Tomonoriとは? わかりやすく解説

佐藤友則

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/23 02:44 UTC 版)

佐藤 友則
基本情報
本名 佐藤 友則(さとう とものり)
通称 TOMONORI
階級 フライ級NJKF
身長 162cm
体重 52.5kg
国籍 日本
誕生日 (1977-12-31) 1977年12月31日(47歳)
出身地 北海道札幌市
スタイル キックボクシング
プロキックボクシング戦績
総試合数 56
勝ち 36
KO勝ち 18
敗け 17
引き分け 3
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佐藤 友則(さとう とものり、1977年12月31日 - )は、日本男性キックボクサー北海道札幌市出身。OGUNI-GYM所属。現在はTOMONORIというリングネームで戦っている。現ISKAムエタイ世界フライ級王者。WBCムエタイインターナショナルフライ級王者。元UKF世界バンタム級王者。元WBCムエタイ日本フライ級、バンタム級王者。元WMCインターコンチネンタルスーパーフライ級王者。元NJKFフライ級王者。MACH GOGO52kg最強トーナメント 優勝。

来歴

幼少期

幼少期にブルース・リーといった香港映画スターに憧れて、小学生の頃から空手を始める。中学3年生のときまでに、多くの大会で優勝した。高校入学後にアマチュアボクシング柔道を始めた。柔道では、一週間練習しただけで小規模の大会で優勝した。その後UFCの影響もあって、プロ総合格闘家になるため、高校を中退して上京した。アマチュア修斗に出場しようと応募するが、出場可能な階級がなかったため断られた。そこで同じ中学出身だった大宮司進から、タイでの修行の話を聞き、キックボクシングに興味を持つようになり、アクティブJに入門する。その頃、アクティブJのタイ支部が出来たため、タイに渡る。

プロデビュー

1997年9月28日に単身タイに渡り、タイのラジャダムナン・スタジアムでプロデビューする。タイ人に破れ、デビュー戦を黒星でスタートさせる。翌1998年2月28日に、NJKF加盟ジムに所属し、日本でもプロデビュー。柏木吾一に勝利する。1999年にOGUNIジムに移籍。

5Rに昇格し、2001年5月25日に押川童子丸と再戦。前回はTOMONORIの不戦勝だった。1R開始直後にハイキックでダウンを奪われるが、その後肘打ちでTKO勝ちをおさめた。

2003年4月6日にオランダで開催された「K-1 WORLD GP 2003 世界地区予選オランダ大会」のフレッシュマンファイト(2分5R)に出場。モハメド(モロッコ)と対戦し、4Rに1度ダウンを奪ったが、結果はドローに終わった。

11月9日に行われたNJKF興行の「VORTEX X」のNKBフライ級王者決定戦に出場。この頃はNJKFはNKBに加盟していたため、NKBの王座に挑戦した。TOMONORIは同級1位にランクされており、高橋拓也(同級2位)と対戦。相手のパンチのラッシュに付き合ってしまい1RKO負けを喫し、王座獲得に失敗した。

世界王座獲得

2004年3月13日、アメリカ合衆国オクラホマ州でエリザベス・ルイス(アメリカ)の持つUKF世界バンタム級王座に挑戦。3R目にハイキックでKO勝ちし、王座を獲得。

2004年10月17日、ダミアン・トレイノー(イギリス / WMCヨーロッパスーパーフライ級王者)との王者決定戦において判定0-2で下しWMCインターコンチネンタルスーパーフライ級王者になる。

2006年1月15日にNJKF興行「ADVANCE I 〜前進〜」において行われた2005年度NJKF年間表彰で、4戦4勝3KOの好戦績を残したことと、タイでの試合が評価され殊勲賞と格闘技通信賞を受賞した。

最初の日本王座獲得

4月9日、高橋拓也(拳之会/王者)の持つNJKFフライ級王座に挑戦し、判定3-0で下し新王者になる。

MACH GO! GO!優勝

9月1日にJ-NETWORK主催のフライ級トーナメント「MACH GO! GO! '06 〜フライ級最強決定トーナメント1回戦〜」に出場。飛燕野嶋(MA日本フライ級2位)と対戦し、5R判定0-0で延長Rに突入。手数でわずかに上回り、6R判定3-0で準決勝に進出した。TOMONORIは、この試合前の練習中に肋骨を骨折し、満足に動ける状態ではなかった。なお、公式上のこの試合結果は、5R0-0ドローである。またルールで、延長Rは2分となっている。

