日本の暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 02:51 UTC 版)
暦法の歴史
全て太陰太陽暦である。渋川春海が独自の思想にもとづき神武天皇即位紀元まで遡って「日本長暦」を編纂し、それまでの期間の暦を定めたため、それが例えば皇紀や紀元節などの典拠ともなっているが、一般には以下に挙げる暦よりも前にそのような暦があったとは考えられていない(江戸期において、すでに本居宣長が否定している)。
古代から江戸時代初期までは、各時代の中国暦を輸入したものが使われていた(宣明暦以降は輸入が途絶え、そのまま使っていた)。江戸期において、西洋暦も参考にした日本人による暦が作られ始めた。明治改暦により、グレゴリオ暦1873年(明治6年)1月1日からはグレゴリオ暦が使われ[注 1]、2024年(令和6年)現在に至っている。
- 元嘉暦(げんかれき) - 6世紀頃朝鮮半島の百済から伝えられた宋の時代の中国暦である。
- 儀鳳暦(ぎほうれき) - 中国暦で690年から元嘉暦と併用された。697年からは単独で使用された。
- 大衍暦(たいえんれき、だいえんれき) - 中国暦で764年から861年まで使われた。
- 五紀暦(ごきれき) - 中国暦で781年に日本に紹介されたが単独で使われることはなかった。
- 宣明暦(せんみょうれき) - 中国暦で862年から1685年まで使用された。
- 貞享暦(じょうきょうれき) - 初めて日本人により編纂された暦で1685年から1755年まで使われた。
- 宝暦暦(ほうりゃくれき、ほうれきれき) - 1755年から1798年
- 寛政暦(かんせいれき) - 1798年から1844年
- 天保暦(てんぽうれき) - 1844年から1872年
日本の暦の歴史
前記の和暦に基づき以下の暦(暦書・暦表)が使われてきた。暦の作成配布は日本に限らず、古代より統治者(朝廷や幕府)によって取締られてきた事項であり[注 2]、明治に至っては神宮暦に一本化された。暦の決定は国家が法で行うが、カレンダーは(それに従って)自由に作ってよい、と明確に分離され自由になったのは、戦後の1946年である。
- 具注暦(ぐちゅうれき)
- 京暦(きょうごよみ)
- 三島暦(みしまごよみ)
- 大宮暦(おおみやごよみ)
- 戦国時代に武蔵国大宮の氷川神社で作成された仮名暦。
- 丹生暦(にゅうこよみ)
- 伊勢暦(いせごよみ)
- 江戸暦(えどごよみ)
- 江戸の人口増大に伴って、17世紀中期から刊行され、1697年には11名からなる仲間組織が結成された。
1871年(明治4年)には改暦および官暦の発行に伴い、全国の暦師をまとめた頒暦商社が組織された。官暦ではそれまで記載されていた吉凶の記載が除かれ、明治末には旧暦の記載も無くなったため、それらを記載した非合法のお化け暦(おばけごよみ)が出回った。
1883年には本暦(官暦)の発行は神宮司庁の管轄となり神宮暦(じんぐうれき)と呼ばれた。
1903年に日めくりカレンダーの製造が始まる。
1946年には暦の専売制が廃され、発行が自由化された。
各月の別名
- 1月 - 睦月(むつき)
- 2月 - 如月 または 衣更着(きさらぎ)
- 3月 - 弥生(やよい)
- 4月 - 卯月(うづき)
- 5月 - 皐月 または 早月(さつき)
- 6月 - 水無月(みなづき)
- 7月 - 文月(ふみづき、ふづき)
- 8月 - 葉月(はづき)
- 9月 - 長月(ながつき)
- 10月 - 神無月(かんなづき)、出雲地方では神在月(かみありつき)
- 11月 - 霜月(しもつき)
- 12月 - 師走(しわす、しはす[注 4])
本来は旧暦による月の別名であるため、そのまま新暦に適用すると季節感が合わなくなることがある。十二月の別名「師走」は、年末の慌ただしい様子を表す月名として、現在でもよく使われている。
注釈
出典
- ^ kotobank-世界大百科事典 「京暦」
- ^ 「三島暦と河合家」
- ^ kotobank-世界大百科事典 「丹生暦」
- ^ 三重県環境生活部文化振興課県史編さんグループ 「全国に広まった伊勢暦」
- ^ 全国団扇扇子カレンダー協議会 「カレンダーの歴史」
- 日本の暦のページへのリンク