愛染明王 種字・印・真言

愛染明王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 23:28 UTC 版)

種字・印・真言

種字

  • ウーン (hűṃ、हूं)[16]
  • ウン(hhuṃ) [17]

  • 愛染明王根本印[16]

真言

  • オン・マカラギャ・バゾロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャク・ウン・バン・コク[18]
Oṃ mahārāga vajroṣṇīṣa vajrasattva jaḥ hūṃ vaṃ hoḥ[19]
  • ウン・タキ・ウン・ジャク (一字心明)[2]
(引)吒枳吽(引)(入聲)[2]
Hūṃ ṭaki hūṃ jaḥ[注 8]
  • ウン・タキ・ウン・ジャク・シッジ[20]
吽吒枳吽惹悉地[20]
Hūṃ ṭaki hūṃ jaḥ siddhi[19]

愛染明王の起源

平岡龍人は『密教経軌の説く 金剛薩埵の研究』の中で、これを「タキ = 欲(欲の自性)」と、「フン = 憤怒」と、「ジャク = (欲と憤怒の)両者を鈎招し」と訳し、「タキ・フン・ジャク」の真言を「一切世間の全ての有情を欲と憤怒で清める」と訳した上で、この「具徳金剛手」を金剛薩埵の「愛染三昧」の化身で、愛染明王と同様の姿であるとしている[21]。また、栂尾祥雲は『理趣の研究』の中で、『理趣経』の主題である五秘密について触れ、「欲・触・愛・慢」における金剛薩埵の「五秘密の三昧」は愛染明王の姿であるとし、『理趣経』の本尊は愛染明王に他ならないとしている[22]

愛染明王と不動明王

日本では、この不動明王と愛染明王の両尊を祀る形式が1338年頃に成立した文観の『三尊合行秘次第』[注 9]に始まるとする説がある[23]。この説に基づくならば、現在、広島県にある円光寺・明王院(福山市)[注 10]は、大同2年(807年)に空海が開基したと伝えているが、この寺の境内にある五重塔(国宝)は貞和4年(1348年)に建立され、初層に大日如来を本尊として左右に不動明王と愛染明王を祀っているので、日本におけるその初期の例として挙げることが出来る。ただ、文観自身はこの書を書写したとしており、密教の事相上では『三尊合行秘次第』の本尊となる如意宝珠は特殊な形をしていて「密観宝珠」[24]とも呼ばれ、如意宝珠形の下に五鈷杵を配した舎利塔仏舎利を入れたものであるところから、これを如意輪観音の三昧耶形であるとして、空海の直弟子に当る観心寺の檜尾僧都実恵や、醍醐寺の開祖理源大師聖宝の口伝にまで遡ろうとする考え方もある[25]

ちなみに、高野山には空海の請来になる品物を保管している「瑜祇塔」という建造物がある。この名は、愛染明王と同じく『瑜祇経』を典拠としているが、その正式名称は「金剛峯楼閣瑜祇塔」で、高野山真言宗の総本山である金剛峯寺の呼び名は、この「瑜祇塔」に由来する。[26]

