働く女性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/13 09:30 UTC 版)
年表
- 1790年-1800年代
- 産業革命下のイギリスで紡績業、次いで綿布業が工場化され、それまで家内制手工業に従事していた女性は工場労働者になっていった。女性は収入が増し、その社会的地位も従来よりは高くなった[3]。
- ヨーロッパの上位中産階級では幼少期の教育のためガヴァネスと呼ばれる女性の家庭教師を雇用することが多く、未婚の女性にも求人があった。中上流階級であればレディズ・コンパニオン、私立女学校経営、文筆業など分野は限られるが、能力を活かして自立できる職が誕生した。
- 1802年 - 1833年 - イギリスでロバート・オウエンなどの運動により紡績工場法が成立し児童労働が規制された。
- 1844年 - イギリスで工場法改正。女子労働に児童と同様の労働時間規制をしいた。12時間労働。
- 1847年
- 1878年 - Boston Telephone Dispatch companyがエマ・ナットを交換手として採用。これ以降は電話会社は交換手に女性を採用するようになる。
- 1900年代
- 1918年 - 第一次世界大戦。参戦国は総力戦を経験し、労働力の不足により銃後で女性の社会進出が進んだ。戦争が終結すると、多くの女性は家庭に戻ったが、女性の価値観や社会の様相は大きな変化を受けた。以前よりも活動的になった女性のファッションはシンプルで機能的なものへと変化していった[6]。
- 1919年、ILO(国際労働機関)設立。働く女性の母性保護で成果をあげた[7]。8時間労働。
- 1920年代 - 社会進出が進み、仕事、娯楽などで外出する機会の増えた一般の女性に化粧の習慣が普及した[8]。フラッパー、モダンガールなどと呼ばれる、新しい価値観を体現した女性が出現した[9]。
- 1939年 - 1945年、第二次世界大戦。参戦国では徴兵による労働力不足を補うため女性も軍需工場などに動員され、アメリカではロージー・ザ・リベッターと呼ばれた。また航空機をフェリーするパイロットや輸送部隊の運転手など後方の任務にも進出した。ソ連では戦闘機のパイロットとしても動員され、エース・パイロットも誕生している。また主に男性の職業だった計算手は女性の職業となるなど、事務作業全般に女性が進出した。
- 1960年代
- 1980年代
第二次世界大戦の間、工場で労働する女性で女工(じょこう)と呼ばれた(1942年)
女性の交換手達(1900年)
ヴェロニカ・フォスター(1941年5月10日)
- ^ 井上輝子、共著者(言語) 『女性学への招待-変わる 変わらない女の一生』(新版)有斐閣、出版者所在地〈有斐閣選書〉、1997年9月。ISBN 978-4641182837。
- ^ 『女性のパートタイム労働~日本とヨーロッパの現状~』
- ^ T.S.アシュトン 著、中川敬一郎 訳「第4章 資本と労働」 『産業革命』岩波書店〈岩波文庫〉、1993年7月16日 (原著1948年)、132-134頁。ISBN 4-00-341441-1。
- ^ 「タイプライタ」 『ブリタニカ国際大百科事典』 12巻(改訂第2版)、ティビーエス・ブリタニカ、1994年。
- ^ 山田尚勇 (2000年1月). “タイプライタと社会”. 日本語をどう書くか -入力法および表記法のヒューマン・インターフェース学入門-. 2009年12月6日閲覧。
- ^ 成実准 (2008年3月8日). “ファッションの社会学:1(成実准教授)”. 朝日新聞社. 2000年8月22日閲覧。
- ^ “国際労働機関(ILO)とは”. ILO駐日事務所 (2008年6月3日). 2009年11月9日閲覧。
- ^ 海野弘 『アール・デコの時代』中央公論新社〈中公文庫〉、2005年、101頁。ISBN 4-12-204521-5。"大戦後の1920年代には、化粧は一般化して、いつでも、だれでもするものとなってしまった。これは女性が外に出て、働いたり、スポーツをしたりするようになったことに原因がある。"。
- ^ a b 荒木詳二「1920年代の「新しい女たち」について : 「モダンガール」の日独比較」『群馬大学社会情報学部研究論集』第14巻、群馬大学社会情報学部、2007年、245-265頁、ISSN 1346-8812“モダンガールたちは新しい職業である事務員やタイピストや電話交換手やバスガイドや売り子やファッションデザイナーや女優などの、より独立したより自由な職業婦人たちであった。”
- ^ 主役は「トランジスタ・ガール」 - 日本半導体歴史館
- ^ Meritor Savings Bank v. Vinson (en) , 477 U.S. 57 (1986)
- ^ a b 井上輝子、江原由美子、加納実紀代、上野千鶴子、大沢真理 編「女性労働力率」 『岩波 女性学事典』岩波書店、2002年6月。ISBN 978-4000802031。
- ^ 厚生労働省雇用環境・均等局 (2020-06) (PDF). 令和元版働く女性の実情 付属統計 付表98~113表 (Report). pp. 191 2020年6月27日閲覧。.
