ピアノ ペダルピアノ

ピアノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 23:28 UTC 版)

ペダルピアノ

またオルガンと同様に足鍵盤を備えた楽器、ペダルピアノも存在する。シューマンシャルル=ヴァランタン・アルカンらにペダルピアノのための作品がいくつかある。ロベルト・プロッセダが現代テクノロジーを用いて復刻された楽器を用いている[18][19]ほか、メーカーが市販した[20]例がある。

調律

各弦の張力を調整する調律は、今日のほとんどのピアノが十二平均律で調律される。他の弦楽器に比べて張力が大きく、またピンの保持力も高いため音程の精度はかなり高く誤差は1セント(十二平均律の半音の100分の1)単位まで求められる。例外的に平均律以外に調律されることもあり例えば、テリー・ライリーには、通常のピアノの調律である平均律ではなく、純正律に調律されたピアノを用いる作品がある(「in C」など)。また、ジェラール・グリゼーの後期作品「時の渦」は、ピアノの特定の数音を四分音下げて調律することが要求される。調律の狂ったような音に聴こえるが、これは合成された倍音に基づく調律である。特に激しい跳躍のある第1部のカデンツァにおいて効果的に響く。いずれの場合もコンサートに用いる際はピアノ調律師の特殊な技能が要求され、また日本のコンサートホールではこのような特殊調律を断られる場合があるので、それでもあえて演奏する場合にはピアノのレンタルが必要になる。

奏法

19世紀にはヴィルトゥオーゾピアニストらにより、リストの半音階3本の手などの技巧が開発された。

クラスター奏法

クラスター奏法とは、ヘンリー・カウエルらによって提唱されたもので、鍵盤を手・腕・ひじを使って打楽器のように演奏する。トーン・クラスターも参照のこと。

内部奏法

内部奏法とは、ピアノを鍵盤によってではなく、内部の弦をギタープレクトラム(ピック)などで直接はじいたり、弦の縁や真ん中を指で押さえながら対応する鍵盤を弾いたり、松脂を塗ったガラス繊維あるいは弦楽器の弓の毛を、ピアノ内部の特定の弦に通して擦弦したりすることにより、本来のピアノにはない音色を得るための奏法。ピアノの作音楽器に劣後する特性を何とか克服しようとするものである。

現代音楽では当たり前のように多用されるが、日本の多くのコンサートホールは新しい楽器1台しか用意してないことが多く、楽器が傷むという理由からこの内部奏法を非常に嫌悪し禁止している。それに対して外国とくにヨーロッパでは古い楽器や破壊用の楽器も万遍無く用意してあることが多いのでこのような規制はほとんど見受けられない。とはいえ、楽器に傷をつけやすい金属製器具での演奏は控えたり、指の汗が弦につくことを考慮し演奏後にはサビ防止のためにきちんと布でふき取るなどの配慮は必要である。

連弾

連弾するヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと姉マリア・アンナ。ヴァイオリンを持つのは父レオポルト・モーツァルト、肖像画は母アンナ・マリア。ヨハン・ネポムク・ デラ・クローチェ、1780年頃。

ピアノは1人だけでなく、2人以上が一台の楽器を同時に演奏することも可能である。これを連弾という。

19世紀のヨーロッパでは、サロンの愛好家やアマチュアの子女のたしなみとして連弾のための音楽がもてはやされた。ヨハネス・ブラームスはこのような状況を受けて『ハンガリー舞曲』を書いた。さらに後輩であるアントニン・ドヴォルザークに『スラブ舞曲』を書くことを勧めた。どちらも連弾のレパートリーとして欠かせない楽曲であり、またオーケストラ編曲としても親しまれている。

カミーユ・サン=サーンスの「交響曲第3番『オルガン付き』」では、第4楽章においてオーケストラ内のピアノが連弾で用いられる(しかし主役はオルガンであり、そちらの方がずっと目立つ)。また一般的な2人で演奏して高音部と低音部を弾き分ける4手連弾のほかに、3人で演奏する6手連弾もラフマニノフなどの楽曲に作例が見られる。

