工場閉鎖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/22 03:42 UTC 版)
1981年(昭和56年)より、所沢駅西口周辺の再開発計画の進展に伴って当工場の移転が検討され、最終的に埼玉県日高市西台山(池袋線東飯能 - 高麗間・現在の武蔵丘信号場付近)への移転が決定した。以降、再開発事業による周辺道路拡幅工事などによって工場敷地の縮小が段階的に進められ、1983年(昭和58年)には年間最大生産能力が16両に低下した。1989年(平成元年)には日高市台地区の住民との間に検修場(武蔵丘車両検修場)建設に関する協定を締結、翌1990年(平成2年)より造成工事が開始された。その間、西武鉄道の新製車両は6000系電車以降において外部発注が主となり、設備と人員の維持管理の観点から9000系電車(計80両)については当工場において新製することとなったものの、同時に同系列の増備完了をもって車両新製業務を終了することも正式決定された。 1999年(平成11年)3月に落成した9000系9108編成の中間車6両(サハ9408-モハ9508-モハ9608-サハ9708-モハ9808-モハ9908)の出場をもって車両新製業務を終了、翌2000年(平成12年)6月1日に出場した新2000系電車2459編成の検査業務完了をもって、当工場における全ての業務が終了した。同年6月15日付で当工場は閉鎖となり、鉄道車両の保守管理業務は武蔵丘車両検修場へ継承された。
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