ギリシア神話 神話5:英雄の誕生

ギリシア神話

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神話5:英雄の誕生

ギリシア神話においては、ヘーシオドスが語る五つの時代の最後の時代、すなわち現在である「の時代」の前に、「英雄の時代」があったとされる。英雄とは、古代ギリシア語でヘーロース(hērōs, ήρως)と呼ぶが、この言葉の原義は「守護者・防衛者」である。しかしホメーロスでは、君公、あるいは殿の意味で、支配者・貴族・主人について一般的に使用されていた[54][注釈 22]

英雄崇拝の歴史

神話学者キャンベルは、英雄神話を神話の基幹に置いたが、彼の描く英雄とは、危険を犯して超自然的領域に分け入り勝利し、人々に恩恵を授ける力(force)を獲得した者である[55]古代ギリシアの英雄は、守護者の原義を持つことからも分かる通り、超自然の世界に分け入って「力」を獲得する者ではない。文献や考古学によれば、ミュケーナイ時代には存在しなかった「英雄信仰」が、ギリシアの暗黒時代[56]を通じて、ホメーロスの頃に出現する。

ここで崇拝される英雄は「力に満ちた死者」であり、その儀礼は、親族の死者への儀礼と、神々への儀礼の中間程度に位置していた[注釈 23]。祀られる英雄ごとで様々な解釈があったが、祭儀におけるヘーロースは、都市共同体や個人を病や危機から救済し恩恵をもたらした者として理解された。このような崇拝の対象が叙事詩に登場する英雄に比定された。時が経つにつれ、ヘーロースの範型に該当すると判断された人物、すなわち神への祭祀を創始した者や、都市の創立者などには、神託に基づいて英雄たる栄誉が授与され、彼らは「英雄」と見なされた[58]

ギリシアの英雄は半神とも称されるが、多くが神と人間のあいだに生まれた息子で、半分は死すべき人間、半分は不死なる神の血を引く。このような英雄は、「力ある死者」のなかでも神に近い崇拝を受けていた者たちで、ヘーラクレースの場合は、英雄の域を超えて神として崇拝された。英雄は、都市の創立者として子孫を守護し、またときに、敵対する者の子孫に末代まで続く呪いをかけた[59][注釈 24]。死して勲を残す英雄は、守護と呪いの形で、その死後に強い力を発揮した者でもある[注釈 25]

ゼウスの息子

英雄は古代ギリシアの名家の始祖であり、祭儀や都市の創立者であり名祖であるが、その多くはゼウスの息子である。ゼウスはニュンペーや人間の娘と交わり、数多くの英雄の父となった。数々の王家が神の血を欲した。

ダナエーと金の雨

数々の冒険と武勇譚で知られ、数知れぬ子孫を残したとされるヘーラクレースはゼウスと人間エーレクトリュオーンの娘アルクメーネーのあいだに生まれた。ゼウスは彼女の夫アンピトリュオーンに化け、更にヘーリオスに命じて太陽を三日間昇らせず彼女と交わって英雄をもうける。また白鳥の姿になってレーダーと交わり、ヘレネー及びディオスクーロイの兄弟をもうけた。アルゴス王アクリシオスの娘ダナエーの元へは黄金の雨に変身して近寄りペルセウスをもうけた。テュロス王アゲーノールの娘エウローペーの許へは、白い牡牛となって近寄り、彼女を背に乗せるとクレータ島まで泳ぎわたった。そこで彼女と交わってミーノースラダマンテュス等をもうける。

カリストーを誘惑するゼウス

ゼウスはまた、アルテミスに従っていたニュンペーカリストーに、アルテミスに化けて近寄り交わった。こうしてアルカディア王家の祖アルカスが生まれた。プレイアデスの一人エーレクトラーとの間には、トロイア王家の祖ダルダノスと、後にデーメーテール女神の恋人となったイーアシオーンをもうける。イーオーはアルゴスのヘーラーの女神官であったが、ゼウスが恋して子をもうけた。ヘーラーの怒りを恐れたゼウスはイーオーを牝牛に変えたが、ヘーラーは彼女を苦しめ、イーオーは世界中を彷徨ってエジプトの地に辿り着き、そこで人の姿に戻り、エジプト王となるエパポスを生んだ。エウローペーはイーオーの子孫に当たる。