2台ピアノ

ピアノを2台並べて演奏する方法。連弾よりも音量において勝り、また奏者が2人とも音域に制限されずに演奏できる利点がある。その反面、音が混ざり易く、雑多に聞こえ易いという短所もある。2台のピアノは1台ずつそれぞれに調律するのだが、インハーモニシティはそれぞれのピアノに固有のものなので、調律は他のピアノとは完全には一致しない。そのため、微妙なずれによって賑やかな音になる。

多くの場合は2台のピアノを向かい合わせに置くため、双方のピアノは反響板が互いに反対方向に開いてしまう。このため大抵の場合は、聴衆とは逆に開くピアノ側の反響板を取り外して演奏する。

2台ピアノのために書かれたオリジナル曲のほか、オーケストラ曲やピアノ協奏曲を試演する際にも用いられる。この試演とは、主に19世紀において限られた音楽関係者の聴衆を前にオーケストラ曲の新作を披露する際、または現在においても音楽学校などでピアノ科の生徒が協奏曲を試験などに際して弾く際に用いられる演奏手段である。2台目のピアノを連弾にし、合計3人の奏者が演奏する場合もある。

ダリウス・ミヨースティーヴ・ライヒの作品には、それぞれ6台のピアノを同時演奏するものがある。

また1993年から毎年開催されているヴェルビエ音楽祭で、2003年の10周年記念として行われたガラコンサートでは、著名なピアニスト8名(エフゲニー・キーシンラン・ランなど)が、スタインウェイのピアノ8台を「八」の字に並べ同時演奏した。

歴史

ワルター社、1805年頃製のレプリカ、ポール・マクナルティー製作

初期

弦を叩くことで発音する鍵盤楽器を作ろうという試みは早くより存在しており[21]、中でも鍵盤付きのダルシマー系の楽器をピアノの先祖とみる向きもあるが[22]、一般的には、現在のピアノはトスカーナ大公子フェルディナンド・デ・メディチの楽器管理人であったイタリアパドヴァ出身のバルトロメオ・クリストフォリが発明したとみなされている。クリストフォリがいつ最初にピアノを製作したのかは明らかでないが、メディチ家の目録から、1700年にはピアノがすでに存在していたことが知られる。現存する3台のクリストフォリ製作のピアノは、いずれも1720年代に製作されたものである。

多くの発明がそうであるように、ピアノもそれまでにあった技術の上に成立している。ピアノに先行する弦を張った鍵盤楽器としてはクラヴィコードチェンバロが特に普及していた。クラヴィコードは弦をタンジェントと呼ばれる金属片で突き上げるもので、鍵盤で音の強弱のニュアンスを細かくコントロールできる当時唯一の鍵盤楽器であったが、音量が得られず、狭い室内での演奏を除き、ある程度以上の広さの空間で演奏するには耐えなかった。一方のチェンバロは弦を羽軸製のプレクトラムで弾くものであり、十分な音量が得られたものの、ストップ(レジスター)の切り替えで何段階かの強弱を出せる他は自由に強弱をつけて演奏することは困難であった[注 3]。これらの鍵盤楽器は数世紀にわたる歴史を通じて、ケース、響板、ブリッジ、鍵盤のもっとも効果的な設計が追求されていた。クリストフォリ自身、すぐれたチェンバロ製作家であったため、この技術体系に熟練していた。

クリストフォリの重要な功績は、ハンマーが弦を叩くが、その後弦と接触し続けない、というピアノの基本機構を独自に開発した点にある。クラヴィコードでは鍵を押している限りタンジェントが弦に触り続けるが、ハンマーが弦に触れ続ければ響きを止めてしまう。更に、ハンマーは激しく弾むことなく元の位置に戻らなければならず、同音の連打にも堪えなければならない。クリストフォリのピアノアクションは、後代のさまざまな方式のアクションの原型となった。クリストフォリのピアノは細い弦を用いており、モダンピアノより音量はずっと小さいが、クラヴィコードと比較するとその音量は相当に大きく、響きの持続性も高かった。