寺院

愛染明王は守護尊(明王などの力のある尊挌を脇持や念持仏とすること)として祀られることが多いが、以下のように本尊としている例も存在する。

愛染明王を本尊とする寺院
その他、愛染明王を祀る代表的な寺院

注釈

  1. ^ 木村秀明は『幻化網タントラの諸尊』の中で「吒枳王」を愛染明王であるとしている。[3]
  2. ^ 『白宝口抄』には「離愛金剛は即ち愛染明王なり」としている。
  3. ^ 『白宝口抄』(びやくほうくしょう)は『白宝口鈔』とも表記し、13世紀に東寺の観智院・亮禅と宝蓮華寺・亮尊による共著として、真言密教における事相と図像の百科事典であり、167巻からなる。亮禅は西院流の能禅より伝法灌頂を受け、後に東寺の二長者(にのちょうじゃ)をつとめ、1279年には東寺の菩提院の開山となった人物。
  4. ^ 他に福井県小浜市円照寺が所蔵する立像があるが、当初は千手観音として造像されたものであることが判明している [7]
  5. ^ 一口に「愛欲」と言うが、世俗における愛や欲を密教の智慧の炎である智火によって浄化し、それらが昇華されて仏智に基づく働きとなったものを「大愛」または「大欲」という。なお、ここで言う「大欲」とは、大楽思想で知られる『理趣経』等に説かれるものを指している。
  6. ^ 両耳の脇から前方に伸びるケープ状の装飾。一般に、身体に掛かる羽衣を天衣と呼び、こちらは天帯という。
  7. ^ 「四魔」とは、五蘊魔・煩悩魔・死魔・天魔の四つをいう[13]
  8. ^ 吒枳はṬaki[2]
  9. ^ 『三尊合行秘次第』は、別名『一二寸合行秘次第』ともいう。
  10. ^ 円光寺は、開基の時の名称は「常福寺」という。

出典

  1. ^ a b c 真鍋俊照「愛染明王」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)
  2. ^ a b c d 那須政隆『瑜伽大教王経所説の曼荼羅について』(智山学報)、pp.49-50、1937年。
  3. ^ 「『幻化網タントラの諸尊』曼荼羅の構成尊」、pp.121-122。
  4. ^ 川崎一洋『大理国時代の密教における八大明王の信仰』(密教図像 第26号)、pp.55-56。
  5. ^ a b 『密教大辞典』、「愛染明王」、p5。
  6. ^ 『図説真言密教のほとけ』、「愛染明王」、p137、p140、pp.145-146。
  7. ^ 福井県立若狭歴史博物館に依る。 2023年5月4日閲覧
  8. ^ 紀野一義 著「愛染明王」、『十七佛浄土』(光風出版社)、pp218-220。
  9. ^ 【イチから分かる】直江兼続 「信義ある智将」に残る謎 (3/4ページ) 産経ニュース 2009.5.6
  10. ^ 『愛染明王(国宝)御由来記・御縁記・御霊験記』(駒形山妙高寺)、pp.3-6。
  11. ^ それぞれの持物については『愛染明王を彫る』(淡交社)、pp.59-63、pp.96-103を参照のこと。
  12. ^ 紀野一義 著「愛染明王」、『十七佛浄土』(光風出版社)、p218。
  13. ^ 榎本正明「魔」 - 新纂浄土宗大辞典
  14. ^ 紀野一義 著「愛染明王」、『十七佛浄土』(光風出版社)、pp217-218。
  15. ^ 『西国愛染十七霊場巡礼』(朱鷺書房)、序文pp.3-4。
  16. ^ a b 『印と真言の本』、学研、2004年2月、p.118。
  17. ^ 綜芸舎編集部 『梵字入門』  綜芸舎 1967年 p21
  18. ^ 正木晃『密教の聖なる呪文』ビイング・ネット・プレス、2019年、p162
  19. ^ a b 坂内龍雄「真言陀羅尼」、平河出版社、2017年4月第30刷、p.210。
  20. ^ a b 坂内龍雄「真言陀羅尼」、平河出版社、2017年4月第30刷、p.375。
  21. ^ 『密教経軌の説く 金剛薩埵の研究』(永田文昌堂)、「3、『降三世儀軌における金剛薩埵』」、pp.271-281。
  22. ^ 『理趣経の研究』(密教文化研究所)、「別冊」、pp.5-11。
  23. ^ 「『文観著作聖教の再発見』三尊合行法のテクスト布置とその位相」(名古屋大学文学研究科)、p120。
  24. ^ 「『密教工芸』神秘のかたち」(奈良国立博物館)、p17-図版10、p62-図版10、p63-図版11。
  25. ^ 『両頭愛染曼荼羅の成立に関する一考察』(印度學佛教學研究:第六十巻第二号)、pp.615-618。
  26. ^ 『高野山』(総本山 金剛峯寺)、p21。


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