アトラースの娘プルートーとの間には、神々に寵愛されたが冥府で劫罰を受ける定めとなったタンタロスをもうける。またゼウスはニュンペーのアイギーナを攫った。父親であるアーソーポス河神は娘の行方を捜していたが、コリントス王シーシュポスが二人の行き先を教えた。寝所に踏み込んだ河神は雷に打たれて死に、またシーシュポスはこの故に冥府で劫罰を受けることとなった。アイギーナからはアイアコスが生まれる。同じくアーソーポス河神の娘とされる(別の説ではスパルトイの子孫)アンティオペーは、サテュロスに化けたゼウスと交わりアンピーオーンゼートスを生んだ。アンピーオーンはテーバイ王となり、またヘルメースより竪琴を授かりその名手としても知られた。プレイアデスの一人ターユゲテーとも交わり、ラケダイモーンをもうけた。彼は、ラケダイモーン(スパルテー)の名祖となった。エウリュメドゥーサよりはミュルミドーン人の名祖であるミュルミドーンをもうけた。

他の神々の息子

ウーラニアー

アポローンは数々の恋愛譚で知られるが、彼の子とされる英雄は、まずムーサの一柱ウーラニアーとの間にもうけた名高いオルペウスがある(別説では、ムーサ・カリオペーとオイアグロスの子)。ラピテース族の王の娘コローニスより、死者をも生き返らせた名医にして医神アスクレーピオスをもうけた。予言者テイレシアースの娘マントーからは、これも予言者モプソスをもうける。ミーノースの娘アカカリスはアポローンとヘルメース両神の恋人であったが、アポローンとの間にナクソス島の名祖ナクソス、都市の名祖ミーレートス等を生んだ。彼女はヘルメースとの間にも、クレータ島のキュドーニスの創建者キュドーンをもうけた。

他方、ポセイドーンは、アテーナイ王アイゲウスの妃アイトラーとの間にテーセウスをもうけたとされる。またエウリュアレーとの間にはオーリーオーンを(別説では、彼はガイアの息子ともされる)、テューローとの間には双生の兄弟ネーレウスペリアースをもうけた。エパポスの娘でニュンペーリビュエーリビュアー)と交わり、テュロス王アゲーノールとエジプト王ペーロスの双子をもうける。ラーリッサを通じて、ペラスゴス(ペラスゴイ人の祖とは別人)、アカイオス、プティーオスをもうけた。アカイオスはアカイア人の祖とされ、プティーオスはプティーアの名祖とされる。オルコメノスのミニュアース人の名祖とされるミニュアースもポセイドーンの子とされるが、孫との説もある。

鍛冶の神ヘーパイストスは、アテーナイの神話的な王エリクトニオスの父とされる。彼はアテーナーに欲情し女神を追って交わらんとしたが、女神が拒絶し、彼の精液はアテーナーの脚にまかれた。女神はこれを羊毛で拭き大地に捨てたところ、そこよりエリクトニオスが生まれたとされる[62][注釈 26]

リュカーオーンは、アルカデイア王ペラスゴスとオーケアノスの娘メリボイア、またはニュンペーのキューレーネーの子とされる。彼は多くの息子に恵まれたが、息子たちは傲慢な者が多く神罰を受けたともされる。アルカディアの多くの都市が、リュカーオーンの息子たちを、都市の名祖として求めた形跡がある。また、アプロディーテーは、トロイア王家の一員アンキーセースとのあいだにアイネイアースを生んだ。アイネイアースは後にローマの神話的祖先ともされた。アイア金羊毛皮をめぐる冒険譚「アルゴー号の航海譚」に登場するコルキスアイエーテースは、ヘーリオスとオーケアノスの娘ペルセーイスの子である。

トロイア戦争の英雄であり、平穏な長寿よりも、早世であっても、戦士としての勲の栄光を選んだアキレウスは、ペーレウスと海の女神テティスのあいだの息子である。

英雄崇拝とその栄光

ヘーラクレース神殿跡

ピエール・グリマルによれば、ヘーラクレースとその数々の武勇譚はミュケーナイ時代に原形的な起源を持つもので、考古学的にも裏付けがあり、またその活動は全ギリシア中に足跡を残しているとされる[19]。ヘーラクレースは神と同じ扱いを受け、彼を祭祀する神殿あるいは祭礼はギリシア中に存在した。古代ギリシアの名家は、競ってその祖先をヘーラクレースに求め、彼らはみずから「ヘーラクレイダイ(ヘーラクレースの後裔)」と僭称した[63]

