WBC世界ミニマム級王者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 16:30 UTC 版)
2012年11月25日、昆明の昆明体育館で井岡一翔の王座返上に伴いWBC世界ミニマム級5位のハビエル・マルチネス(メキシコ)とWBC世界ミニマム級王座決定戦を行い、12回3-0(116-114、116-112、119-110)の判定勝ち、中国人男子選手として初の世界王座を獲得した。 熊朝忠に中国でのボクシング人気構築を期待するWBC会長ホセ・スライマンは熊と強豪デンバー・クエリョとの対戦を回避させる為、クエリョに対戦待機料として25,000ドルを支払っている。 2013年6月28日、ドバイのドバイワールドトレードセンターでWBC世界ミニマム級1位でWBC世界同級シルバー王者のデンバー・クエリョと対戦し、初回にダウンを奪われるがその後クエリョが右肩を負傷したことで持ち直し、12回2-0(113-113、115-112、113-110)の判定勝ちを収め初防衛に成功した。その後、現地のプロモーターがクエリョのファイトマネー2万4千ドルを含む、熊のファイトマネー、航空運賃、会場費、ジャッジへのギャラなどを未払いであることが発覚した。 2013年11月30日、馬関県にて当初はWBC世界ミニマム級7位のオマリ・キンウェリと対戦する予定だったが、試合直前に入国審査が通らなかったため代理挑戦者のルーラック・キャットマンミーと対戦し、5回1分59秒TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。 2014年2月5日、海口市の海口体育館でWBC世界ミニマム級2位のオズワルト・ノボアと対戦したが、試合は開始からノボアのペースになり、2回には右ロングフックを受け終了間際はレフェリーストップ寸前まで追い詰められた。3回には連打からダウンを奪われると4回に連打を浴びた所でレフェリーストップ。5回2分36秒キャリア初のKO負けを喫し3度目の防衛に失敗、王座から陥落した。 2014年10月10日、WBAは熊はWBA世界ミニマム級11位にランクインした。 2014年10月25日、モナコモンテカルロのサル・デゼトワールでWBA・IBO世界ミニマム級王者ヘッキー・ブドラーと対戦し、2回にダウンを奪ってブドラーをカウントアウト寸前に追い詰めたが、3回に左フックでダウンを奪い返されその後は一進一退の攻防が続き12回0-3(2者が112-114、108-118)の判定負けを喫しWBCに続く王座獲得とはならなかった。
※この「WBC世界ミニマム級王者」の解説は、「熊朝忠」の解説の一部です。
「WBC世界ミニマム級王者」を含む「熊朝忠」の記事については、「熊朝忠」の概要を参照ください。
- WBC世界ミニマム級王者のページへのリンク