クリストフォリの新しい楽器は、1711年イタリアの文筆家フランチェスコ・シピオーネイタリア語版英語版(シピオーネ・マッフェイ)がピアノを称賛する記事をヴェネツィアの新聞に掲載するまでは、あまり広く知られていなかった。この記事には構造の図解も掲載されており、広く流通して、次世代のピアノ製作家たちにピアノ製作のきっかけを与えることとなった。オルガン製作家としてよく知られるゴットフリート・ジルバーマンもその一人である。ジルバーマンのピアノは、1点の追加を除いては、ほぼクリストフォリ・ピアノの直接のコピーであった。ジルバーマンが開発したのは、全ての弦のダンパーを一度に取り外す、現代のダンパー・ペダルの原型であった。

ジルバーマンは彼の初期製作楽器の1台を1730年代にヨハン・ゼバスティアン・バッハに見せているが、バッハはダイナミックレンジを充分に得るためには高音部が弱すぎると指摘した。その後、ジルバーマンの楽器は改良を加え、1747年5月7日フリードリヒ大王の宮廷を訪ねた際にジルバーマンの新しい楽器に触れた際にはバッハもこれを評価し、ジルバーマン・ピアノの売り込みにも協力したという[23]

イギリスでは1760年代にはいってピアノの製造が盛んになった。ジルバーマンの徒弟だったヨハネス・ツンペ英語版ロンドンに移り、1760年ごろにクリストフォリの楽器をもとに改良を加えた楽器を製造してイギリス・アクションの基礎を築いた[24]:12-14。ツンペの楽器は当時ドイツで好まれていたスクウェア・ピアノだった[24]:13。1762年に渡英したヨハン・クリスティアン・バッハは1766年の『ピアノフォルテまたはハープシコードのための6つのソナタ』作品5において、ハープシコードと併記する形ではあるがはじめて曲名に「ピアノフォルテ」を使用している[25]

フランスのセバスチャン・エラールが1777年に制作したピアノもツンペの楽器をもとにしたイギリス・アクションの楽器だった。エラールはフランス革命のはじめにロンドンにわたり、帰国した後もパリとロンドンの両方で楽器を製造した。エラールはイギリスの楽器をもとにしながら多くの改良を加えていった[24]:22-24

同時期のドイツではアウクスブルクヨハン・アンドレアス・シュタイン、その娘でウィーンのナネッテ・シュトライヒャーヨハン・アンドレアス・シュトライヒャー、同じくウィーンのアントン・ワルターなどが活躍した。ウィーン式のピアノは、木のフレームに1音2弦の弦を張り、革で覆ったハンマーをもつ。また現代のピアノとは黒鍵と白鍵の色が逆のものもある[26]

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトはシュタインやワルターの楽器を使用してそのピアノ協奏曲ピアノソナタを作曲した。これらのウィーンのピアノは、イギリス式のピアノや、現代の一般的なピアノよりも軽快な響きを持ち、減衰が早かった。20世紀後半より当時の楽器の復元がなされ、19世紀初頭以前の初期ピアノはフォルテピアノとしてモダンピアノと区別することも多い。

モダンピアノへ

スクエア・ピアノ、19世紀末。
デュープレックス・スケール。全長182cm のグランドピアノの高音部の弦。左下から順にダンパー、弦の共鳴長、トレブル・ブリッジ、デュープレックスの弦長、デュープレックス・ブリッジ(弦に対して直角の長いバー)、ヒッチピン

1790年から1860年頃にかけての時期に、ピアノはモーツァルトの時代の楽器から、いわゆるモダンピアノに至る劇的な変化を遂げる。この革新は、作曲家や演奏家からのより力強く、持続性の高い響きの尽きぬ要求への反応であり、また、高品質の弦を用いることができ、正確な鋳造技術により鉄製フレームを作ることができるようになるといった、同時代の産業革命によって可能となったことであった。時代を追って、ピアノの音域も拡大し、モーツァルトの時代には5オクターヴであったものが、モダンピアノでは7⅓オクターヴか時にはそれ以上の音域を持っている。

