愛染明王
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種字・印・真言
種字
印
- 愛染明王根本印[16]
真言
- オン・マカラギャ・バゾロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャク・ウン・バン・コク[18]
- Oṃ mahārāga vajroṣṇīṣa vajrasattva jaḥ hūṃ vaṃ hoḥ[19]
- ウン・タキ・ウン・ジャク (一字心明)[2]
- ウン・タキ・ウン・ジャク・シッジ[20]
愛染明王の起源
平岡龍人は『密教経軌の説く 金剛薩埵の研究』の中で、これを「タキ = 欲(欲の自性)」と、「フン = 憤怒」と、「ジャク = (欲と憤怒の)両者を鈎招し」と訳し、「タキ・フン・ジャク」の真言を「一切世間の全ての有情を欲と憤怒で清める」と訳した上で、この「具徳金剛手」を金剛薩埵の「愛染三昧」の化身で、愛染明王と同様の姿であるとしている[21]。また、栂尾祥雲は『理趣の研究』の中で、『理趣経』の主題である五秘密について触れ、「欲・触・愛・慢」における金剛薩埵の「五秘密の三昧」は愛染明王の姿であるとし、『理趣経』の本尊は愛染明王に他ならないとしている[22]。
愛染明王と不動明王
日本では、この不動明王と愛染明王の両尊を祀る形式が1338年頃に成立した文観の『三尊合行秘次第』[注 9]に始まるとする説がある[23]。この説に基づくならば、現在、広島県にある円光寺・明王院(福山市)[注 10]は、大同2年(807年)に空海が開基したと伝えているが、この寺の境内にある五重塔(国宝)は貞和4年(1348年)に建立され、初層に大日如来を本尊として左右に不動明王と愛染明王を祀っているので、日本におけるその初期の例として挙げることが出来る。ただ、文観自身はこの書を書写したとしており、密教の事相上では『三尊合行秘次第』の本尊となる如意宝珠は特殊な形をしていて「密観宝珠」[24]とも呼ばれ、如意宝珠形の下に五鈷杵を配した舎利塔に仏舎利を入れたものであるところから、これを如意輪観音の三昧耶形であるとして、空海の直弟子に当る観心寺の檜尾僧都実恵や、醍醐寺の開祖理源大師聖宝の口伝にまで遡ろうとする考え方もある[25]。
ちなみに、高野山には空海の請来になる品物を保管している「瑜祇塔」という建造物がある。この名は、愛染明王と同じく『瑜祇経』を典拠としているが、その正式名称は「金剛峯楼閣瑜祇塔」で、高野山真言宗の総本山である金剛峯寺の呼び名は、この「瑜祇塔」に由来する。[26]
寺院
愛染明王は守護尊(明王などの力のある尊挌を脇持や念持仏とすること)として祀られることが多いが、以下のように本尊としている例も存在する。
- 愛染明王を本尊とする寺院
- 愛染堂(勝鬘院)(大阪市天王寺区) - 聖徳太子建立の四天王寺四箇院の一つ、併せて豊臣秀吉奉納の大日大勝金剛を祀ることでも知られている。西国愛染十七霊場 第1番札所。
- 金剛三昧院(和歌山県高野町) - 北条政子所縁の寺。源頼朝の念持仏である愛染明王を祀る。本尊は国の重要文化財で、西国愛染十七霊場 第17番札所。
- 舎那院(滋賀県長浜市) - 本尊は鎌倉時代の作で国の重要文化財。豊臣秀吉が奉献したとされる。
- 愛染院(東京都練馬区) - 本尊の愛染明王像は秘仏。
- 光明山愛染院日曜寺(東京都板橋区) - 地元の染物業者の信仰対象となっている。
- 愛染明王堂(静岡県下田市) - 鶴岡八幡宮寺旧蔵、伝・仏師運慶の作。
- 駒形山妙高寺(新潟県小千谷市) - 源頼朝の家臣田中義房の守護仏とされ、直江兼続も戦勝を祈願したと伝える愛染明王坐像(重要文化財)を本尊とする。像自体は檜の寄木造りで、鎌倉時代の作。
- その他、愛染明王を祀る代表的な寺院
- 西大寺(奈良県奈良市) - 重要文化財の愛染明王像は善円の作。京都御所の近衛公政所御殿を移築した愛染堂に安置。西国愛染十七霊場 第13番札所。
- 久修園院(大阪府枚方市) - 伝・宗覚律師作の高さ6尺(約2メートル)の愛染明王坐像は日本最大級の像例。西国愛染十七霊場 第12番札所。
- 神護寺(京都市右京区) - 重要文化財の愛染明王像は仏師康円の作。
- 神童寺(京都府木津川市) - 天弓愛染像。
- 覚園寺(鎌倉市二階堂) - 愛染堂の愛染明王坐像は鎌倉時代後期の作。
- 長雲寺(長野県千曲市稲荷山) - 重要文化財の愛染明王像は、寛文13年(1673年)京都の仏師久七作。
- 放光寺(山梨県甲州市) - 重要文化財の愛染明王坐像は平安時代の作。天弓愛染明王では日本最古の像と言われる。