10月1日に松尾崇(J-NETWORKフライ級2位)と対戦。1R終了時の負傷判定3-0で勝利し、決勝戦進出を決めた。1R終了のゴングがなった直後に、右ハイキックが松尾に当たり、松尾はダウンした。インターバル終了後も松尾にダメージが残っていたため、ドクターストップがかかった。ゴングがなった瞬間、既にTOMONORIがパンチから繋がる右ハイキックのコンビネーションを出していたことと、流れの中での攻撃であったためにレフェリーが止めに入る前の攻撃だったことから反則は取られなかった。

11月22日「MACH GO! GO! '06〜フライ級最強トーナメント」の決勝戦に出場し、魂叶獅(J-NETWORKフライ級王者)と対戦。1Rに右ストレートでダウンを奪うと、5R判定3-0で優勝。ジャッジのスコアでは3、4点差がつく大差だった。

ムエタイ世界王座挑戦

2007年3月18日にラッタナデェ・KTジム(タイ/元ルンピニー・スタジアムミニフライ級王者)と対戦。1R終了間際に左フックのクロスカウンターでダウンを奪われ、1R3:05KO負けを喫した。試合翌日に、ジムの会長に再戦を直訴した。また、ゴング格闘技2007年4月号のインタビューで、自身の目標がK-1出場であり、相手は70kgでもヘビー級でも構わないと発言した。

7月29日にディファ有明でラッタナデェ・KTジム(タイ)と再戦。ラッタナデェはルンピニー&ラジャダムナン・スタジアムミニフライ級1位のランカーになっており、試合開始前の名前コールで紙テープが頭に直撃するというハプニングがあった。しかし、離れ際の左フックで1R2:15KO勝ちした。

9月1日にタイのバンコク国立競技場で行われたWPMF世界スーパーフライ級王者決定戦で、ダーウサミン・イングラムジム(タイ/ラジャダムナン・スタジアムフライ級10位)と対戦。5R判定3-0で敗れ、王座獲得に失敗した。スコアはジャッジ全員が49-48という微妙な判定だった。

翌10月14日にWMC世界スーパーフライ級王者決定戦に出場。チャオタピー・ギャットコーウィット(タイ/WMC世界バンタム級6位)と対戦し、5R目に膝でダウンを奪われ判定負けした。

12月22日に地元札幌Zepp Sapporoで「NORTH LEGEND in Zepp Sapporo KICK BOXING FIGHTING 2007」という興行を自らプロデュースし、UKF世界バンタム級王座防衛戦を行った。チェ・ジンスン(韓国)と対戦し、3Rに右ローキックでダウンを奪い、4Rにさらに同じように右ローキックでダウンを奪うと、セコンドがタオルを投入し、4R0:43KO勝ちした。2R終了時に、TOMONORIがゴングの音に気づかず攻め続けてしまい、相手のセコンドが怒ってリング上で抗議するという一幕があった。この興行はレフェリーとジャッジ団がNJKF公認ではなかったため、NJKF非公式の戦績となっている。

2つ目の日本王座獲得

2009年9月23日に後楽園ホールで開催された「WBCムエタイルール日本統一王座決定戦」に出場。スーパーバンタム級の決勝戦(3分5R)で島んちゅ泰(MA日本バンタム級2位)と対戦。3Rにカウンターの右ストレートを当て、3R2:16KO勝ちを収め、初代王者になった[1]

2009年11月22日、第2代RISE55kg級王者決定戦で寺戸伸近と対戦し、2RKO負けで王座獲得ならず[2]