アキレウスもまた、アガメムノーンなどと同様に、いまは忘却の彼方に沈んだその原像がミュケーナイ時代に存在したと考えられるが、彼は「神々の愛した者は若くして死ぬ」とのエピグラムの通り、神々に愛された半神として、栄誉のなか、人間としてのモイラ(定業)にあって、英雄としての生涯を終えた。彼の勲と栄光はその死後にあって光彩を放ち人の心を打つのである。


注釈

  1. ^ 古代ギリシア人は、ギリシア本土に紀元前二千年紀に南下して後、ミュケーナイを中心に紀元前16世紀頃よりミュケーナイ文化を築き始め、紀元前13世紀にはこの文化は東地中海を席巻した。しかし紀元前12世紀に、ドーリス人を代表とする別系統のギリシア人が南下を始め、アテーナイとアルカディアを残す領域を征服した。先住のギリシア人は小アジアに逃れ、そこにアイオリスとイオーニア方言の領域を造った。ドーリス人を代表とする西ギリシア民族のこの進出によりミュケーナイ文化は凋落し、ギリシアの「暗黒」時代が訪れる[3]
  2. ^ 他方、考古学的発掘では、トロイア遺跡丘第七a層の都市が紀元前13世紀半ばに火災で壊滅したことが確認されている。この年代は文献学の立場からのトロイア戦争の時期と一致する。『イーリアス』と『オデュッセイア』以外にも古く叙事詩が存在したことが知られており、ミュケーナイ時代の出来事の遠い反響とも言える。英雄叙事詩は暗黒時代を通じて口承で伝えられ洗練され、紀元前9世紀または8世紀のホメーロスの二大作品として世に知られることになる。
  3. ^ とはいえ、ミューケナイ王朝はワカナと呼ばれる帝王を頂点として、オリエント風の官僚組織を備えた一種の専制国家であったことが線文字Bの解読を通じて知られている。遠いミュケーナイ時代の事件は伝わったが、物語の枠組みとしては、暗黒時代を通じて育成されて来た新しいポリス的国家の自由に充ちた気風がホメーロスの叙事詩では表現されている。帝王アガメムノーンに反抗する若き戦士アキレウスの人間像は、ミュケーナイ時代のものではありえないと考えられている[5]
  4. ^ ヘーシオドスは文字を知っており、彼の作品は朗唱されただけではなく文字記録の形を最初から持っていたとする説がある[8]。ただしこの説の真偽は不確かである。しかし、彼の作品はホメーロスの叙事詩とは異なり吟唱詩人が詠い伝えたものではない。そのような記録が残っていない。ヘシーオドス自身が文字化したのではなくとも、彼の詩は早期に文字化されていたと考えられる。
  5. ^ カリマコス、カッリマコスとも書く。彼は貧しく生まれたが苦学し、プトレマイオス2世に認められ、アレクサンドレイア図書館の司書となった。「司書」というのがどのような役割か判然としないが、公職かそれに準じるものと考えられる。
  6. ^ ペレキューデースの名を持つ神々の系譜記録者は二人いた。紀元前7世紀-6世紀の哲学者シューロスのペレキューデースと紀元前5世紀のアテーナイのペレキューデースである。呉茂一はレーロスのペレキューデースの名をあげている[12]。高津春繁はシューロスの哲学者を挙げている(『ギリシア文学史』p.92)。系譜学者は「レーロスとアテーナイのペレキューデース」という記述もあり、シューロスの哲学者としばしば混同されるともされる(Companion to Classical Literature p.430)。
  7. ^ グリマルは、このように古い起源を持ち、かつ全ギリシア中に伝承が存在する英雄伝説・物語圏として、代表的に六個を挙げている。1)アルゴナウタイ遠征譚、2)テーバイ伝説圏、3)アトレウス家伝説圏、4)ヘーラクレース伝説圏、5)テーセウス伝説圏、そして6)オデュッセウスの物語である。[20]
  8. ^ ヘシオドスがうたう三代の王権の推移は、紀元前二千年紀のオリエントにおいて、アッカドの『エヌマ・エリシュ』やヒッタイトの『クマルビ神話』などで語られている[23]
  9. ^ オルペウス教の教義について触れた文書としては、1)アリストパネースの『』に含まれるパロディ。2)「デルヴェニ・パピュルス」。3)アテナゴラスの伝える説。4)ヒエロニュモスとヘラニコスによる宇宙誕生譚。5)『二四の叙事詩からなる聖なる言説』。6)ロドスのアポローニオスアルゴナウティカ』所収のオルペウス説、等がある[26]