- ^ OECD Labour Force Statistics 2020, OECD, (2020), doi:10.1787/23083387
- ^ 当時、工場で働く女性を女工(じょこう)と呼んでいた。
- ^ 曲沼美恵 (2010年8月5日). “会えると嬉しい“天然記念物”!? エレベーターガールは本当にムダなお仕事なのか”. 週刊ダイヤモンド (ダイヤモンド社) 2017年2月9日閲覧。
- ^ 女性労働者の結婚退職にも適用決まる『東京朝日新聞』昭和11年9月8日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p343 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ a b c 厚生労働省雇用環境・均等局 (2020-06) (PDF). 令和元版働く女性の実情 付属統計 付表1~53表 (Report). pp. 87,90,136 2020年6月27日閲覧。.
- ^ 櫻谷勝美 (2006年). “第3章 労働力” (PDF). 日本経済史. 三重大学 櫻谷勝美のホームページ. 2009年11月14日閲覧。 “製糸業の女工比率は91.9%(1901年 長野県205製糸工場), 紡績業の女工比率は78.1%(1901年 関西16紡績工場)、以後女工比率はさらに増加”
- ^ 『続・あゝ野麦峠』 [要文献特定詳細情報]
- ^ 東條由紀彦「女工」 『日本歴史大事典』(CASIO 電子辞書「EX-word」XD-GF10000 収録)小学館、2009年 (原著2000年)。ISBN 978-4095230016。
- ^ 前掲事典、千本暁子「職業婦人」
- ^ 大沢真知子 (1988-04). “男女間賃金格差の要因とその変遷 : 女性の社会進出がなぜ賃金格差を縮小しないのか” (日本語). 三田商学研究 (慶應義塾大学) 31 (1): 93-112. ISSN 0544571X. NAID 110004059489 .
- ^ ランデス・ハル (1994-12). “女性の社会進出” (日本語). 青山学院女子短期大学総合文化研究所年報 (青山学院女子短期大学) (2): 64-72. ISSN 09195939 .
- ^ a b 総務省統計局 (2020年1月31日). “労働力調査 長期時系列データ 表10(2):【年平均結果―全国】年齢階級(5歳階級)別就業者数及び年齢階級(5歳階級),雇用形態別雇用者数(正規の職員・従業員,非正規の職員・従業員)” (Excel). 2020年4月26日閲覧。
- ^ 相澤真一「日本人の「なりたかった職業」の形成要因とその行方-JGSS-2006データの分析から-」(PDF)『日本版総合的社会調査共同研究拠点研究論文集』[7]JGSSで見た日本人の意識と行動、大阪商業大学比較地域研究所、2008年3月、85-86頁。
- ^ “第一生命 夏休みこどもミニ作文コンクールアンケート 「大人になったらなりたいもの」”. 第一生命保険. 2020年4月19日閲覧。
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