OSK一時解散と復活
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OSKは宝塚歌劇団より以前に『ベルサイユのばら』上演を企画したが、実現には至らなかった。『ベルばら』ブーム後の宝塚人気の影響で、1975年頃より日本歌劇学校の志願倍率が増加に転じたが、その後大幅に低下し、1970年代後半の入学者は定員を大幅に割り込み一桁となった。 1987年(昭和62年)以降は近鉄劇場にて年一度ミュージカルを定例化させ、大阪中心部での公演を再開。姉妹関係にあり東西で住み分けをはかっていたSKDがレビューを中止したことを受け、OSKは1992年(平成4年)以降は東京公演を復活させた。ミュージカルでは小説を原作にした話題作・佳作を発表していたが、不況の影響から2002年(平成14年)に親会社の近鉄が支援打ち切りと翌年の解散を通告した。 OSKは2003年(平成15年)には一時解散を余儀なくされたが、解散通告を受けたOSKの劇団員は存続活動を行った。その甲斐あって、翌2004年(平成16年)にNewOSK日本歌劇団として旗揚げ。かつての親会社だった松竹系列の劇場での本格的なレビュー公演や小中劇場での公演を継続している。しかしながら、その後も経営状況が改善した訳ではなく、NewOSKは2007年(平成19年)に民事再生手続きを行った。事業は別会社に譲渡されOSK日本歌劇団に名を戻し、その後株式会社として独立した。 OSKの一時解散に前後し、新たな劇団等が複数誕生した。かつてOSKが公演を行っていた旅館である加賀屋はNewOSKへ残留しなかった元団員の一部を受け入れる形で、新たに専属劇団である雪月花歌劇団を新設した。またNewOSKへ残留しなかった元団員の一部は歌劇★ビジューを結成した。この他、元団員による、レビュー団体・教室等が開設されている。
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