初期の技術革新の多くは、イギリスのブロードウッド社の工房でなされた。ブロードウッド社は、華やかで力強い響きのチェンバロですでに有名であったが、開発を重ねて次第に大型で、音量が大きく、より頑丈な楽器を製作し、初めて5オクターヴを越える音域のピアノを製作した。1790年代には5オクターヴと5度、1810年には6オクターヴの楽器を作っている。フランツ・ヨーゼフ・ハイドンルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンにも楽器を送っており、ベートーヴェンはその後期の作品で、拡大した音域を利用して作曲している。ウィーンスクールの製作家たちもこの音域拡大の流れを追ったが、イギリスとウィーンではアクションの構造が違っていた。ブロードウッドのものはより頑丈で、ウィーンのものはより打鍵への反応がよかった。

1820年代になると、開発の中心はパリに移り、当地のエラール社の楽器はフレデリック・ショパンフランツ・リストの愛用するところとなった。1821年セバスチャン・エラールは、ダブル・エスケープメント・アクションを開発し、鍵が上がり切っていないところから連打できるようになる。この発明によって、素早いパッセージの演奏が容易となった。ダブル・エスケープメント・アクションの機構が公に明らかになると、アンリ・エルツの改良を経て、グランドピアノの標準的なアクションとなり、今日生産されているグランドピアノは基本的にこのアクションを採用している。

日本フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトによって初めてピアノがもたらされたのもこの時期である。山口県萩市の熊谷美術館には1823年にシーボルトより贈られた日本最古のピアノ(スクエア・ピアノ)が現存する。

モダンピアノの響きを作り出した大きな技術革新の一つに、頑丈な鉄製フレームの導入があげられる。鉄製フレームは「プレート」とも呼ばれ、響板の上に設置し、弦の張力を支える。フレームが次第に一体化した構造を獲得するのにあわせて、より太く、張力が高い弦を張ることが可能になり、また張る弦の本数を増やすことも可能となった。現代のモダンピアノでは弦の張力の総計は20トンにも上りうる。単一部品の鋳物フレームは、1825年ボストンにてオルフェウス・バブコックによって特許が取得されている。これは、金属製ヒッチピン・プレート(1821年、ブロードウッド社がサミュエル・ハーヴェに代わって特許請求)と、耐張用支柱(1820年、ソムとアレンによって請求、ただしブロードウッドとエラールも請求)を組み合わせたものであった。バブコックは後にチッカリング・アンド・マッカイ社で働き、チッカリング社は1843年にグランドピアノ用のフル・アイロン・フレームを初めて特許取得した。ヨーロッパの工房はその後も組合わせフレームを好むことが多く、アメリカ式の単一フレームが標準となるのは20世紀初頭である。

その他の代表的発明として、革の代わりにフェルトをハンマー・ヘッドに用いることがあげられる。フェルト・ハンマーは、1826年ジャン=アンリ・パップによって初めて導入された。素材がより均質である上に、ハンマーが重くなり、弦の張力が増すとともに、より大きなダイナミックレンジを得ることを可能とした。音色の幅を広げるソステヌート・ペダルは、1844年にジャン・ルイ・ボワスローによって発明され、1874年スタインウェイ社によって改良された。

この時代の重要な技術的発明としてはほかに、弦の張り方もあげられる。低音部を除いて、1音2弦ではなく3弦が張られ、「オーバー・ストリンギング」や「クロス・ストリンギング」と呼ばれる、2つの高さのブリッジを用い、張る向きの変えて弦の並びを重ねる張り方が導入された。このことにより、ケースを長くすることなく、より大きな弦を張ることが可能になった。オーバー・ストリンギングは1820年代にジャン=アンリ・パップによって発明され、アメリカ合衆国におけるグランドピアノでの使用の特許は1859年ヘンリー・スタインウェイによって取得された。

