愛染明王
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愛染明王(あいぜんみょうおう 梵: rāgarāja[1])は、仏教の信仰対象であり、密教特有の憤怒相を主とする尊格である明王の一つ。愛染王とも[1]。
注釈
- ^ 木村秀明は『幻化網タントラの諸尊』の中で「吒枳王」を愛染明王であるとしている。[3]
- ^ 『白宝口抄』には「離愛金剛は即ち愛染明王なり」としている。
- ^ 『白宝口抄』(びやくほうくしょう)は『白宝口鈔』とも表記し、13世紀に東寺の観智院・亮禅と宝蓮華寺・亮尊による共著として、真言密教における事相と図像の百科事典であり、167巻からなる。亮禅は西院流の能禅より伝法灌頂を受け、後に東寺の二長者(にのちょうじゃ)をつとめ、1279年には東寺の菩提院の開山となった人物。
- ^ 他に福井県小浜市の円照寺が所蔵する立像があるが、当初は千手観音として造像されたものであることが判明している [7]。
- ^ 一口に「愛欲」と言うが、世俗における愛や欲を密教の智慧の炎である智火によって浄化し、それらが昇華されて仏智に基づく働きとなったものを「大愛」または「大欲」という。なお、ここで言う「大欲」とは、大楽思想で知られる『理趣経』等に説かれるものを指している。
- ^ 両耳の脇から前方に伸びるケープ状の装飾。一般に、身体に掛かる羽衣を天衣と呼び、こちらは天帯という。
- ^ 「四魔」とは、五蘊魔・煩悩魔・死魔・天魔の四つをいう[13]。
- ^ 吒枳はṬaki[2]。
- ^ 『三尊合行秘次第』は、別名『一二寸合行秘次第』ともいう。
- ^ 円光寺は、開基の時の名称は「常福寺」という。
出典
- ^ a b c 真鍋俊照「愛染明王」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)
- ^ a b c d 那須政隆『瑜伽大教王経所説の曼荼羅について』(智山学報)、pp.49-50、1937年。
- ^ 「『幻化網タントラの諸尊』曼荼羅の構成尊」、pp.121-122。
- ^ 川崎一洋『大理国時代の密教における八大明王の信仰』(密教図像 第26号)、pp.55-56。
- ^ a b 『密教大辞典』、「愛染明王」、p5。
- ^ 『図説真言密教のほとけ』、「愛染明王」、p137、p140、pp.145-146。
- ^ 福井県立若狭歴史博物館に依る。 2023年5月4日閲覧
- ^ 紀野一義 著「愛染明王」、『十七佛浄土』(光風出版社)、pp218-220。
- ^ 【イチから分かる】直江兼続 「信義ある智将」に残る謎 (3/4ページ) 産経ニュース 2009.5.6
- ^ 『愛染明王(国宝)御由来記・御縁記・御霊験記』(駒形山妙高寺)、pp.3-6。
- ^ それぞれの持物については『愛染明王を彫る』(淡交社)、pp.59-63、pp.96-103を参照のこと。
- ^ 紀野一義 著「愛染明王」、『十七佛浄土』(光風出版社)、p218。
- ^ 榎本正明「魔」 - 新纂浄土宗大辞典
- ^ 紀野一義 著「愛染明王」、『十七佛浄土』(光風出版社)、pp217-218。
- ^ 『西国愛染十七霊場巡礼』(朱鷺書房)、序文pp.3-4。
- ^ a b 『印と真言の本』、学研、2004年2月、p.118。
- ^ 綜芸舎編集部 『梵字入門』 綜芸舎 1967年 p21
- ^ 正木晃『密教の聖なる呪文』ビイング・ネット・プレス、2019年、p162
- ^ a b 坂内龍雄「真言陀羅尼」、平河出版社、2017年4月第30刷、p.210。
- ^ a b 坂内龍雄「真言陀羅尼」、平河出版社、2017年4月第30刷、p.375。
- ^ 『密教経軌の説く 金剛薩埵の研究』(永田文昌堂)、「3、『降三世儀軌における金剛薩埵』」、pp.271-281。
- ^ 『理趣経の研究』(密教文化研究所)、「別冊」、pp.5-11。
- ^ 「『文観著作聖教の再発見』三尊合行法のテクスト布置とその位相」(名古屋大学文学研究科)、p120。
- ^ 「『密教工芸』神秘のかたち」(奈良国立博物館)、p17-図版10、p62-図版10、p63-図版11。
- ^ 『両頭愛染曼荼羅の成立に関する一考察』(印度學佛教學研究:第六十巻第二号)、pp.615-618。
- ^ 『高野山』(総本山 金剛峯寺)、p21。
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