寺田農
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 18:15 UTC 版)
てらだ みのり 寺田 農 | |||||
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生年月日 | 1942年11月7日 | ||||
没年月日 | 2024年3月14日(81歳没) | ||||
出身地 | 日本・東京府東京市(現:東京都)豊島区椎名町 | ||||
身長 | 173 cm[1] | ||||
血液型 | B型[1] | ||||
職業 |
俳優 声優 | ||||
ジャンル |
舞台 映画 テレビドラマ | ||||
活動期間 | 1961年 - 2024年 | ||||
配偶者 |
高橋紀子(1970年 - 2006年) 一般女性(2011年 - ) | ||||
著名な家族 |
寺田政明(父) 寺田史(妹)[2] 中山仁(義弟〈妹の夫〉) | ||||
事務所 | オスカープロモーション(? - 2020年2月29日)→CESエンタテインメント(2020年3月 - 2024年3月)[1] | ||||
主な作品 | |||||
テレビドラマ 『青春とはなんだ』 『独眼竜政宗』 『あいつがトラブル』 『琉球の風』 『大地の子』 『月下の棋士』 『サラリーマン金太郎』 『武蔵 MUSASHI』 『ドラゴン桜』 『仮面ライダーW』 『水戸黄門』 映画 『肉弾』 『座頭市と用心棒』 『ラブホテル』 『帝都物語』 『ミスミソウ』 『信虎』 アテレコ 『天空の城ラピュタ』 ナレーション『炎立つ』 | |||||
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来歴
生い立ち
1942年11月7日、洋画家の寺田政明の長男として誕生[5]。東京府東京市(現在の東京都[3])豊島区椎名町生まれで、幼少期に板橋区常盤台に転居[4]。このため、媒体によって豊島区出身または板橋区出身[6]、とされる。
本名の「農」(みのり)は、父 政明により、後漢の詩碑にある一文字から名付けられた[4]。5歳のころに板橋区常盤台に引っ越し、遊びの一環として絵を描き始める。父に絵を教わったことはなかったが、小学2年生に描いたカレイの絵が文部大臣賞に選ばれた[4]。しかし小学3年生になるとサッカーを始めたり、カントリー&ウエスタンを聴くようになり、絵の興味は薄れた[4]。
学生時代
中高時代はサッカー部でキャプテンを務めた[4]。東京都立志村高等学校1年生のころにアルフレッド・ヒッチコックの映画『めまい』を観て、主演女優のキム・ノヴァクに憧れた[4]。当時父が新聞小説の挿絵を描いていた関係から、家にはよく新聞記者が出入りし、尾崎士郎などの作家も時々訪れていた。この影響を受け、当時の将来の夢は新聞記者になることだった。
記者を目指して早稲田大学第二政経学部[注 1]の入試面接を受けると、面接官の教授が偶然同大学サッカー部部長だった。その人物から内申書を見ながら「君はサッカー部に入りたくて早稲田を受けたのか?」と聞かれ、とっさに「もちろんです!」と答えた。このやりとりもあって同大学に合格し、面接で言った手前、入学後はサッカー部に入部した。ただし強豪チームだったため、予想以上に練習が厳しかった[注 2]。
1961年19歳の頃、文学座研究生となった事から、2年生の時点で早稲田大学第二政治経済学部中退[6]。
俳優・声優として
1961年、文学座附属演劇研究所に第一期生として入所[3][7]。同期に岸田森、草野大悟、橋爪功、樹木希林(悠木千帆)、小川眞由美、北村総一朗などがいる[8]。当時18歳の寺田と樹木は、第一期生の中で一番年下だった[4]。
1961年の暮れ、研究生時代に『十日の菊』(三島由紀夫 作)文学座での初公演で初舞台を踏む[4]。
1964年に劇団雲の研究生となり[6]、1965年には五所平之助の監督作品『恐山の女』(松竹)で映画デビュー[6]。同年のテレビドラマ『青春とはなんだ』(日本テレビ系)、翌年の『これが青春だ』などの学園ドラマで人気を得て、新進気鋭の俳優として注目を集める[4][6]。1968年、岡本喜八の監督映画『肉弾』の主演に抜擢され、毎日映画コンクール男優主演賞を受賞[4][6]。翌1969年の映画『赤毛』にも起用され、これら岡本作品で存在感を示したことをきっかけに仕事が増えた[4]。その後も岡本監督作品には常連として多数起用された[6]。1970年、劇団雲を退団[6]。