テオドール・スタインウェイが1872年に特許を取得した、デュープレックス ・スケール(もしくはアリコット・スケール)は、張られた弦の共鳴長に続く部分を、共鳴長とオクターヴの関係に調律することで、弦の各部分の振動を制御する技術である。類似のシステム(アリコート張弦)は、同じく1872年ブリュートナー社で開発されたほか、コラード社は、よりはっきりとした振動を使って響きを調える技術を1821年に開発している。

初期のピアノの中には、一般に見慣れない外形や設計を用いているものもある。スクエア・ピアノは地面と水平に弦を張ったケースが長方形の楽器で、ハンマーの上に対角線状に弦を張り、ケースの長辺側に鍵盤が設置されている。スクエア・ピアノの設計の原型はさまざまにジルバーマンおよびクリスチャン・エルンスト・フレデリチに帰されており、ギュイヨーム=レブレヒト・ペツォルトとオルフェウス・バブコックによって改良された。18世紀後半にはツンペによりイギリスで人気を博し、1890年代には、アメリカ合衆国にてスタインウェイの鋳物フレーム、オーバー・ストリンギング・スクエア・ピアノが大量生産され、人気を博した。スタインウェイのスクエアは、木製フレームのツンペの楽器に較べて2.5倍以上大きかった。スクエア・ピアノは、製作コストが低く、安価なために大人気であったが、簡単な構造のアクションと、弦の間隔が狭いために、演奏のしやすさや響きの点からは難があった。

アップライト・ピアノは弦を垂直方向に張った楽器で、響板とブリッジを鍵盤に対して垂直に設置する。開発初期のアップライト・ピアノでは、響板や弦は鍵盤よりも上に設置し、弦が床に届かないようにしている。この原理を応用し、鍵盤の上方に斜めに弦を張るジラフ・ピアノ(キリン・ピアノ)やピラミッド・ピアノ、リラ・ピアノは、造形的に目を引くケースを用いていた。

非常に背の高いキャビネット・ピアノは、サウスウェルによって1806年に開発され、1840年代まで生産されていた。鍵盤の後にブリッジと連続的なフレームが設置され、弦はその上に垂直に張られ、床近くまで延び、巨大な「スティッカー・アクション」を用いていた。同じく垂直に弦を張る、背の低いコテージ・アップライト(ピアニーノとも)は、ロバート・ワーナムが1815年頃に開発したとされ、20世紀に入っても生産されていた。このタイプの楽器は、すぐれたダンパー機構を持ち、俗に「鳥カゴピアノ」と呼ばれていた。斜めに弦を張るアップライト・ピアノは、ローラー・エ・ブランシェ社によって1820年代後半にフランスで人気を得た。小型のスピネット・アップライトは1930年代半ばより製作されている。このタイプの楽器では、ハンマーの位置が低いために、「ドロップ・アクション」を用いて必要な鍵盤の高さを確保している。

日本では、1900年に日本楽器製造株式会社(後のヤマハ)が製作した「カメンモデル」の第一号が初の国産ピアノとされる[27]。ヤマハは1909年のアラスカ・ユーコン太平洋博覧会英語版に蒔絵技法を使った漆塗のアップライトピアノを出品し、名誉大賞金牌を受賞した[28]。20世紀半ばまで日本のピアノには塗装にが用いられた[29]。当時世界的には木目のピアノが主流だった(ジャパニングも行われていた[30])が、木目のピアノはデザインの都合上木目を合わせる必要があり、木材の選定に限界があった。ピアノを漆黒の一色で塗装することは、木材の選定に限界がなくなり最良の木材を利用することが出来るばかりか、製造における労力が減るため、大音量の楽器を大量生産することが可能になる[31][32]昭和40年代以降には、耐久性に優れる不飽和ポリエステル樹脂とアニリンブラックを用いた鏡面仕上げ塗装が行われるようになった[33][34][35]

1965年には、日本の住宅事情に合わせて、アップライトピアノにおける音量を大幅に低下させるマフラーペダルがヤマハにより開発された。

その後は細かい部分の改良を除いては大幅な変更もなくなり、 モダンピアノの標準型が形成されることとなった。[要出典]


