SCの結成とは? わかりやすく解説

SCの結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 21:51 UTC 版)

カジ・レンドゥプ・ドルジ」の記事における「SCの結成」の解説

1970年頃から、パルデン・トンドゥプの反印やシッキム独立路線はますます強化され運動も更に激化することになった。ところがこれはネパール住民にブティヤ・レプチャ系住民への恐怖掻き立てるものでもあり、そして親王室派だったSSCもこの種の恐怖感抱いた結果、ついに反王室へと回帰していく。1972年8月15日SSCは同じネパール系のSJP合併してシッキム人民会議派SJC)を結成有望な王室政党出現することになった。しかしSJCは、インドこそがシッキムコミュナリズム持ち込んでシッキム民主化阻害した批判するなど反印的な姿勢示したため、パルデン・トンドゥプだけでなくインド不快感抱いた。そこでインド政府はパルデン・トンドゥプと交渉しSJC勢い削ぐためと説得してドルジ帰国大赦認めさせた。こうしてインド力を借りてドルジ帰国しSNC体勢立て直すことになったこのような状況下で実施され1973年第5回参事院選挙選挙議席18)では、コミュナル選挙制度恩恵もあってSNPが11議席獲得する圧勝収めたSNCSJC相討ちする形となり、それぞれ5議席、2議席しか獲得できなかった。この結果衝撃受けたSNCSJCは、同年3月より「不正選挙」を主張して選挙やり直し求めデモ首都ガントク開催し、さらに両党による共同行動会議Joint Action Council)を結成した。パルデン・トンドゥプはこれを無視4月首都ガントクデモ武力鎮圧したところ、ドルジSNCSJC最高指導者デモ参加者見捨ててインディア・ハウス(インド駐在行政官公邸)に逃げ込んだ。 ところがSNCSJC若手指導者たちは屈さずに地方武装蜂起し次々と人民政府樹立していく。ついにパルデン・トンドゥプは事態収拾しきれなくなりインド介入依頼最終的に5月8日インド、パルデン・トンドゥプ、SNCなど政党三者による新しいインド・シッキム協定結ばれた。これによりシッキムはますます属国化することになる。協定締結直後SNCSJCは、参事院代わり新たに創設されるシッキム立法議会英語版)(選挙議席30)の選挙向けて合併し新たにシッキム会議派SC)を結成した総裁にはドルジ就任している。

※この「SCの結成」の解説は、「カジ・レンドゥプ・ドルジ」の解説の一部です。
「SCの結成」を含む「カジ・レンドゥプ・ドルジ」の記事については、「カジ・レンドゥプ・ドルジ」の概要を参照ください。

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