ZERO Projectとは? わかりやすく解説

ZERO Project

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 00:42 UTC 版)

中ハシ克シゲ」の記事における「ZERO Project」の解説

1998年大阪府立現代美術センターにて原型となる発表少年期遊んだゼロ戦プラモデル極端に近接撮影し、サービスサイズ写真現像。それをパズル様に貼りあわせ実物大ハリボテ戦闘機制作展示した展覧会訪れた様々な年代鑑賞者は大まかに戦争体験した世代」、中ハシ同年代である、兵器プラモデル遊んだ戦後世代」、その次の戦争とりわけ無関心な世代」に分かれ3世代の鑑賞者は互いに交わることなく同世代同士静かなひそひそ話だけが見られた。この時中ハシ父親はこの展覧会において中ハシ対し初め戦時中ゼロ戦整備兵であったことを明かし自身戦争エピソード話している。 この展覧会反応受けて制作ボランティアによって写真を貼りあわせ、組立て焼却作業が行われる参加型に変化したのは1999年オーストラリアブリスベン行われた第3回アジア太平洋現代美術トリエンナーレ(The Third Asia-Pasiffic Triennial of Contemporary Art - Beyond the Future)」で発表された「#0309」からである。 「#0309」は機体一部のみの発表含めると計8回の展示、うち3回焼却されており、後のZero Projectへの記念碑的作品と言えるアメリカ巡回したSuper flat」展では少しづつ機体写真足されてゆき、最終的に完成され作品展示焼却された。 2000年より現地にゆかりのあるゼロ戦(実際に戦闘参加した機体エピソードパイロット機体番号マークなどが特定された)を現地ボランティアと共に作成し展示、意味のある日に焼却(バーニング)するプロジェクト「Zero Project」として始動プロジェクトには戦争体験者を招いて講演などワークショップ通じて世代戦争記憶をつなげる場が設けられた。 また、2004年アメリカマサチューセッツスミス大学アートミュージアムで行われた「confronting tradition : contemporary art from Kyoto」では「Phantom ZERO Project」としてあえて特定の機体では無い、全面グレー塗装され匿名性強調されゼロ戦使用された。これは現地にゆかりのあるゼロ戦史実が見つからなかったためである。

※この「ZERO Project」の解説は、「中ハシ克シゲ」の解説の一部です。
「ZERO Project」を含む「中ハシ克シゲ」の記事については、「中ハシ克シゲ」の概要を参照ください。

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