- 赤岩寺愛染堂(豊橋市多米町) - 重要文化財の木造愛染明王坐像は、鎌倉時代末期の作とされる。
- 青龍寺本堂右脇陣(高知県土佐市) - 重要文化財の木造愛染明王坐像は、鎌倉時代の作とされる。
- 永安寺(石川県金沢市)- 境内山頂に日本最大級の愛染明王像(約10メートル)6月に柴燈大護摩供養
注釈
- ^ 木村秀明は『幻化網タントラの諸尊』の中で「吒枳王」を愛染明王であるとしている。[3]
- ^ 『白宝口抄』には「離愛金剛は即ち愛染明王なり」としている。
- ^ 『白宝口抄』(びやくほうくしょう)は『白宝口鈔』とも表記し、13世紀に東寺の観智院・亮禅と宝蓮華寺・亮尊による共著として、真言密教における事相と図像の百科事典であり、167巻からなる。亮禅は西院流の能禅より伝法灌頂を受け、後に東寺の二長者(にのちょうじゃ)をつとめ、1279年には東寺の菩提院の開山となった人物。
- ^ 他に福井県小浜市の円照寺が所蔵する立像があるが、当初は千手観音として造像されたものであることが判明している [7]。
- ^ 一口に「愛欲」と言うが、世俗における愛や欲を密教の智慧の炎である智火によって浄化し、それらが昇華されて仏智に基づく働きとなったものを「大愛」または「大欲」という。なお、ここで言う「大欲」とは、大楽思想で知られる『理趣経』等に説かれるものを指している。
- ^ 両耳の脇から前方に伸びるケープ状の装飾。一般に、身体に掛かる羽衣を天衣と呼び、こちらは天帯という。
- ^ 「四魔」とは、五蘊魔・煩悩魔・死魔・天魔の四つをいう[13]。
- ^ 吒枳はṬaki[2]。
- ^ 『三尊合行秘次第』は、別名『一二寸合行秘次第』ともいう。
- ^ 円光寺は、開基の時の名称は「常福寺」という。
出典
- ^ a b c 真鍋俊照「愛染明王」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)
- ^ a b c d 那須政隆『瑜伽大教王経所説の曼荼羅について』(智山学報)、pp.49-50、1937年。
- ^ 「『幻化網タントラの諸尊』曼荼羅の構成尊」、pp.121-122。
- ^ 川崎一洋『大理国時代の密教における八大明王の信仰』(密教図像 第26号)、pp.55-56。
- ^ a b 『密教大辞典』、「愛染明王」、p5。
- ^ 『図説真言密教のほとけ』、「愛染明王」、p137、p140、pp.145-146。
- ^ 福井県立若狭歴史博物館に依る。 2023年5月4日閲覧
- ^ 紀野一義 著「愛染明王」、『十七佛浄土』(光風出版社)、pp218-220。
- ^ 【イチから分かる】直江兼続 「信義ある智将」に残る謎 (3/4ページ) 産経ニュース 2009.5.6
- ^ 『愛染明王(国宝)御由来記・御縁記・御霊験記』(駒形山妙高寺)、pp.3-6。
- ^ それぞれの持物については『愛染明王を彫る』(淡交社)、pp.59-63、pp.96-103を参照のこと。
- ^ 紀野一義 著「愛染明王」、『十七佛浄土』(光風出版社)、p218。
- ^ 榎本正明「魔」 - 新纂浄土宗大辞典
- ^ 紀野一義 著「愛染明王」、『十七佛浄土』(光風出版社)、pp217-218。
- ^ 『西国愛染十七霊場巡礼』(朱鷺書房)、序文pp.3-4。
- ^ a b 『印と真言の本』、学研、2004年2月、p.118。
- ^ 綜芸舎編集部 『梵字入門』 綜芸舎 1967年 p21
- ^ 正木晃『密教の聖なる呪文』ビイング・ネット・プレス、2019年、p162
- ^ a b 坂内龍雄「真言陀羅尼」、平河出版社、2017年4月第30刷、p.210。
- ^ a b 坂内龍雄「真言陀羅尼」、平河出版社、2017年4月第30刷、p.375。
- ^ 『密教経軌の説く 金剛薩埵の研究』(永田文昌堂)、「3、『降三世儀軌における金剛薩埵』」、pp.271-281。
- ^ 『理趣経の研究』(密教文化研究所)、「別冊」、pp.5-11。
- ^ 「『文観著作聖教の再発見』三尊合行法のテクスト布置とその位相」(名古屋大学文学研究科)、p120。
- ^ 「『密教工芸』神秘のかたち」(奈良国立博物館)、p17-図版10、p62-図版10、p63-図版11。
- ^ 『両頭愛染曼荼羅の成立に関する一考察』(印度學佛教學研究:第六十巻第二号)、pp.615-618。
- ^ 『高野山』(総本山 金剛峯寺)、p21。
愛染明王と同じ種類の言葉
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