  10. ^ 当時のギリシア人は世界は円盤の形をした平面であり、このもっとも外側を、海流が円環をなして果てしなく流れ続けているという像を持っていた。この最果ての海流がオーケアノスである。母なるテーテュースは女性だということが分かるだけで詳細は不明である[29]
  11. ^ ヒッタイトに保存されていた「ウッリクンミの歌」においては、クマルビがアヌの性器を切断する説話があり、クロノスによるウーラノスの去勢はこの話の影響を受けている可能性がある。
  12. ^ オリュンポスの十二の神は、典型的なギリシア人に固有の神と考えられやすいが、半数が非ヘレネス起源の神である。ゼウスの后ヘーラーは、先住民の女神であり、古代ギリシア人が先住民を征服した際、両者のあいだの融和を目的として主神ゼウスの后にヘーラーを据えたと考えられる。ゼウスの第一の娘で、最高の女神とも言えるアテーナーもまたヘレネス固有の神ではない。アポローンアルテミスの両神は、その名前が印欧語起源ではなく、前者はオリエントの神の可能性があり、後者は先住民の神と考えられる。ヘルメースも先住民の神で、アプロディーテーはオリエント起源の女神である。ペルセポネーもその名は先住民の神のものと考えられる[39]
  13. ^ ゼウスとディオーネーの娘とするのはホメーロスである。泡より生まれたとするのはヘーシオドスで、後者を、アプロディーテー・ウーラニアー(天上のアプロディーテー、Aphrodite Ourania)、前者のゼウスの娘とする場合、アプロディーテー・パンデーモス(大衆のアプロディーテー、Aphrodite Pandemos)として区別した。本来「ウーラニアー」という場合は、「東洋の神」を示唆し、他方「パンデーモス」という場合は、「市民の神」、従ってヘレネスの神の含意があった。プラトーンですでに議論となっているが、後にルネッサンスで「天の愛」と「通俗の愛」という対立で再度議論される[41]
  14. ^ 呉茂一『ギリシア神話』 エイレイテュイアの子だとするのは伝説の詩人オレーンで、ゼピュロスの子だとするのは、詩人アルカイオスである。エウリーピデースは『ヒッポリュトス』のなかでエロースをゼウスの子と呼んでいる。またプラトーンは寓意であるが、エロースは充足の神ポロスと貧困の女神ペニアーの子であると述べている(プラトーン『饗宴』)
  15. ^ エロースはアプロディーテーとヘーパイストスの子であるとの説もある。
  16. ^ オルペウスはギリシア神話一般では神ではないが、オルペウス教では彼は神である。アスクレーピオスは、ホメーロスにおいては人間であったが、後に医神とされ崇拝された。
  17. ^ ピンダロスとほぼ同時代の悲劇作家アイスキュロスの作品である『プロメーテウス三部作』においては、ゼウスとプロメーテウスの和解が語られ、ティーターンたちは解放され、エーリュシオンで浄福の生活を営むことになっている。
  18. ^ アンピトリーテーアキレウスの母テティスは女神として扱われる。
  19. ^ 彼女たちは洞窟やその住まいで歌をうたったり糸を紡いだりしてときを過ごし、オリュンポスの神々や男性の精霊たちは、彼女らの魅力に引きつけられ恋をした。ニュンペーのなかには慎ましやかで処女を守ることを願う者もいたが、また好色でサテュロスなどと戯れることを好む者もいた。ニュンペーは善意ある存在であったが、時にヒュラースの例のように人間の美少年を攫うこともあった[47]
  20. ^ ニュンペーには種類があると共に、身分に近い精霊としての「格」があり、下位のニュンペーは上位の精霊に仕えることがあった(キルケーカリュプソーは、女神でもあり、ニュンペーたちは彼女らに仕えた)[47]
  21. ^ クロノスは暴君とされているが、本来、豊穣・収穫の神であり、民間信仰では後世に至っても信仰されていた。
  22. ^ オリュンポスの女王ヘーラーはヘーロースの女性形と解釈するのが妥当で、「オリュンポスの女主人」の意味となる[54]