戦績

キックボクシング 戦績
51 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
32 3
16
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
ポンパン・エスジム 2R 1:48 KO(飛びヒザ蹴り) ニュージャパンキックボクシング連盟
「MuayThaiOpen 22」
2012年10月21日
× パンデーン・シットモンチャイ 2R 2:39 KO ノースエリア格闘技イベント BOUT 11 2012年3月18日
× ロミー・アダンザ 2R 0:19 TKO(肘によるカット) ニュージャパンキックボクシング連盟
「KICK TO THE FUTURE 1」
【WBCムエタイインターナショナルスーパーフライ級王座決定戦】
2012年2月18日
ATCHアナーキー 2R 2:14 KO(右ストレート) ノースエリア格闘技イベント BOUT-X 2011年10月10日
ラチャシー・ポーシリポン 3R 0:30 KO(左フック) THAI FIGHT EXTREME JAPAN 2011年8月7日
キム・ヨンミン 1R 3:02 TKO ノースエリア格闘技イベント BOUT-VIII 2011年3月13日
× 藤原あらし 3R 1:18 KO(左肘打ち) REBELS 3 2010年7月19日
民洞現 5R終了 判定3-0 ノースエリア格闘技イベント BOUT-VI 2010年3月14日
× 寺戸伸近 2R 1:54 KO(3ダウン:パンチ連打) RISE 60
【第2代RISE55kg級王者決定戦】
2009年11月22日
島んちゅ泰 3R 2:16 KO(右ストレート) ニュージャパンキックボクシング連盟
「WBCムエタイルール日本統一王座決定戦 〜ROAD TO REAL KING 11〜」
【WBCムエタイルール日本統一王座決定トーナメント バンタム級 決勝】
2009年9月23日
松本圭一太 5R終了 判定3-0 ニュージャパンキックボクシング連盟
「WBCムエタイルール日本統一王座決定トーナメント準決勝 〜ROAD TO REAL KING 9〜」
【WBCムエタイルール日本統一王座決定トーナメント バンタム級 準決勝】
2009年7月26日
× ペッチシーニル・ポータナポル 2R 1:46 TKO(ドクターストップ:顔面カット) ノースエリア格闘技イベント BOUT-IV 2009年3月15日
KENT 5R終了 判定1-1 ムエローク Japan 2009 〜最大最強のムエタイ祭り〜
【M-1スーパーフライ級王座決定戦】
2009年1月18日
村浜武洋 3R終了 判定2-1 ニュージャパンキックボクシング連盟
「START OF NEW LEGEND XI 新しい伝説の始まり」
2008年9月27日
チェ・ジンスン 4R 0:43 TKO(セコンドからのタオル投入) NORTH LEGEND in Zepp Sapporo KICK BOXING FIGHTING 2007
【UKF世界バンタム級タイトルマッチ】
2007年12月22日
× チャオタピー・ギャットコーウィット 5R終了 判定0-3 ニューキャパンキックボクシング連盟
「FIGHTING EVOLUTION XII〜進化する戦い12th〜THE“FIVE-STAR”FIGHT」
2007年10月14日
× ダーウサミン・イングラムジム 5R終了 判定0-3 ムエタイ 日ータイ交流戦〜伝承〜INHERIT
【WPMF世界スーパーフライ級王座決定戦】
2007年9月1日
ラッタナデェ・KTジム 1R 2:14 KO(左フック) ニュージャパンキックボクシング連盟
「Fighting Evolution IX MUAY Thai Open」
2007年7月29日
× ラッタナデェ・KTジム 1R 3:05 KO(左フック) ニュージャパンキックボクシング連盟
「FIGHTING EVOLUTION III〜進化する戦い〜3KINGS チャンピオンカーニバル」
2007年3月18日
魂叶獅 5R終了 判定3-0 J-NETWORK
【MACH GO! GO!'06 フライ級最強決定トーナメント 決勝戦】
2006年11月22日
松尾宗 5R終了 判定3-0 J-NETWORK
【MACH GO! GO!'06 フライ級最強決定トーナメント 準決勝】
2006年10月1日
飛燕野嶋 5R終了 判定0-0  延長判定3-0 J-NETWORK
【MACH GO! GO!'06 フライ級最強決定トーナメント 一回戦】
2006年9月1日
三好純 3R終了 判定3-0 J-NETWORK
「GO! GO! J-NET '06 〜STREETS of FIRE〜」
2006年7月25日
高橋拓也 5R終了 判定3-0 ニュージャパンキックボクシング連盟
「ADVANCE III〜前進〜」
2006年4月9日
ジャンモー・ルークノンディー 5R KO タイ国王生誕記念試合 王宮前広場 2005年12月4日
クリス・ホワイト 5R終了 判定3-0 ニュージャパンキックボクシング連盟
「INFINITE CHALLENGE IX 〜無限の挑戦〜」
2005年10月9日
ダイヤモンド・ジム 1R 0:47 KO(右ストレート) WOLF REVOLUTION 2005年10月9日
今井敦行 3R 1:54 KO WEBBWOODS presents IKUSA YGZ04 〜BIRD-BASE〜 2005年3月12日
ダミアン・トレイノー 5R終了 判定3-0 TOSHIMAX
【WMCインターコンチネンタルスーパーフライ級タイトルマッチ】
2004年10月17日
エリザベス・ルイス 3R KO アメリカ・オクラホマ
【UKF世界バンタム級タイトルマッチ】
2004年3月13日
× 高橋拓也 1R 1:04 KO(右フック) ニュージャパンキックボクシング連盟
「VORTEX X 〜旋風〜」
【NKBフライ級王座決定戦】
2003年11月9日
タイ人 KO タイ・パタヤ 2003年9月29日
モハメド 判定 K-1オランダ 2003年4月6日
× ポーラード・ノイ・トォー・センティアンノイ 4R 2:41 KO(3ノックダウン) ニュージャパンキックボクシング連盟
「VORTEX I 〜旋風〜」
2003年1月19日
タイ人 1R KO タイ・パタヤ 2002年9月22日
高嶺幸良 3R 1:54 KO(右フック) ニュージャパンキックボクシング連盟
「DREAM RUSH 6」
2002年9月8日
× 川津真一 2R 2:48 KO(右ストレート) ニュージャパンキックボクシング連盟
「DREAM RUSH 4」
【NKB統一トーナメント準決勝 フライ級】
2002年5月12日
モロッコ人 不明 オランダ 2002年2月15日
HIDE 判定 後楽園ホール 2001年11月2日
ジャイゲオ・ホー・ファッカムロン 1R KO ラジャダムナン 2001年9月30日
× 川津真一 4R 1:39 KO ニュージャパンキックボクシング連盟
「CHALLENGE TO MUAYTHAI 7」
2001年6月24日
押川童子丸 1R 0:44 TKO(肘によるカット) ニュージャパンキックボクシング連盟
「CHALLENGE TO MUAYTHAI 6」
2001年5月25日
シントーン・P・ファッカムロン 2R KO ラジャダムナン 2001年2月25日
× クマントーン・パヤックタイ 不明 UBCTVマッチ 2000年11月20日
押川童子丸 不戦勝 ニュージャパンキックボクシング連盟
「MILLENIUM WARS 8」
2000年9月24日
× エッグユット・F・ラゥムピブール 不明 ラジャダムナン 2000年5月25日
× タイ人 不明 ラジャダムナン 2000年2月25日
高橋伸浩 判定 仙台スポーツセンター 1999年9月15日
高嶺幸良 不戦勝 後楽園ホール 1999年3月22日
柏木吾一 不明 後楽園ホール 1998年2月28日
× タイ人 不明 ラジャダムナン 1997年9月28日

