大和時代 飛鳥時代

大和時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 07:58 UTC 版)

飛鳥時代

聖徳太子

法隆寺金堂(西院伽藍)

第三十三代天皇の炊屋姫天皇(推古天皇)は593年に橘豊日天皇の皇子である厩戸皇子(聖徳太子)皇太子に立てて摂政とした。聖徳太子は603年冠位十二階604年十七条憲法を制定し仏教の興隆に力を注いで天皇中心の国家体制作りを行った。(飛鳥文化607年には小野妹子らを大唐国()に遣わして皇帝に上表文(国書)を送った。620年には蘇我馬子と「天皇記・国記、臣連伴造国造百八十部併公民等本記」を記した。天皇は628年に崩御した。

第三十四代天皇として即位したのは他田天皇の孫の田村皇子だった(舒明天皇)。このとき厩戸皇子の子の山背大兄王と皇位争いが起きかけた。同じころに蘇我氏も馬子の子の蝦夷、孫の入鹿に代替わりした。初の遣唐使が送られたのはこの頃である。しかし唐からの遣いである高表仁は大変無礼で天皇への謁見が適わなかったと言われる。天皇は643年に崩御した。

大化の改新

第三十五代天皇として即位したのは皇后の宝皇女だった(皇極天皇)。この頃に蘇我入鹿が聖徳太子の子の山背大兄王一族(上宮王家)を滅ぼすなどの事件が起き、蘇我氏の専横が目立つようになった。これに不満を持った中大兄皇子(葛城皇子、後の天智天皇)・中臣鎌子藤原鎌足)らが宮中(飛鳥板蓋宮)で蘇我入鹿を暗殺し蘇我蝦夷を自殺に追いやった。645年乙巳の変である。こうして蘇我氏に権力が集中する半世紀続いた体制は崩れたが同時に天皇もまた退位を余儀なくされた。

第三十六代天皇として新たに即位した先帝の弟の軽皇子(孝徳天皇)は646年改新の詔を出して難波宮で次々と改革を進めていった(大化の改新)。大臣が左大臣・右大臣・内大臣の3人に増員されたのもこの時期である。しかし中大兄皇子と不和になった天皇は孤立し、臣下がいなくなった難波宮654年に寂しく亡くなった。

第三十七代天皇となったのは重祚した宝皇女だった(斉明天皇)。多くの土木工事を行った天皇だったが大鷦鷯天皇の頃とは違って民衆の負担にしかならず悪評を残すことになった。中大兄皇子の主導で百済復興に助力するため朝鮮半島へ出兵する途中で天皇は崩御、残された中大兄皇子は白村江の戦い新羅連合軍に大敗した。このことで各地に城が築かれ都城も防衛しやすい近江大津宮に移された。

壬申の乱

飛鳥宮跡 石敷井戸
(飛鳥浄御原宮期の復元遺構)

第三十八代天皇として668年に即位した中大兄皇子(天智天皇)は全国的な戸籍(庚午年籍)を作って人民を把握する国内政策を推進した。天皇が崩御すると子の大友皇子が跡を継いだが、すぐに先帝の弟の大海人皇子(天武天皇)が反乱を起こした。672年壬申の乱である。敗北して自害した大友皇子に即位の事実は確認されないが現在は第三十九代弘文天皇と見なされている。

第四十代天皇に即位した大海人皇子(天武天皇)は都を宮を飛鳥浄御原宮に移して中央集権的な国家体制の整備に努めた。(皇親政治)反乱よって即位を簒奪した天武天皇の政権は不安定であった。その権力地盤を固め、自らの支配の歴史的正当性を広めるために、舎人親王を責任者として、「日本書紀」に編纂が行われ、681年には律令の編纂を開始した。天皇の称号が実際に用いられ始めたのもこの時代だと言われている。さらに藤原京に遷都計画を立て、新たな君主、天皇の支配体制を確立させようとした。しかし強権的な政治を行った天皇も寿命には勝てず制度の確立、藤原京の完成を待たずして686年に崩御した。

第四十一代天皇に即位したのは皇后の鸕野讚良皇女である(持統天皇)。先帝の事業を引き継いだ女帝は689年飛鳥浄御原令を制定、690年には庚寅年籍が造られ、692年には公地公民制を基礎とした班田収授法を実施。694年には日本初の本格的都城となる藤原京に都を遷した。697年に孫の珂瑠皇子(文武天皇)に譲位した。

藤原不比等701年に大宝律令を編纂。その後政治的影響力を高めていく不比等と、その息子達の藤原四兄弟によって、天皇を頂点とした貴族・官僚による中央集権支配体制を完成させた。(律令国家)しかし、文武天皇は短命で707年に崩御した。

第四十三代天皇となったのは先帝の母の阿閇皇女だった(元明天皇)。その後、藤原不比等が文武天皇の子、聖武天皇のために新しい都を作る遷都計画が立ち上げ、元明天皇はそれに反対するが、藤原不比等主導で遷都行われる[6]。そして710年平城京遷都が実施されて大和時代は終わった。

その後、平城京を都とする奈良時代となる。


  1. ^ 広瀬和雄『前方後円墳国家』角川書店<角川選書>、2003年7月。ISBN 4-04-703355-3
  2. ^ 白石太一郎『古墳とヤマト政権』文藝春秋<文春新書>、1999年4月。ISBN 4-166-60036-2
  3. ^ 直木孝次郎 『日本神話と古代国家』 講談社〈講談社学術文庫〉、1990年6月。ISBN 4-06-158928-8
  4. ^ 山尾幸久「日本国家の形成」岩波新書、1977年
  5. ^ 『詳説 日本史図録 第5版』山川出版社、2011年、p. 29。
  6. ^ 平城京遷都 巨大な乱費と実行力の時代 https://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/service/newsletter/i_02_70_1.html






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