OSPAR計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 07:22 UTC 版)
OPRC条約が採択された翌1991年に湾岸戦争が発起し、大規模な油流出による環境保護には国際協力が重要であることが更に認識された。日本では、OPRC条約の締約に向けて国内体制を整備するとともに、大型タンカーの重要航路であるアセアン諸国の海域で事故が発生すれば周辺諸国に深刻な被害を及ぼすことから、当該海域における大規模な油流出事故が発生した場合の国際的地域緊急防除体制の整備を図ることを目的とする、アセアン海域における大規模な油流出事故への準備および対応に関する国際協力計画(OSPAR計画、Project on Oil Spill Preparedness and Response in Asia)を推進した。 アセアン諸国への資機材の供与は、1993年よりフィリピン、インドネシア、シンガポール、タイ、ブルネイおよびマレーシアの6カ国に対して実施され、1995年に行われたマレーシアへの資機材供与をもって完了した。OSPAR計画に伴い日本沿岸各地にオイルフェンスが配備され、当計画によってアセアン6カ国政府のオイルフェスンス延長は12倍、油改修機の保有台数は4倍になりアセアン海域における油防除能力を飛躍的に向上させた。
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