獲得タイトル

受賞歴

  • 2005年度殊勲賞(NJKF、2006年1月15日)
  • 2005年度格闘技通信賞(NJKF、2006年1月15日)
  • 2006年度敢闘賞(NJKF、2006年12月23日)
  • 2006年度最高試合賞(NJKF、2006年7月29日のTOMONORI対ラッタナデェ・KTジム)(2007年1月6日)
  • 2007年度格闘技通信賞(NJKF、2007年1月6日)
  • 2007年度GONKAKU賞(NJKF、2007年1月6日)
  • 2007年度スポーツナビ賞(NJKF、2007年1月6日)

出典

脚注

関連項目

外部リンク

前王者
高橋拓也
第7代NJKFフライ級王者

2006年4月9日 - 2007年(返上)

空位
次タイトル獲得者
久保賢司
前王者
エリザベス・ルイス
UKF世界バンタム級王者

2004年3月13日 - 継続中

次王者
N/A
前王者
2009年6月13日に王座設立
初代WBCムエタイバンタム級日本統一王者

2009年9月23日 - 継続中

次王者
N/A

Tomonori(Dr)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 11:17 UTC 版)

Fear, and Loathing in Las Vegas」の記事における「Tomonori(Dr)」の解説

オリジナルメンバー一人メンバーの中では最古参であり、彼が中心となってバンド結成された。あまり写真に写ることがなく、写っていても顔が髪や影で隠れていることが多いが、ラジオインタビューでは発言する頻度が高い。 ほかのメンバー楽器いじったりすることがある。 『Feeling of Unity以降ではクロテイル使用するようになったKeiとは学生時代から友人であり、バンド誘った人物でもある。 3人兄弟末っ子9歳上の兄と6歳上の姉がいる。 ドラム始めたきっかけ銀杏BOYZGOING STEADY聴いていて衝撃受けたから。 基本的にスクリーモメタルコアは全く聴かないが、ドラム始めて以降ファンクジャズサンバメタルなど様々なジャンル音楽聴いており、好きなものは好きだ嫌いなものは嫌いだという。普段はよくアニソン聴いている。

※この「Tomonori(Dr)」の解説は、「Fear, and Loathing in Las Vegas」の解説の一部です。
「Tomonori(Dr)」を含む「Fear, and Loathing in Las Vegas」の記事については、「Fear, and Loathing in Las Vegas」の概要を参照ください。

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