注釈

  1. ^ 保育士試験、小学校教員採用試験などでも必要とされている。
  2. ^ 一部にはアクリル製のものもある。
  3. ^ 18世紀後半のチェンバロには、響板上に設置された鎧戸を開閉することにより、連続的な強弱変化を得られるものもある。

出典

  1. ^ Duden Das Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverlag. (2005). p. 466. ISBN 978-3-411-04066-7 
  2. ^ 三省堂『クラウン仏和辞典』1134頁。
  3. ^ "ピアノ". 精選版 日本国語大辞典. コトバンクより2024年6月2日閲覧
  4. ^ 外来語用例集」『国語シリーズ 27: 外来語の表記 資料集』文部省、1955年https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/series/27/pdf/kokugo_series_027_02.pdf#page=12 
  5. ^ 伊福部昭 2008, p. 227.
  6. ^ ピアノの成り立ち: ピアノ誕生ストーリー”. 楽器解体全書. ヤマハ. 2020年11月20日閲覧。
  7. ^ 大木裕子「欧米のピアノメーカーの歴史 : ピアノの技術革新を中心に」『京都マネジメント・レビュー』第17号、京都産業大学マネジメント研究会、2010年、1-25頁、hdl:10965/224 
  8. ^ General Abbreviations”. Oxford Music Online. Oxford University Press. 2023年12月6日閲覧。
  9. ^ Abbreviations for Instruments”. International Music Score Library Project (2022年11月21日). 2023年12月6日閲覧。
  10. ^ ABBREVIATIONS FOR INSTRUMENTS IN MARKING MUSIC LIBRARY SCORES (rev12/2011lah)”. UCLA Library Cataloging & Metadata Center. 2023年12月6日閲覧。
  11. ^ 『初等科國語 七』 十六 月光の曲。原文あり。
  12. ^ ピアノのマメ知識: ピアノの鍵盤数が88鍵から増えないわけは?”. 楽器解体全書. ヤマハ. 2020年1月1日閲覧。
  13. ^ Neue Dimension im Klavierbau - Das Klavins-Piano Modell 370 -、Klavins Pianos
  14. ^ 斎藤信哉 2007.
  15. ^ Welcome to Harmonic Piano Pedal! 2018年8月11日閲覧
  16. ^ PÉDALE HARMONIQUE 2018年8月11日閲覧
  17. ^ 世界で最もグランドピアノに近いアップライトピアノ Apolloピアノ 2018年8月11日閲覧
  18. ^ Gounod: The complete works for pedal piano & orchestra 2018年8月11日閲覧
  19. ^ Pinchi Pedalpiano System 2018年8月11日閲覧
  20. ^ DOPPIO BORGATO CONCERT GRAND PIANO WITH PEDALBOARD 2018年8月11日閲覧
  21. ^ Pollens 1995. chp. 1.
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  23. ^ 渡辺順生編「フォルテピアノについての証言」にて関連資料の日本語訳が読める。なお、この時の即興演奏はのちに『音楽の捧げもの』としてまとめられた
  24. ^ a b c 西原稔『ピアノの誕生』講談社〈講談社選書メチエ〉、1995年。ISBN 4062580535 
  25. ^ “Pianoforte”. Grove Music Online. Oxford University Press. (2001). doi:10.1093/gmo/9781561592630.article.21631 
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  31. ^ ピアノはなぜ黒いのか?
  32. ^ なぜピアノが黒いのか?
  33. ^ 居谷滋郎「塗料の歴史」『色材協会誌』第56巻第11号、色材協会、1983年、doi:10.4011/shikizai1937.56.7292020年10月16日閲覧 
  34. ^ 世界一黒いもの 黒の物語その3”. 関東塗料工業組合. 2020年10月16日閲覧。
  35. ^ 楽器の事典ピアノ 第7章 ピアノの種類およびその構造と機能 4 ケース: ピアノの形状・サイズとそれらの性能の差異”. ハンナ. 2020年10月16日閲覧。






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