1970年の『無常』を機に監督した実相寺昭雄にも重用されたほか[6]、1981年の相米慎二の監督映画『セーラー服と機関銃』への出演以降、相米から信頼され、相米作品の常連俳優となる[4][6]。1985年の相米作品の『ラブホテル』では2作目となる主役を演じ、ヨコハマ映画祭主演男優賞を受賞した[4][6]。以後も個性派の性格俳優として多くの映画、テレビドラマで活躍[6]。
ナレーターとしても起用が多く[9]、声優としては1986年公開のスタジオジブリ作品である『天空の城ラピュタ』(以下、『ラピュタ』)のムスカ大佐役が有名。
2008年、東海大学文学部特任教授に就任[6]。「現代映画論」「演劇入門」「戯曲・シナリオ論」の各科目を担当する。
晩年 - 死去
2016年、オーチャードホールにおいて行われた先述の『ラピュタ』のフルオーケストラによるコンサートに、ヒロインのシータ役の声優 よこざわけい子と共にゲスト出演した[4][10]。
2021年、映画『信虎』の武田信玄の父である武田信虎役で自身3度目、および36年ぶりとなる主演を務めた[4]。
2024年3月14日、肺がんのために死去した[11][12]。81歳没。
人物
『ラピュタ』のムスカ役
『天空の城ラピュタ』以前は外国映画の吹き替えを何度か経験したが、アニメ作品ではそれが初めてだった[4]。本作品の後半の収録時は絵が未完成だったため、“15秒でこのセリフを言って下さい”などと指示を受け、時計を見ながら声を吹き込んだ[4]。劇中のムスカの台詞は、公開後から頻繁に物真似されるようになった[13][14][15]。
東海大学の特任教授になった際、教え子たちからよく「ムスカやってください」と言われた。しかし、本人は「当時、2日で録ったからほとんど覚えていなかった」とのことで、「そのキャラクターはどんな台詞があるんだい?」と訊き返したという[16]。後述の事情で『ラピュタ』とは長い間にわたって距離を置いていたため、出演した時の演技感覚をすっかり忘れてしまっており、教え子たちからは「似ていない」と言われることが多かったという[16]。また、2016年の『ラピュタ』のコンサートでは約2,000人の前で劇中曲に合わせ、よこざわけい子と名場面の台詞を披露した[10]。それまで『ラピュタ』を一度も見ていなかったため、練習では周りの人と話が噛み合わなかったという[注 3][注 4]
後日、娘が持つ本作品のDVDを借りて初めて鑑賞して[注 5]復習し、「3つくらいなら台詞を言えるようになった」とのこと[17][18]。なお、寺田は『ラピュタ』に出演した際、演技について宮﨑駿と揉めたという。その関係もあり、トラウマとなったことで公開後もまったく『ラピュタ』を観ることは無かったという。このことから寺田は、声優業は専門の教育を受けた役者(いわゆる本業声優)が演じるべきであると論じている。現在は上述の経緯や娘から勧められたこともあってトラウマを克服しているという[16]。
考え方
文学座時代に芥川比呂志から演技をする上で、「とにかく色んな本を読め」と「恋をしろ」ということを教わった。寺田によると、「恋をすれば心がときめく。情熱も嫉妬も恨みつらみも、涙も笑顔も全ての感情は恋に凝縮される」とのこと[4]。
役者としては、“偉大なるアマチュア”を自称している。寺田本人は後年「オレは飽きっぽいし、すぐ目移りする。今(2023年1月現在)に至るまで自分の意志で“かくありたい”と思って生きたことがない。そういう意味では俺はプロじゃない」と語っている[4]。
若いころから「我慢、苦労、忍耐、努力」などの言葉が大嫌いである[4]。
「オレの役者としての色は、監督ごとのイメージで色々変わる」と自己評価しており、過去にNHKの番組で“カメレオン俳優”と紹介されたこともあるとのこと[4]。
本人によると「楽しい夢(役者業)を見てときめいていたい。生きている時は夢を見ている時、死ぬ時は夢が終わる時だと、いつも思っている」とのこと[4]。
私生活
