同時に入社し営業を担当。渡辺の急逝に伴い、大阪毎日新聞社第2代社長に就任。
- 高橋信三 - 1926年(大正15年)大阪時事新報に入社。1928年、大阪毎日新聞に移籍。副主筆を経て新日本放送専務、毎日放送第2代社長。
- 高橋義雄 - 創刊と同時に入社。1891年、中上川の誘いで三井銀行へ転職。その後三井呉服店理事、王子製紙専務などを歴任。
- 竹越與三郎 - 1886年(明治19年)入社。1891年國民新聞へ移籍するが1896年に復帰。その後衆議院当選5回、貴族院議員も務め大物政治家となる。
- 中上川彦次郎 - 初代社長兼主筆。工部省・外務省官僚を経て福澤の推薦で就任。退任後、山陽鉄道社長、三井銀行理事、三井合名理事長などを歴任。
- 波多野承五郎 - 創刊と同時に入社。1891年朝野新聞に移籍し社長兼主筆になるが1年も経たずに北川に譲渡。その後三井銀行理事を経て衆院当選1回。
- 福沢諭吉 - 創業者・初代社主。
- 前田久吉 - 産経新聞社創業者。当社では代表取締役専務。
- 松岡正男 - 自由学園創立者・婦人之友社創業者羽仁もと子の実弟。京城日報・毎日新報社長、英文毎日主幹を経て1935年(昭和10年)前田に請われ取締役会長。
- 本山彦一 - 1883年(明治16年)入社。1886年大阪藤田組(現・DOWAホールディングス)に転職、さらに大阪毎日新聞社相談役から第5代社長。
- 渡辺治 - 創刊と同時に入社。1888年(明治21年)都新聞主筆、さらに大阪毎日新聞に移籍し初代社長兼主筆。
脚注
注釈
- ^ 1936年(昭和11年)に買収、権利一切を引き継ぐ。
- ^ 現・東京都港区三田2-15-45。慶応義塾大学三田キャンパス構内、旧図書館の辺りにあった。
- ^ 現・東京都中央区日本橋3丁目
- ^ 現・東京都中央区銀座6-8-7 交詢社ビルディングの南側にあたる。
- ^ 現・東京都千代田区丸の内2丁目
- ^ 現・東京都千代田区有楽町1-12-1
- ^ 現在の時事新報社の登記上本店で、産業経済新聞社東京本社と同じ。
- ^ 『毎日新聞百年史』によれば、大毎は時事新報社より営業権(のれん)を購入。時事新報社はこの代金をもって解散資金にしたとしている。つまりこのとき、時事新報社の法人は解散している。なお『時事新報』を合同したのは『東京日日新聞』であって『大阪毎日新聞』ではない。
- ^ 慶應では「学生」ではなく「塾生」と呼ばれる。
出典
- ^ 都倉武之. “時事新報史 第19回 社屋の移転 日本橋を経て銀座へ”. 慶應義塾大学出版会. 2020年4月29日閲覧。
- ^ 『兵は凶器なり』 (21) 15年戦争と新聞メディア -1926-1935- (PDF) 前坂俊之アーカイブス
- ^ 鈴木 & 都倉 2009, pp. 46–53, 61.
- ^ 異端と先導 創造性に満ちた生涯 東京展は来月8日まで 産経新聞2011年1月28日[リンク切れ]
- ^ 石田 1977.
- ^ 平山 2004, pp. 19–22.
- ^ 都倉武之. “時事新報史 第12回 水戸出身記者の入社”. 慶應義塾大学出版会. 2020年4月29日閲覧。
- ^ 福澤 1971, p. 599.
- ^ “慶應義塾豆百科 No.42 『時事新報』の創刊”. 慶應義塾大学. 2020年4月29日閲覧。
- ^ “朝日新聞創刊130周年記念事業(明治・大正データベース)」のご紹介”. 朝日新聞. (2008年3月10日)
- ^ 「番町会を暴く」が政治問題に『時事新報』昭和9年1月22日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p412 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 両社幹部、福沢翁墓前に合同を奉告『大阪毎日新聞』昭和11年12月25日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p236 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 春原昭彦. “コラム「日本の新聞人」 福沢亡き後、時事新報の論壇を主宰 板倉卓造”. 日本新聞博物館. 2020年4月29日閲覧。
- ^ 【現代(いま)に生きる時事新報】(24)[リンク切れ]
- ^ 「『新聞に関する世論調査』の分析(下)」『一橋研究』第19巻第3号、一橋研究編集委員会、1994年、95-108頁。
- ^ 警報発令!今度は何が? 【し】新聞社の仕組み⑰ - 産経新聞大阪本社整理部記者 日野原信生のブログ。
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