  23. ^ 彼らに対する儀礼・供儀は天の神に対する犠牲を焼いた煙ではなく、地下(クトニオス)の神に対すると同様に、犠牲の血を地下に献げることでもあった。後に悲劇が発達したとき、悲劇が演じられる劇場のコロスの舞台中央には地下に向けて通じる坑が掘られていた[57]
  24. ^ グリマルによると、ディオーネー女神の息子であるエーリス王ペロプスは彼の息子への不埒な振る舞いをもって、当時彼の元に亡命していたラーイオスに呪いをかけた。ラーイオスは帰国してテーバイ王となるが、ペロプスの呪いはその子オイディプースや孫娘アンティゴネーなどの悲劇を生み出した。ペロプスはオリュンピア競技祭の創始者ともされ、英雄の条件を十分過ぎるほどに満たしている。なお別の説では、ラーイオスに呪いをかけたのは、ペロプスの息子クリューシッポスとされる。
  25. ^ 松村一男は、『世界神話辞典』の「英雄」の章において、英雄崇拝が顕著なのは「個人としての名誉や武勇がなお意味を持」ち、「英雄の栄光」の賛美が有意味であった「古代社会」であるとし、また英雄は「高貴で悲劇的な神話存在」であると述べている[60]。このような把握に従い、松村はギリシア神話の英雄について記述して、アキレウスこそ英雄であり、智将オデュッセウスは今日から見れば真の英雄であるが、ギリシア神話では、悲劇性を欠いているため英雄崇拝には向いていない旨述べている[61]。しかし、これらの松村の言説は、一般概念としての英雄あるいは英雄崇拝を念頭しており、古代ギリシアにおける「ヘーロース」概念や「ヘーロース崇拝」の実質内容に踏み込んだ話ではない。
  26. ^ エリクトニオスの名は、erion(羊毛)+khton(大地)の合成のようにも思えるので通俗語源解釈とも考えられる[62]
  27. ^ この規準は、現代の科学が設定している規準とは明らかに異なっている。しかしホメーロスもヘーシオドスも、共に彼らのうたう作品に作為的な造話あるいは様式的な虚構が入っていることは自覚していた。
  28. ^ ヘーシオドスは、ヘリコーン山のムーサイたちより、「真実らしきもの」ではなく「真実」を開示されたと作品のなかで宣言している[78]
  29. ^ 紀元前4世紀末の人口調査では、アッティカの自由市民は2万1千人であるのに対し、奴隷は40万人いたとされる[81]
  30. ^ ヘーシオドスは労働を称賛したが、この時代、プラトーンやアリストテレースも含め、労働の蔑視が市民の常識となった。自由市民はポリス共同体の一員として祖国の危機にあっては兵士として戦ったが、奴隷の増大は、ポリス市民の道徳・倫理を著しく低下させた。
  31. ^ アテーナイにはしかし、アカデーメイア、リュケイオン、そしてエピクーロスの園とゼーノーンによるストア派は残った[91]
  32. ^ グリマル & 高津 訳 (1992, p. 20, 訳注(2))によれば、ツェツェースらは膨大な注釈を記し考証を行ったが、それらは不正確で無意味なものであった。ただ、膨大な注釈や文学史の記録に彼らが引用した古代の著作の断片は貴重な史料である。時代が十世紀ほど戻るが、ヒュギーヌスの『ギリシア神話集』の訳者は、アポロドーロス以上に支離滅裂で場当たり的な話の集成について疑問を呈している。
  33. ^ 「天のアプロディーテー(Aphrodite Ourania)」と「大衆のアプロディーテー(Aphrodite Pandemos)」の対比はすでにプラトーンの頃から議論されていたが、本来、「オリエント対ヘレーネス」の対比であったものが、キリスト教文化と混じり合い、「聖愛と俗愛」のような対比にも発展する余地があった。それは古代ギリシアに起源するというより、西欧ルネサンスの持つ「光と影」にむしろ対応する。

出典

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  109. ^ アポロドーロス & 高津春繁 訳 1978, まえがき p.6.





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