私生活では1970年に高橋紀子と結婚したが、2006年に離婚。その後、2011年、一般女性と再婚[19][20]。
2012年3月12日、再婚前に長く内縁関係にあった別の女性から婚約不履行を理由に慰謝料5,000万円と弁護士費用500万円を求めて東京地方裁判所に提訴された(のちに和解)[20][21][22]。
注釈
- ^ 10代のころ、父と酒を飲んだ尾崎から「新聞記者になるなら早稲田に行け!」と言われ、本人は言葉の意味がよく分からないまま同大学の受験を決めたという[4]。
- ^ 寺田本人は後年、「義理でも貢献しなければと思ったけど、球拾いを3日間やると義理は果たした気になった」とのこと[4]。3日間で退部したかどうかは出典からは不明。
- ^ その際指揮者兼演出家から「(本作品を見た)皆は分かってることなので大丈夫です。分かっていないのは寺田さんだけですから」と言われてしまったという[4]。
- ^ 一方よこざわはコンサートについて、「主催者の方を通じてオーチャードホール側から『最高の舞台だった』と絶賛されたそうです。30年前の『ラピュタ』の収録では寺田さんと別録りも多かったのですが、今回のコンサートでは台詞の掛け合いをさせていただき、寺田さんの素晴らしさを改めて感じました!それに、とても素敵でダンディで、でも少しやんちゃな方で、お会いできて嬉しかったです!」と、ブログで綴っている[10]。
- ^ 本人は、「収録時には分からなかったけれど、意外に上手くキャラと声がハマっていた。でもそれは宮崎駿監督の力であって、僕はラピュタに何の思い入れもないです」と語っている[4]。
- ^ 本人によると、「AmとDmとFの3コードのみで弾ける曲だった」とのこと[4]。
- ^ この時の「第一独白」の文章は、文学座の演出家でもある福田恆存の翻訳で、旧仮名遣いで漢字も旧字体でふりがなもないというもので、演劇や文学好きでない者が初見で読むには難しかったという。
- ^ 本人によると、「サッカー部だったからいくらでもデカい声は出せた。入所後に聞いた話では、合格者を決める際芥川さんに『これからの時代、ああいう変なヤツが1人ぐらいいても面白い』と僕を推してもらえたことで合格できた」とのこと[4]。
- ^ 寺田によると、当時「インポッシブル・ドリーム」というサッカーチームを作ったころで、エースストライカーとして椎名を迎えたつもりだったため、付き人という感覚はなかったという[4]。
- ^ 椎名は後年のインタビューで、「当時演技は全くできず役を頼んで下さった寺田さんに申し訳なかったです。でも、『インポッシブル・ドリーム』ではそれなりに活躍できたと思ってます(笑)」と述懐している[4]。
- ^ 親友であることに加え、過去に志ん朝を芝居の世界に引っ張り込んだのが三木だったことから。
- ^ 戦時中の話なため、軍服姿を着た状態で痩せ具合を確かめられたという。
出典
- ^ a b c d e "寺田農". CES. 2023年10月19日閲覧。
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- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as 『週刊女性』2023年1月31日号.
- ^ 「連載 あの日あの時、そして今(10) 父・寺田政明(前編)」『月刊美術』2002年7月号、実業之日本社、78-80頁。
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- ^ インタビュアー:用田邦憲「敵役の矜持 “恐怖”という名の父 寺田農インタビュー」『週刊ビッグコミックスピリッツ』2021年4月12日号(2021年17号)、小学館、2021年3月29日、38-39頁、JAN 4910277620411、雑誌コード:27762-04/12。インタビュー全体は、pp. 10, 37–40。
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- ^ 『ロマンアルバム 銀河英雄伝説』徳間書店、1992年、116頁。雑誌61578-11。
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